「言葉は時代によって変化する」という言葉は自分の無知・無学・無教養を正当化する免罪符じゃない。
「シビアな」を「しびやな」って書いてる人がいた。
もしかして日本語だと思ってる?
渋いとか嫌なみたいなニュアンスに音が近いよね。
しびやか。しびやかな問題。さわやかな演奏。騒やかな演奏。
「ピンと来ない」を「ピント(焦点)来ない」だと思ってる人はいた。仲が良かったので直接聞いたので聴き間違いではない。
意味としてはほぼ通じそうなのがまたね。
代替、すべからく、確信犯、ぞっとしない、気の置けないみたいに明確に誤用/誤読だってことが解ってて、バカ発見器になってる言葉たちと違って会話の中で音を拾って自然に生み出された感じがいい。
本来の言葉とほぼ同じ意味で使われているのもいい。並行世界にいる主人公チームのそっくりさんみたいな。
多分自分も、当然自分では気付けないだけで相当やってると思う。
でも指摘してくれる人も、年を重ねるにつれてどんどん減っていくのがまたね。
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「言葉は時代によって変化する」
という言葉は自分の無知・無学・無教養を正当化する免罪符じゃないんですよ。
音と文字が持つ意味や由来を無視し、ただ喋りやすいほうへ楽なほうへ流されていくのは変化ではなく退化。
その先にあるのはことばの死だと思う。自然発生するニュースピーク。文化の否定ですよ。
F1種子か人為的に生み出された奇形。そのモノゴトを表現する為のみに存在することになる。
新しい概念も言葉も生み出さない。一代限り。過去をたどれない。閉ざされた未来。
水は低きに流れますが、人間は重力にあらがうことができる。
気付いたら積極的に正しい方向へ修正すべき、だと僕は思うんですけどね。
自分がダメであることに開き直ってどうするの。
向上心はないの。
その変なプライド。
一時の恥。
一生の恥。
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硬いものを噛まないのと同じで、頭で考えずに都合のいい言葉と話しやすい言葉ばかりで惰性で話していると年を取ってからあっという間に言葉を話せなくなりますよ。
モノゴトを表現する力が衰える。
家族や業界でしか通用しない符丁とかも。
その相手がいつか必ずいなくなるという事から目を逸らしてはいけないと思います。
頭で考えずに話してると、人間ダメになって行くんですよ。
言葉は思考を司る器官なんです。言葉が劣化するというのは思考の劣化と完全に同義です。
かつてはコントや落語で、映画や脚本で、士業や専門職で、しっかりと考えて言葉を紡いで生きてきたはずの人たちがTVの「司会」だとか「コメンテーター」だとかの仕事しかしなくなってから、歳をとってから、どんどんつまらなく、おかしくなっていくのを僕らはもう30年も40年も前から見てるじゃないですか。
あなたもああなりたいんですか?
僕はちょっと、嫌ですね。
そうならないように、できることはたくさんあると思います。
おしまい。
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外国語を専攻していた身として、英語の歴史を辿りますと、善し悪しは別として言語としては明確に退化したと言えます。
変化が急速すぎて書き言葉との乖離が大きい。大母音推移。その後も簡略化が著しい。
なぜ今英語が世界中で共通語として使われているのかと言えば、やっぱり簡単だからなんですよね。
もちろんそれをもって英語を低俗な言語だというつもりはありませんが、名詞の性差や時制等は明確に簡単になっています。
このあたりは色々な仮説があって専門家の間でも歴史的によく荒れるんですけど、少なくとも語彙や表現法が少なく、表現のダイナミックレンジが狭い言語を用いた場合、同じ状況を表現するのにより多くのエネルギィが必要になるのは事実です。
消耗を避けるために概念自体を消してしまう可能性は十分考えられますね。
まして個々人の内部においては、ね。
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