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逆から歴史教えろ論は定期的に出ますけどどう考えても絶対無理ですよ。枝分かれではなく収束になるから。
あれをプッシュする人ってたぶん思い付きで話してますよね。
実際に歴史の教科書を手に取って、何も知らない子供に日本の歴史を教えるとしたらってまじめに考えてみましょう。
現代の何を起点にさかのぼるかって話になっちゃうんですよ。
「Xという人がいてこの人の弟子や子孫達がこんなことをしました、現在のAA、BB、CCにつながっています」
「現代のAAの基礎はXさんが作りました。Xさんの先祖は一橋家の家臣でした。一橋家とは~」
BB,CCに触れるにはそこからまた遡らないといけなくなるんですよ。
枝分かれではなく収束になるから知識の多様性や発展性が失われ易くなっちゃうんですよね。もしくは、先生の教えたいことだけを教えるということになるかな。それはそれでどうなの?って思いますね。
だから概念としてはなかなか面白そうに見えるんですけど、一回でも本当にやってみようと考えてみるとそのデメリットとむずかしさに気づくはずです。
これを良いんじゃないかとか思っている人はやっぱり、ある程度歴史の知識がある人だし、実際やろうなんて思ってないでしょ。
自分の好きなものや興味を引いた一つの事柄に対してどんどん掘り下げていくには良いんです。でもそれは学習ではなく、研究なんですよ。
(小)中高生に必要なのは入口の提供と、3年後のクイズ大会に向けたルール説明であって、専門家の育成ではないんですよね。
ということで、そういうのは大人になってからやりましょう。
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そして、毎年毎年時間切れで近現代に間に合わないのは良いことだったかもって最近は思うんです。
僕は音楽の教科書の最後のページにプリントを糊付けさせられるような進歩的()な学校にいたもので過激な思想の先生方を何人もお見掛けしましたよ。とても公務員とは思えないような。
彼らに近現代まで教わってたら、どうなってたんだろう。
多分テレビや新聞よりももっと赤い人間になっていたかもしれないし、もしくは逆張りで極右になっていたかもしれません。
自分の意志で触れたいと思う人以外は触れなくていい領域です。というか、ただの暗記クイズにしておかないと危ない。
特にWW1以降はデリケートすぎます。100年しか経ってないんですよ。
そこはもう、まだ歴史じゃないんですよ。
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子供って興味のあることや面白いって判ってしまったことには自分から勝手にのめりこんでいくんですよ。
その貪欲なスポンジにとって学校だけなんて全然足りない。インターネットも本も、テレビも映画もゲームも総動員してもまだ足りない。
近代史は研究途上だったり議論が続いていたりいまだに新しい発見があったりします。いまの教師がそれらを踏まえてフラットに語れるような能力を持っているとは到底思えませんから、そのスポンジに泥水を流し込まれるくらいだったら知らないほうがマシかもしれません。
受験勉強のための暗記大会はどうぞ今まで通りで。
ですが、思想までコントロールしようなどとゆめ思われぬよう。無意味です。
近現代は、親子ですら意見が割れるような場所です。
知りたい子は勝手にどんどん進んで、そして本当の意味で思考の多様性を身につけて、その後に自分で勝手に遡り法で研究していくでしょう。
いまのあなた方のように。
おしまい。