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世界はDV男のために

私たちは遠距離の末、私は日本で出産した。

つわりはほぼ最後まで続き、陣痛が全然来なくて3日間誘発した後やっとやってきて、私は出産後すぐ気を失うという、色々大変な出産だった。

私は正直夫には出産に立ち会ってほしくなかったし、むしろもうこのままいなくなってくれれば良いのにと思っていた。

出産の頃にはそれほど旦那の暴言がひどく、理不尽なもので、もう夫の言葉全てがただただ鬱陶しかった。

要するに夫はいつも全てにおいて文句を言っているのだ。
そして夫って、夫がよくないと思うことは全て人のせいで起こる。
良いことは夫がしたから起こるのだ。

夫が通る時はいつも信号が青でなければいけない。
夫がオーダーした料理はいつも美味しくなければいけない。
レストランに行くと、ウエイトレスは絶対夫に愛想良くしなければいけないし、サービスしなければいけない。
世界中の全ての人が夫に優しく、親切でサービスしなければいけない。

私にはそういうふうに見えた。

夫はいつも俺はここに相応しくない男だと思っていた。
俺はもっと高いレベルの人間だと思っていた。
夫は勉強ができて、良い大学を出ていれば皆んな夫にひれ伏すべきだと思っていた。

夫は外に出ると、とても社交的に振る舞い、夫のことを悪くいう人など誰もいなかった。
夫はサービス精神旺盛で、飲みにいけば隣の人と仲良くなって奢ったりするような人だった。

そして夫はいつも人に私のことを素晴らしい女性なのだと紹介していた。

私といる時も、基本的には私に重いものを持たせないし、料理もさせないし、運転もさせないし、私の作った料理に文句を言ったことは一度もない。
怒り狂っていても、それは変わらなかった。

だから夫から逃げるのに10年もかかってしまったのだ。

怒っていても私に対してケチることはなかったし、口では私のことをゴミだ、ゴキブリ以下だと言っていても私が欲しいだろうと思うものは惜しみなく買ってくれた。

暴言を吐きまくり、暴力が毎日のようになっても夫は私の好きそうなレストランを調べたり化粧品を買ってきたり、好きな服を買いに連れて行ったり、それは最後まで出会った頃と変わることはなかった。

だから私は夫を信じようと頑張ってしまったのだ。

DVは飴と鞭と言うけれど、本当に夫は典型的なそれだった。

今でも時々思う時がある。
夫は夫なりに苦しんでいたのだろう。
 
DVは脳の病気なのだ。
私にも夫自身もどうしようもできない。

それがわかるまで10年、、いや夫から逃げた後もまだ夫のことを可哀想と思うと同時に怖いと思っていた。

私も困っている人を助けずにはいられない性格であること、責任感が強く自分の選んだことは最後までやり遂げなければいけないという正義感の強いタイプなところを利用されたのだと思っている。

夫も変わらなければ、私も変わらない。

今なら分かるのに、あの時はただただ夫が怖かった。
ただただ、自分と子供を守ることに必死でイエスマンになっていた。

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