プピプピ鳴る子ども靴を考え出した人にノーベル平和賞を贈呈したい。
諸君、私は音フェチである。
どれくらい音フェチなのかというと、靴磨きの動画の音が好きすぎて自分でも靴磨きし始めるくらい音フェチである。
諸君、音フェチはいいぞ。
なにせ日常のすべてが環境音だらけだからだ。
まるっと味わい尽くせる。
ただし黒板を爪で引っ掻くのだけは勘弁な。
でもチョークがカカカカッって黒板に文字を紡ぐ音は好きなのだ。不思議だよね。そして身勝手なものだ。
商業施設や駅の階段をコツコツ歩く革靴やヒールの音も大好きであるし、夕方に道を歩くと、近くの体育館から聞こえてくるキュッと靴と床が擦れる音も好きである。
パコンッと小気味いい音を立てるテニスも捨てがたい。
雨と風の音は既に殿堂入りを果たし、
川のせせらぎにおいては言わずもがな、
音楽の素晴らしさについては今回は語るに及ばず、
郵便配達員さんの奏でる郵便箱と手紙による伴奏のストンッという音も好きであるし、原付がブロロロ…と走り出すあの音もまた味わい深い。
ゲームセンターの各々が主張し過ぎてしっちゃかめっちゃかになっている音も面白くて好きだ。
赤ちゃんや小さい子の泣き声は本人や親御さんは大変であろうけども、あの全身から迸るような感情の爆発は聴いていて清々しさも感じたりする。
布の擦れる音であるとか、ビニール袋がカシャカシャと鳴っている音であるとか、カメラがシャッターを切る音もまた然り。飲料水がコップに注がれるあのトポポポという音は永遠に注がせてくれ!と叫びたくなる。
料理の包丁が紡ぐ野菜とのハーモニーは、もはや包丁は楽器なのでは?と錯覚する。まな板がいい味出してるんだあのジャンルの音楽は。私は知ってるんだ。
でも蚊が耳元で飛んでる音は駄目なのだ。身勝手なものだ。蚊と黒板の爪の音は私に異議を申し立ててもいい。君達にはその権利がある。
ページを捲る音であるとか、ジッパーが口を開く時の音であるとか、爪を切る絶妙なぱちんっという音であるとか、鍵がしまる時のガチャっと鳴る音なんかも好きだ。大好きだ。
お風呂の表現方法として「かぽーん」というオノマトペを産み出した漫画家の高橋留美子先生は私が言うまでもなく天才であるし、町田一八先生と長田悠幸先生が描かれている「シオリエクスペリエンス」という大傑作の漫画はもっと世間に知られるべきだ。あの漫画の凄まじさは常軌を逸脱している。なんせ音が視える。
トトロが傘の事を素敵な楽器だと思った気持ちが私には痛いほどよくわかる。あの雨を弾く音は完全に楽器である。本当に素晴らしい。
動物達の鳴き声も無論好きだ。遠くから聴こえてくる学校のチャイムの音もいい感じに胸が締め付けられて好きだ。自分が食べる漬物の咀嚼音も、人が食べる漬物のコリコリした咀嚼音も好きだ。漬物って歌なのでは?説を私は提唱する。
部屋の電気のスイッチのon/offの時のカチッとした音と、自販機から飲み物が吐き出される時のあのガコンッという音もやみつきになる。
そして。
そしてだ。
あの、小さな子が歩く度に奏でられるプピプピなる靴の音はなんだ?
なんだあれ?天使のラッパか?福音か?
あの愛くるしさと、いい感じに力の抜けるような絶妙なプピプピ音は聴いていてクセになる。
あれは平和の象徴であり、可愛さの暴力である。
無限に聴いていられる。でもずっと聴いていると完全な不審者であるので、遭遇した時に私はいつも自分の中の後ろ髪引かれる想いを断ち切り、へばりついて動こうとしない足をベリベリと引き剥がし立ち去る羽目になる。
そしてあの平和の象徴を履かせてくれた親御さんと、履いてくれたお子さんと、この出会いに感謝する。
耳に絶大な多幸感が残るのだ。
あの靴を思いついて開発してくださった方々よ、売り物として運び、売ってくれているすべての方々よ。
買って履かせてくれたすべての親御さんよ。
履いてくれたすべてのお子さんよ。
本当にありがとうございます。
あなた方こそ、平和の第一人者だ。
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