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📖凪良ワールド⛩️『わたしの美しい庭』🎇

『わたしの美しい庭』


古いマンションの屋上には手入れの行き届いた美しい庭があり、緑の小道の奥には赤い祠の縁切り神社がある。
祠には今日も形代を納めにいろんな人がやってくる。
まだ三十代半ばの若い宮司の丁寧な仕事のあとはカフェのような美しい庭のベンチで、彼の可愛い同居人が淹れてくれる美味しいお茶とお菓子で心を癒されて帰って行く。
病院でレセプトの仕事をしている桃子。
オープンカーで居酒屋をしている路有ろう
うつでリタイア中のもとい
若者でもない中年でもない『三十代』という、ちょっぴりくたびれかけた中途半端な年齢の、それぞれの世間体と自己嫌悪を凪良ゆう持ち前の心理描写で浮き彫りに。
そんなオトナ達を鋭い洞察力と屈託のないひとことで一刀両断する十歳の百音もねが一番大人に見えてしまう。
ふっと力を抜くことが許されるんだと気づかせられるオトナ達。


✨✨✨✨
三十代。
卒業して就職してある程度の年数とキャリアを重ねているのに、このままで良いのか?
と、ふと振り替えってしまう年齢。
二十代の時に許されていたことはすでに出来て当たり前。
「普通」が出来ないとはみ出し者扱い。

じゃあ、「普通」って誰にとっての普通だろう?

どこまでが「普通」でどこからがそうじゃないの?

掛けられる期待に押し潰されそうになって、疲れていることにも気がつかない。

そうあるべき。
そうするべき。
~でないといけない。

がんじがらめで、抜け出せない時には立ち止まっていいんじゃない?

誰でもない、自分が思う「普通」をありのままに。

自分の人生の主役は誰でもないジブンなんだから🎵


百音と統理とうりは血は繋がっていないけど、親子のような関係だ。でも、マンションの住人たちのなかにはおせっかいから「なさぬ仲」の心配事を噂するものもいた。幼い百音は正体不明の不安を統理に尋ねた。
すると統理は
「僕と百音の関係はぼくと百音が作り上げるものなんだから、他の人があれこれ言うことに意味はない。意味のないことを気にするのは時間の無駄遣いだ」
と言って百音を膝に乗せた。

統理のこの物事の捉えかたは有る意味理想だ。

百音がそれを身につけることが出来たのは幼いうちに統理とこんな風に語り合えたからかもしれない。

時間の無駄遣いだからと、割りきって考えないことができれば、みんな悩みはしない。
わかっているけど、自分を取り巻く環境になるべく摩擦を起こしたくないから、自分をそちらの型にはめようとしてしまう。

でも、違う形に変えたつもりで収まったところで、どれほどの他人がそれを最後までみてるのだろう?
正直ほぼ見てはいない。
みんな自分のことで精一杯だから。

だから、時間の無駄遣いに気づいて、自分を解放していいんだと、統理の言葉が心にすとんと落ちてくる。

著者、凪良ゆうの作品には、「普通」は自分の中にあるんだといつも教えてくれる。

そう、思わせてくれた一冊。

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