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千家系茶道が恋歌を禁止、理由は二つ?

 茶道を初めて一年半のヒヨッコの私が、初めて知った茶道のタブー。それは茶道と恋歌の関係である。
 茶道の流派で大名系に対する、特に千家系において「古典文学の恋歌」が特別な時以外は、使わないようにしていると言うのである。
 茶道の基礎教養とされる古典文学といえば大抵、男女の仲を歌った短歌がメインになる。そこに問題があって使わないと言うのだから、問題である。
 また、noteには茶道についての記述が沢山ある。しかし、「茶道にとって古典文学は基礎教養」といわれるのに、実際にそのことについて書かれた 記事が、noteの中ではあまりに少ないことに気付く。

 表千家四代の江岑宗佐が利休の話をまとめた「江岑夏書」。その中の寛文三年七月七日の記述の中に掛け軸について、こういう一文がある。

一 恋の歌は掛け候事、休不被成候、藤原定家ニも三幅在之

「休不被成候」の意味は、「利休はなさざりしそうろう」という感じか。さらに藤原定家の短歌の掛け軸では三つの掛け物を使うが、基本的に恋歌の掛け物は使わない、と言うことの様だ。
 千家系に対するところの大名系の茶道では、逆に恋歌の掛け軸を使うらしい。

 千家系茶道が恋歌を禁止した理由は、二つある。一つは、恋歌の掛物は下手をすれば茶会の品格を落とすといった危険性があるためである。もう一つは、茶会に女性が参加するようになったためであると言う。
 禁止を決めたことの根底には、儒教の影響があったようだ。では、より強く儒教の影響を受けている大名系、武家系の茶道はどうして恋歌の掛け軸を使うのか。それは、茶道そのものの性質として、日常の空間から離れて非日常の空間を演出する、と言う考えから来ていると言う。大名系、武家系の場合、日常が儒教の影響下にある。故に非日常を演出するために恋歌の掛け軸を使うと言う説明が、国文学のとある博士の著書の中にあった。
 
 古典文学の短歌などから名付けられた茶道具の銘を歌銘という。その中には、恋歌から名付けられたものも多い。その数は特に古い道具に多い。しかも、そのほとんどが大名系茶道の小堀遠州によって付けられた。
 茶道具の銘は、恋歌から付けられた銘に限らず、その銘が茶の湯の席の「歌ことば」や「歌枕」として作用し、客に対して、その茶会のイメージを喚起させるという重要な役割を担っている。
 それなのに悲しいことに道具の歌銘は、その本歌が何であるかについては、あくまでも重きを置かないとされる。ことここに至っては、何をか言わんやである。
 本歌を無視して歌銘を道具に付けておきながら、何を持って古典文学を茶道の基礎教養というのか。
 こうなると夏目漱石の言葉(※参照、私のnote=「われならで下紐解くな〜」伊勢物語はなかなか愛いな短歌揃い〜茶道で昇華するには)が真実味を帯びて、迫ってくる。
 あまりに複雑に入り組んだ迷路のようなお点前を前にして、その真の姿が見えなくなってしまいそうだ。


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カゲロウノヨル
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