私の「結婚と家族のこれから」 ~吾輩は結婚するのか~

インターネットがそう呼ばれるのは、インターネットが単なるネットワークではなく、ネットワーク間のネットワークとしてネットワークどうしを結びつける機能もちながら存在するからであり、だからこそ間をとりもつ媒介は不可欠である。同じ意味で、読書会コミュニティの単なる寄せ集めとしてでなく読書会コミュニティ間のコミュニティが中間団体として公の存在として重要な位置を占めるジェイラボにおいて、アトム的読書集団をなにがしかの共通項で括りあげる図書委員が果たす役割は大きい。今回、図書委員の皆さんは「サンショウオの四十九日」「結婚と家族のこれから」「異世界はスマートフォンとともに。」に「身体性」というテーマを見出した。そして私は、筒井淳也「結婚と家族のこれから 共働き社会の限界」を読んだ。この記事はその感想です。

どんな本か

家族の形態が、エネルギー的/経済的/法的要請とその他諸々に制約されて決まることを説明する一冊です。これ読めば、基礎知識としては、Twitter (現: X) で「男女論」と分類されるような議論はすべてミュートしてしまってよいぐらいだと思います。
というのも「お見合い」「無償労働」「家父長制」といった、雑に使われがちな用語も妥当に思えるひとまずの定義が与えられ、整理されています。無闇矢鱈に自分や自分の性別的立場を肯定し、増長させるような言説に対する免疫になると思います。
さらに、さまざまな調査と統計的な検討にもとづいていて、終始穏当で危ういところがあまりありません。退屈に感じる向きもあるかもしれませんが、「家族」とか「恋愛」とか、本書によれば数百年数千年単位で断続的にさまざまな形態をとりながら続いているものが本質的に過激なはずはなさそうなので、まぁ納得できます。
いろいろ調査をしてみてそれでもなお、現時点では「人々がそんなもんだよな」と思っているからそうなっている、とでも解釈するしかないような事実がみつかるのも面白いです。具体的には男女の家事分担における「イデオロギー仮説」というやつです。(日本の) 男女の家事分担が偏っているのは、共働きになっても(つまり、時間や稼ぎの面で男女が対等に近づいたとしても)「夫は外でお金を稼ぎ、妻は家庭のことをする」という思い込みが温存されているので、実際に家事の分担が偏ってしまうそうです。
本書を読んだらあとは、話が通じるけど (←ここ大事) 自分と立場の違う人と感想を言い合うぐらいでかなり地に足のついた結婚観が身につきそうです。この手の社会学的な知識は自分が幸せになれる程度にあればよいと思う立場なので(僕は、学者・評論家でもなく、まして、志を立てて社会変革せむ! とは思うべくもない小市民です。) 以下では、この本をきっかけにやりたいことを考えます。 

やりたいこと。

自分と恋愛観や結婚観が違うだろう一緒に読みたい本だなと思いました。例えば、女性、既婚者、親・祖父母世代の人といっしょに読むとかです。こういったジャンルでさえ、割と頭でっかちに読みがちな若年(?)未婚男性の自分としては、「人生経験」的なものからくる意見に触れてみたいという気持ちがあります。一緒に読まないまでも、本書で出てくるような考え方や「バイアス」をどう思うか人に聞いてみたいですね。

あと、自己啓発っぽいですが、恋愛と結婚についての知識を得たわけですから、なにがしかの形で有用に使いたいと思うのは自然でしょう。国別のデータをはじめとして、いろいろな比較が色々乗っているわけですが、自分や周りの人が当たり前だと思っていたものが、日本に住んでいること、現代人であること、特定の社会階層であること、からくるものであると知ることによって、バイアスを意識した選択を今後取れるようになると思います。日常生活と隣合わせの話なので、いきなり地球の裏側までナンパの旅に出るとかはできませんが、なんとなく保守的に選んでいたものを別のものにしてみるぐらいのプチ実践から始めていきたいと思います。

いやー、はやり生活に近い話は面白いですね。


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