【まえがき全文公開】東畑開人『雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら』
臨床心理士・東畑開人さんの最新刊『雨の日の心理学』は、職場で、家庭で、身近な人のこころをケアする人のための心理学入門。
「雨の日」とはそもそもどういうことなのか?
まえがきを全文公開します。
まえがき――雨の日のガイダンス
こころのケアははじめるものではなくて、はじまってしまうものである。
つまり、自主的に、計画的に、よく考えて契約書にサインしてから開始するものではなく、受け身的に、期せずして、否が応でも巻き込まれてしまうものです。
よく晴れた休日に散歩に出かけたら、突然大雨が降ってくるようなものです。そういうとき、僕らは当初の予定を変更して、とにもかくにも雨宿りをできる場所を探したり、傘を買ったりしなければいけなくなります。
同じように、ある日突然、身近な人の具合が悪くなる。
子どもが学校に行けなくなる。パートナーが夜眠れなくなる。老いた親が離婚すると言い出す。部下が会社に来なくなる。あるいは、友人から「もう死んでしまいたい」と連絡が来る。
突如として、暗雲が立ち込める。
どうしてそうなったのか、なにをすればいいのか、これからどうなるのか、全然わからない。
でも、雨が降っていて、彼らのこころがびしょ濡れになっていることだけはわかります。
そのとき、あなたは急遽予定を変更せざるをえません。とにもかくにも、なんらかのこころのケアをはじめなくちゃいけなくなる。
傍にいるのがあなただったからです。その人があなたの大事な人であったからです。
ある日突然、あなたは身近な人に巻き込まれて、雨の中を一緒に歩むことになってしまう。
こういうことがどんな人の身の上にも起こります。
人生には、こころのケアがはじまってしまうときがある。
ですから、突然の雨に降られている方々に向けて、あるいは長雨の中で日々を過ごしておられる方々のために、心理学の授業をしてみようと思います。
雨が降ったら、傘をさすように、こころのケアがはじまったら、心理学が役に立つと思うからです。
あ、でも、晴れた休日に読書を楽しもうとしている方も、もちろんウェルカムです。
長い人生、いつ雨が降るかわかりませんし、折り畳み傘を鞄の中に入れておいても、損はありませんよね。
*
改めまして、こんにちは。
東畑開人と申します。臨床心理士をしています。
これまで学校でスクールカウンセラーをしたり、病院で働いたりしてきました。その後、大学で臨床心理学を教える仕事をしていたのですが(この時期、授業のやり方を学びました)、今は自分でカウンセリングルームを開いています。
町医者ならぬ、町の心理士です。
ゆりかごから墓場まで、つまり子育ての悩みから遺産相続の悩みまで。町で暮らす人たちのあらゆる相談が持ち込まれます。
世の中にはほんとうにさまざまな悩みがあります。
人生のどんな段階・境遇にあっても、人間関係というものが必ずつきまとうからなのでしょう。こころとこころが一緒に居ると、そのあいだにはなにがしかの悩みが生まれてくるものです。そこに喜びや慰めもあるわけですが、こころとは厄介なものですね。
ですから、そういう話をよく聞き、心理学的に理解して、どうしたらこころとこころがうまくやっていけるのかを一緒に考えたり、アドバイスをしたりするのが、僕の仕事です。
これから、そのような経験を活かして、こころのケアのための心理学をお話ししていこうと思います。
こころのケアとは何か、どうすればこころをケアできるのか、その本質から小手先の技術までを惜しみなくお教えする全五回の授業です。
このまえがきは、いわばガイダンスになります。
この授業でどんな話をするのか、最初に大枠を説明しますね。
このとき、なによりも押さえておきたいのは、心理学には三種類あることです。
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世の中には三種類の心理学がある。
そのうち、ふたつはわかりやすい。
たとえば、大きな本屋さんに行くとよくわかります。
店頭の陽の当たる平積み台には『子どもの褒め方』とか『部下の伸ばし方』とか『自己肯定感の上げ方』みたいな本がずらりと並んでいます。
これに対して、店の奥の方、薄暗くて閑散とした本棚には、『うつの臨床心理学』とか『不安の認知行動療法』とか『日本のありふれた心理療法』みたいな本がギューギュー詰めになっています。
二種類の本がある。
素人のための心理学と専門家のための心理学です。
素人のための心理学。
一般市民が自分自身や身近な人をケアするための心理学です。
たとえば、『子どもの褒め方』みたいな本には、「頑張ったときには、頑張ったね、と伝えてみよう」的なことが書かれています。
褒められると、元気が出る。
当たり前、と思われるかもしれません。
でも、子どもとの関係に悩んで、追い詰められているときには、当たり前のことがわからなくなってしまうものです。
あるいは、頭ではわかっていたとしても、カーっとなっていたり、すっかり落ち込んでいたりするから、「頑張ったね」と素直には言いにくくなってしまう。
そういうときに、この手の本は当たり前のことを思い出させてくれます。
「そうなんだよな」と改めて思えることで、「頑張ったね」と一声かけることができるようになる。
素人のための心理学とは、当たり前のこころの動きがどのようなものかを再確認させてくれて、当たり前のこころのケアを再開させてくれる「常識の心理学」だと言えます。
もうひとつが専門家のための心理学です。
心理士や精神科医、看護師やソーシャルワーカーなどのようなこころの専門家が、仕事としてケアをするための心理学です。
たとえば、『うつの臨床心理学』みたいな本には、「うつ」とはどのような病気なのか、どのようなタイプの「うつ」があるのか、「うつ」になると世界はどのように見えるのか、原因は何か、症状は何かなどなど、専門的な内容が専門的な言葉で書かれている。
ここにあるのは、常識だけでは対処できないような、当たり前じゃない動き方をするこころについての専門知識です。言い換えれば、病気や障害、問題行動についての心理学ですね。
こういう専門知識を、僕ら専門家は大学の授業で学んだり、休日の研修会で勉強したり、自分で本を読んだりしながら、日々の仕事をしているわけです。
素人のための心理学と専門家のための心理学がある。
それはすなわち、素人によるこころのケアと専門家によるこころのケアがあるということです。
このとき、専門家によるこころのケアこそが上質で、素人によるこころのケアは低品質だと思われるかもしれませんが、そうではない。
この二つは守備範囲が違います。野球で言えば、内野と外野みたいなものです。いや、違うな。セカンドとほかのポジション全部+補欠+監督+マネージャーみたいなものです。
素人の方が断然広い範囲をカバーしています。
たとえば、体のケアを思い浮かべてみてください。インフルエンザにかかったとき、診断や病気のメカニズムの説明については、お医者さんの専門知識が信頼できます。これが専門家の守備範囲。
でも、療養中のケアとなると、話は変わってきます。
インフルエンザで寝込んでいるとき、最終的にケアをするのは素人だからです。
ベッドに体を横たえるのは本人の意志だし(これをセルフケアと言います)、そのために仕事を調整するのは職場の同僚です。食事を作ったり、洗濯をしたりして、生活を支えるのは家族。
本当のところ、病気からの回復の九割五分を支えているのは素人によるケアです。
こころのケアも同じです。
こころのケアの九割五分は素人によってなされている。
詳しくは一回目の授業で説明しますが、これがこの授業の基本的な認識になります。
ですから、今から行われるのは、専門家向けではなく、素人のためのこころのケア教室です。
家族や同僚、友人のような身近な人を、素人としてケアするための心理学とはどのようなものか。
これをお話ししていきましょう。
とはいえ、専門家の方々ももちろんウェルカムですよ。
素人たちがどうやって互いをケアするかがわかっていないと専門家としての仕事はできないし、専門家の人生にだっていつ雨が降るかわかりませんからね。
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さて、これで終わりではありません。
もうひとつ、ガイダンスをしておくべきことがあります。
さきほど、僕が心理学には三種類あると言ったことを覚えておられますか?
そう、三つ目の心理学の話をしなくてはいけません。
ただし、素人のための心理学と専門家のための心理学とはまた別に、もうひとつの心理学があるということではありません。
そうではなく、素人のための心理学をさらに二種類に分けることができる、というのがミソ。
もう一度、『子どもの褒め方』に戻りましょう(『部下の伸ばし方』でも、『自己肯定感の上げ方』でもいいのですが)。
そこには、頑張っているときには「頑張ったね」と言ってあげよう、と書いてありました(相手の話をさえぎらずに最後まで聞こう、でもいいのですが)。
それは正しい。
誰だって「頑張ったね」と褒めてもらえたらうれしいし、次もまた「頑張ろう」と思える。あるいは話を最後まで聞いてもらえたら、元気が出ます。
繰り返します。まったくもって正しい。
だけど、実を言えば、その正しさには「晴れの日に限る」という但し書きがつきます。
次のようなときがあるからです。
「頑張ったね」と声をかけると、子どもが「俺のことなんもわかってないだろ!」と怒りはじめる。
「頑張ったね」とフィードバックしたのに、部下は「どうせお世辞に決まっている」と疑っていて、こころを開いてくれない。
仕事帰りにコンビニスイーツを買って、「頑張ったね」と自分に言い聞かせるのだけど、「こんなのゴマカシだ」と虚しくなっているあなたがいる。
そう、ふつうだったらケアになるはずの言葉が、こころを傷つけてしまっている。
人生には晴れの日もあれば、雨の日もあります。
健やかなるときもあれば、病めるときもある。
元気なときにはうれしい言葉も、調子が悪いときにはチクチクして聞こえます。
晴れの日には正しいケアも、雨の日には間違いになることがある。
ですから、素人のための心理学には晴れの日の心理学と雨の日の心理学の二つが必要です。
「頑張ったね」の一言が、きちんと相手のこころに届き、ケアすることができるのが、晴れの日です。
相手がそれなりに元気なとき、ふつうの調子のとき、通常運行のときに、なにをすればこころのケアになるのかを教えてくれるのが晴れの日の心理学。
これに対して、「頑張ったね」と言われても、こころに響かず、かえって相手を傷つけてしまうのが、雨の日です。
相手の具合が悪いとき、病んでいるとき、非常事態のときに、どうすればこころをケアできるのかを教えてくれるのが雨の日の心理学。
この雨の日の心理学を、この授業ではお話ししてみようと思うのです。
というのも、それこそが僕の日々の仕事であるからです。
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人々がカウンセリングにやってくるのは雨の日です。
身近な人の具合が悪くなる。よかれと思っていろいろな対処をする。だけど、うまくいかない。事態はむしろ悪くなっている。
晴れの日の心理学ではケアできない。
そういう事実に直面したときに、人は町の心理士を訪れます。びしょ濡れになりながら、「どうしたらいいですか?」と尋ねます。
これに対して、僕は専門知識を使って、問題を理解しようとします。
具合が悪くなっている人の抱えている豪雨のような不安を理解し、ケアしようとしている人とのあいだで起きている台風のようなコミュニケーションを分析する。
専門家のための心理学は、具合が悪いときのこころについて多くを教えてくれます。
そのうえで、アドバイスをする。
身近な人のこころのケアをするために、なにをするとよいのか、なにをしない方がよいのかを、具体的に、実務的に助言する。
このとき、僕は専門家のための心理学をそのまま処方するわけではありません。それを変形しています。専門知識を素人のための心理学に練り込み、混ぜ込み、ケアする人が日常で使えるものにするわけです。
これが雨の日の心理学です。
こういうことです。
雨の日の心理学とは、専門家のための心理学を、素人のための心理学に微量だけ忍び込ませたものです。
晴れの日の心理学では対処しきれないとき、こころの不調についての専門知識を活用することで、日々のこころのケアを可能にする。
そういう仕事を僕は日々やっている。
ですから、これからはじめる授業はカウンセリングのおすそわけです。
僕の畑で穫れた雨の日の心理学を、産地直送でご自宅にお届けします。どうか身近な人と一緒にご賞味ください。
そういうコンセプト。
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各回の内容は以下の通り。
一回目と二回目では、こころのケアとは何か、雨の日の心理学とは何かについて、理論的なことをわかりやすく説明しようと思います。ここまでお話ししてきたことの詳しい解説にもなるはずです。
三回目と四回目では、具体的に何をするといいのか、あるいは何をしないといいのか、こころのケアのための小手先の技術をお教えします。とりわけ話のきき方と、おせっかいの仕方がテーマです。
そして、最後の五回目は、ちょっと趣向を変えて、ケアする人が元気でいるためには何が必要なのかを考えてみようと思います。
さあ、これでガイダンスはおしまいです。
いかがでしょうか。
もしあなたが受講してみようと思ってくださったなら、ぜひ想像してください。
今から町の心理士の、町で暮らす人々に向けた「こころのケア教室」がはじまります。
あなたは公民館の一室や、商店街の一角にある謎の集会所、あるいは駅前のカルチャーセンターの教室にいます。
外では雨が降っていて、狭い部屋には黒板と古びた長机がいくつか置かれています。
町で暮らす人々がぽつぽつと集まってきます。ざわざわとしている。あなたはポツンと椅子に座っている。
そこに町の心理士が入ってきます。小さく咳払いをする。
「じゃあ、はじめましょうか」
人々はおしゃべりをやめます。教室はしんとして、外の雨音だけが聞こえます。
町の心理士は続けます。
「こころのケアがはじまったら、雨の日の心理学が役に立つ。どういうことかを説明するために……」
雨の日の授業のはじまりです。
《授業の内容は、ぜひ本書でお楽しみください》