【大河ドラマを100倍楽しむ 王朝辞典】第二十回 ライフ・オブ・平安!―書く女性たち―【最終回】
川村裕子先生による、大河ドラマを100倍楽しむための関連人物解説!
第二十回 ライフ・オブ・平安!―書く女性たち―
平安時代、清少納言や紫式部、それに和泉式部といった何かを「書く」女性たちが集中して登場しました。千年前にこんなに高度な作品が、しかも女性たちによって残された、という事実は世界を見てもなかなかありません。ヨーロッパでは吟遊詩人が詩を残している、といった程度でしょうか。
それでは、なぜ彼女たちが「物を書くように」なったのか。今回はそれについてお話していきましょうね。
まず、女子が物を書くようになったきっかけがあります。それは政治的なことなのです。言うまでもなく藤原政権は天皇を取り込んで力を得ていきました。それは自分の娘を天皇の妻にして、そこにできた男子(皇太子)の後見になったからですね。
有名なところでは娘の彰子が敦成親王を産んでから、権力が増強した道長などが挙げられるでしょう。
そしてこの彰子に有能な家庭教師をつけたのでした。それはなぜだかわかりますよね。教養のある女子には天皇が興味を示すから。つまりおもしろい物語を書く人がいる、とか、すばらしいエッセイを書く人が家庭教師にいる。こういったことはすぐに後宮の噂になります。するとこんな噂を聞いた天皇は、優秀でおもしろい家庭教師がいる、という女子のもとに通って来る、というわけです。そして通いが多いと皇子が生まれる確率が高くなる、ということなのです。
何だか身も蓋もない実利的なお話をしました。
ところで、天皇が物語などに興味を持つのは不思議な感じがするでしょう。ただ、この時代は権力者にとって文化を統括することが大きなドリームだったのです。だから娘を中心にして大きなサロンを作りました。
そこには歌人たちや物語を作る人たちが、たくさんいたわけですね。文化を集めたようなサロン。このサロンには、今、残っている人々だけではなく、もっとたくさんの作家たちが居て、さまざまな作品が書かれていた、と言われています。
そのなかで残った作品たちはいろいろな偶然があり、また内容が面白いという理由もあり、歴史のなかで継承されてきました。そして、今現在、奇跡的に残っているんですね。
さて、そうはいうものの、たとえば自分のお仕えしている人から「あなたは家庭教師なのだから面白い物を書きなさい」と言われたところで、誰もが書けるわけではありませんよね。
書くということはつらいことです。だから外から言われるだけでは書けません。何か自分のなかに内的動機が必要ですよね。内的動機というと難しいですけど「書く理由」といったことでしょうか。
まず当時の女子の大半は「待つ生活」です。来ない夫を待ちます。ずっと待ちます。妻は一人だけではなく、たくさんいます。
妻の地位は今と違って、正妻→正妻でない妻(結婚式をした)→妾、の順番でしたよね(第十二回参照)。ただ正妻といえども安定はしていません。それはいつ普通の妻や妾が自分を追い越すかわからないからです。そうです。繰り上げ当選有り、だったんです。
だいたい「女性は顔を見せてはいけない」という風習じたいが驚愕ですよね。ということで、女性たちの大半が「待つ生活」だったのです。ただし、そんな人生に対して疑問を抱く人がいたのです。「私は何のために生きているの?」「これで本当にいいの?」といった疑問。そこで一部の人たちは「浄土教」に救いを求めました。これは当時の宗教ですね。ただ、この浄土教は念仏を唱えたり、仏道修行をすると、浄土に行ける、という宗教です。「浄土」は幸せな土地ですね。でも、こんなことが目標で「今を生きる」ことができるでしょうか。「今、現在の生きる意味」をわからない人たちが「死んだ後に浄土に行ける」ことで生きる実感を持てるでしょうか。
そこで大半の目的、みんなが願っている生きる目的(待つことや浄土教)に納得しない、一握りの女性たちがいたのです。いつの時代でも、その時代の価値観からずれる人はいたのです。
こういった少数の女性たちが書くことを選んだのです。登場人物に託して、そのなかで自分の人生を生きたり、また、日記だと過去のことを再生産することが生きる目的になったり……。日記の場合は過去を反芻する、そして過去を書くことが現在の目標になるのです。
書くという行為は、非常に頭を酷使することです。でも、そのような過酷な行為だからこそ、自分の心、ナマの心を置き去りにできたのです。いやなことがあっても、距離を置いてその体験から離れられるのですね。
「これ、書いてね」と夫や自分が仕えている人に言われても、このような内側からのモチベーションがないと書けません。
そして、これらの作品をじっと見つめると、実はそこに社会的な立場の誇示があるのですよ。誇示といっても、頼まれた人物(兼家とか道長とかを)を持ち上げる、ということではありません。作品のなかにそれとなく自負を入れる、ということなんです。
『蜻蛉日記』には歌人としての誇りが書かれています。屛風歌に取られたり、また、日記のなかに数多く置かれる和歌。それが彼女の自負でした。そんなことを日記全般にわたって書いてあるのです。
また、『紫式部日記』は人物の書き分けが秀逸。これは彼女の得意技。『源氏物語』につながる形態は人物描写のなかで活き活きとしています。これはある意味、物語作家としての自負ですね。『枕草子』は言うまでもないですよね。漢詩漢文の知識から始まって定子さまとの当意即妙の受け答え。そんな様子が日記的章段を輝かせています。
そして一見、自負とは関係なさそうに見える『和泉式部日記』。このなかにもひっそりと自負が潜んでます。敦康親王(定子の子)の宮仕えというオファーがあったこと、自分の相手の敦道親王が東宮候補であったこと。こんなことがさりげなく書かれているのです。
一見自慢話のように見えますが、そこには彼女たちの本当の気持ちが零れ落ちてます。誰のためでもない「私」のために書いた作品。そこには「私はここにいる」という叫びがひっそりと隠されていたのでした。
プロフィール
川村裕子(かわむら・ゆうこ)
1956年東京都生まれ。新潟産業大学名誉教授。活水女子大学、新潟産業大学、武蔵野大学を経て現職。立教大学大学院文学研究科日本文学専攻博士課程後期課程修了。博士(文学)。著書に『装いの王朝文化』(角川選書)、『平安女子の楽しい!生活』『平安男子の元気な!生活』(ともに岩波ジュニア新書)、編著書に『ビギナーズ・クラシックス日本の古典 更級日記』(角川ソフィア文庫)など多数。
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6/8未明から発生している大規模システム障害により、「カドブン」をご覧いただけない状況が続いているため、「第十回」以降を「カドブン」note出張所にて特別公開することとなりました。バックナンバーは「ダ・ヴィンチWeb」からご覧いただけます。ぜひあわせてお楽しみください。
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