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【試し読み】『口語訳 日本霊異記』 第2回「鬼の接待」

仏教伝来から236年。ようやく一般の人びとの心にその思想が浸透しはじめた頃に、景戒きょうかいという謎多きひとりの僧侶が説話集『日本霊異記』を編みました。現存する日本最古の仏教説話集です。
古代神話の影響を残す不思議な話。冥界訪問譚や動物の恩返しといった話型は、後世の昔話などの伝承にもつながっていきます。そこには、「仏教説話」ときいてイメージするような規範的な教訓ばかりではなく、今の感覚で読むと驚くようなお話もたくさん。古代の人々の泥臭い生活や苦渋に満ちた心が見え隠れしています。
このたび、ベストセラーとなった『口語訳 古事記』の三浦佑之先生による、日本霊異記の全訳を刊行しました。元は漢文で記された難解で長大な作品を、原文に則しながらも語りかけるような口語体で訳しています。
不思議でどこかおかしい、古代のパワーを感じるお話たちを、ぜひこの機会にお楽しみください。


「鬼の接待」試し読み


閻羅王の使いの鬼が、召し出された人から饗応を受けて恩返しをした縁 中巻第二十五


 讃岐(1)の国山田の郡に、ぬのしき(2)のおみきぬという女がいました。聖武天皇のみ世のこと、衣女はにわかに病気になりました。そこで、ご馳走をたくさん準備して、家の門の左右に祭って疫病神(3)の災いをのがれるための贈り物にしました。
 そこに閻羅王の使いの鬼がやって来て、衣女をあの世に連れて 行こうとしました。ところが、鬼は走ってきたので疲れてしまい、門口に祭られていたご馳走を見て心が動き、手を付けてしまいました。
 そのために鬼は、後ろめたくなり、衣女に、「おれは、お前の饗応を受けてしまった。だからお前の恩に報いてやろう。もしや近所に同姓同名(4)の人はいないか」と切り出したのです。そこで、衣女が答えることには、「この国のたり(5)の郡に、おなじかばねの衣女という女がいます」と答えました。
 すると鬼は、衣女を連れて鵜垂の郡の衣女の家に行き、顔を確認しました。そしてすぐさま、赤い袋から一尺ほどののみ(6)を取り出すと、女の額に突き立て、そのまま連れていってしまいました。
 山田の衣女は、こっそり家に帰りました。
 さて、あの世で待ち受けていた閻羅王は、取り調べて言うことには、「これは我が召した女ではない。間違えて連れてきたな。この女はしばらくここに置いておけ。お前は急いでもう一度出かけて、山田の郡の衣女を連れてまいれ」と命じた。
 鬼は断ることもできず、山田の郡の衣女の家に行き、家の前を何度も往き来しながらようやく衣女を口説いて連れ出し、閻羅王に差し出しました。閻羅王は女を見て、「まさにこちらが命じた女である。そこの鵜垂の郡の衣女をもとの世に帰してやれ」と仰せになりました。
 女が家に帰りますと、三が日を経ていたものですから、鵜垂の郡の衣女の体はすでに火葬(7)されて失せていました。そこでふたたび閻羅王のもとにもどり、愁え願うことには、「体がなくなっていました。もどるところがありません」と言いました。すると閻羅王は女に、「山田の郡の衣女の体はそのままか」と尋ねました。女は答えて、「あります」と言いました。
 すると王は、「それをもらってお前の身にしなさい」と仰せになったのです。
 そこで、山田の郡の衣女の亡骸を身として、鵜垂の郡の衣女は生き返りました。そして言うことには、「ここはわたしの家ではありません。わたしの家は、鵜垂の郡にあります」と、こう言い放ったのです。
 驚いた両親が、「お前はわたしたちの子です。どうしてそんなことを言うのですか」と言います。しかし生き返った女は聞き入れず、鵜垂の郡の衣女の家に行って言うことには、「まさにここがわたしの家です」と。すると、その家の両親が、「お前はわたしたちの子ではない。わが子の体はすでに焼いてしまったのだ」と言いました。
 そこで衣女は、閻羅王のことばを詳しく申し述べました。
 それを聞いた二つの郡の父母は、「なるほど」と思い、両方の家の財産を女に相続させることにしました。そのために、現世にもどった衣女は、たりの父母を得て、二つの家の財産を手に入れることができたのでした。
 ご馳走を準備して鬼に饗応するのは、けっして無駄なことではありませんよ。財物に余裕のある人は、供え物を準備してもてなすのがよろしいのではないでしょうか。
 これもまた、不思議な出来事であります。

(注釈)
 現在の香川県高松市のあたり。
 伝未詳。
 原文「疫神」、流行病をもたらす神。天然痘をいうことが多い。
 直前の中24では、同姓同名ではなく生まれ年が同じ男が身代わりとして連れて行かれた。
 現在の香川県丸亀市・坂出市・綾歌郡宇多津町のあたり。
 鑿を打ち込まれて連れて行かれるのは魂のほうで、肉体はこちらに遺される。この描写から想像すると、人の魂は人の形をした透明な風船のようなものと考えられているようにみえる。
 冥界訪問を語る蘇生譚の場合は、「焼くな」と言って死ぬ場合が多いが、ここは焼かれないといけないので 何も言わない。三日を経て焼いたとあるから、これが一般的な火葬までの期間らしい。

◎ なかなか楽しい話に仕上がっている。閻羅王の使いの鬼が賄賂をとって手心を加えるという話は、直前の中24と同じで、地獄の鬼が戯画化される一つのパターンを示している。この話は、すでに安定した笑い話になっている。同姓同名の人物を身代わりにして閻羅王に差し出したり、取り替えたのがばれて元にもどされたあとに語られる焼失した肉体にかかわるドタバタなど、すでに話としてしっかりと仕組まれているように感じられるからである。三浦『増補 日本霊異記の世界』第十講、参照。


■ 書誌情報

『口語訳 日本霊異記』
著者:三浦佑之
定価:2,420円 (本体2,200円+税)
発売日:2024年11月07日
判型:四六判
商品形態:単行本
ページ数:432
ISBN:9784044008321
https://www.kadokawa.co.jp/product/322403001259/

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