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【試し読み】『口語訳 日本霊異記』 第3回「まえがき 日本霊異記の楽しみ」

仏教伝来から236年。ようやく一般の人びとの心にその思想が浸透しはじめた頃に、景戒きょうかいという謎多きひとりの僧侶が説話集『日本霊異記』を編みました。現存する日本最古の仏教説話集です。
古代神話の影響を残す不思議な話。冥界訪問譚や動物の恩返しといった話型は、後世の昔話などの伝承にもつながっていきます。そこには、「仏教説話」ときいてイメージするような規範的な教訓ばかりではなく、今の感覚で読むと驚くようなお話もたくさん。古代の人々の泥臭い生活や苦渋に満ちた心が見え隠れしています。
このたび、ベストセラーとなった『口語訳 古事記』の三浦佑之先生による、日本霊異記の全訳を刊行しました。元は漢文で記された難解で長大な作品を、原文に則しながらも語りかけるような口語体で訳しています。
不思議でどこかおかしい、古代のパワーを感じるお話たちを、ぜひこの機会にお楽しみください。


「まえがき 日本霊異記の楽しみ」試し読み


ま え が き


 ここに取りあげる日本最古の仏教説話集『日本霊異記』三巻には、話ごとに題名の付いた一一六の話が収められている。別の話として分離したほうがいいと思われるものが四話ほどあるので、総話数は一二〇になる。そのすべてを、最初から漏らさずに最後まで読みぬいてみようというのが本書の目標である。
 各巻の冒頭には序文が置かれ、仏教伝来の歴史や因果応報への畏れなどを通して、編者である景戒の編纂意図が述べられている。書物としてはその「序」から読みはじめるのが筋だろうが、本編に入る前に宝の山への興味を削いでしまってはもったいないという配慮を優先させ、序文は一括して巻末に置き、この「まえがき」を序文に代えることにした。
 日本霊異記の正式書名は『ほんこくげんぽうぜんあくりょう』という。書名は本書の内容を的確に示しており、善い行いをしても悪事をはたらいても、かならず現世(この世)で報いを受けるという仏教の教えが顕現した実例を、日本国中から集めた書物という意味だが、いささか長いので中を抜いて日本霊異記という名で世間に通用している。編者の景戒はケイカイともめるが、ここでは一般的なキョウカイに従う。なお、景戒という名は出家して付けられた法名で戒律にしたがうというような意味だが、本名はわかっていない。人物についてはあとで紹介する。
 本書では、その日本霊異記に収められた説話の一つ一つを、お話として楽しんでも らおうと心がけた。原文に寄り添いながら口語に訳したのもそのためである。原文は仏教のことばを含めて難解な漢語がまじる漢文で叙述されており、現代語に移しても、文体によっては堅苦しさを拭えそうにない。そこで、霊異記の文体とはもっとも離れたようにみえる口語体を選択することで、霊異記の話を身近なものにしたいと思ったのである。けっして二匹目の泥鰌を狙ったわけではない(というか、一匹目の『口語訳 古事記』はとっくに忘れられている)。
 ただし、わたしが口語訳を選んだのには理由があって、景戒自身が、これらの話は「口説」を「側聞」したものであり(上巻序文)、「口伝」を文字に移したものだ(中巻序文)と述べており、もとは声をともなって伝えられていたとみなせるからである。むろん、そのすべてが口承による話であったとは言い切れないし、われわれが読む作品は、景戒が漢文を駆使して記述し編纂した説話集であるというのは、文学史上の位相として軽んじることはできない。しかし一方で、その根元のところで、声や伝承という身体性が関与することで成り立つ作品でもあったというのも明らかだ。しかも仏教というのは、音とたいそう親和した宗教だといえるわけで、文字に書かれた経典も音声によって読誦され唱えられることによって効力をもつし、人びとへの説経や説法は芸能化された声(語り)によって成り立っている。
 このように考えれば、現存最古の歴史書である『古事記』という作品との共通性も見いだせよう。わたしは古事記は国家の正史ではなく、はいと認識している。稗史とは、人びとのあいだに伝えられていた取るに足りない歴史、あるいは正統なものとは言えない口伝えによる人物伝や出来事を取り拾い集積したものをさすが、日本霊異記もまた同じような背景のなかで成立し、それが、話のおもしろさの核になっている。
 たとえば、霊異記の末尾近くには、藤原仲麻呂や藤原種継などにかかわる政権内部の争いやクーデター、スキャンダラスな道鏡事件など、生臭い出来事がいくつも並んでいるが、これらはまさに稗史であり、ある事件がどのように伝承になるかということを考える上でも興味深い。また、有名人が出てこない場合にも、時代の何げない日常が写されていて社会性に溢れている。
 霊異記が語る話の背景をみると、上巻は七世紀を中心としてそれ以前にわたる時代を抱え込んでいると考えられるのに対して、中・下巻は八世紀を舞台に生みなされた声を主調音として話は紡がれている。そして、全体的な特徴として見いだせるのは、因果とか恩返しとか欲望とか慈悲とかの、霊異記以前の日本人の思考のなかには存在しなかったことば(観念)を駆使して語られる仏教的な戒めである。そこには一人一人の人間が登場し、不信心やけんどんを理由に地獄の責め苦を受けたり、この世で悪死の報いを受けたりするさまが、これでもかこれでもかと、くり返し語られる。
 むろん仏教は六世紀半ばには倭の国に伝えられていたが、それらは渡来の人びとを通して、あるいは国家間の外交政策を介して伝来したもので、の人びとの感情や 思想のなかに入り込んではいなかった。仏教が一般の人びとの心に浸透するためには、伝来から百年という期間では少しばかり足りなかったようである。
 ところが、八世紀に入るとともに、ということは都市の成立とともにということになるが、国家や貴族から離れた仏教は、地下の人びとのなかに急速に広まり絶大な影響を振りまき始める。地方豪族はこぞって(氏寺)を造り、京とその周辺に住む人びとを中心に、と呼ばれる非公認の修行者が出現し各地を巡り歩き食を乞うようになる。そのような時代には、当然のことだが信仰者と非信仰者とのあいだに熾烈 な対立が生じ、互いに相手を排除しあうことになるが、霊異記の説話からはそうした時代状況がよく窺える。もちろん、語られるのは信仰者の立場だが、引っくり返せば、仏教者がそれだけひどく人びとから嫌われていたということだ。
 八世紀という時代を記録した正史『続日本紀』には、鎮護国家のためにいかに仏教が有効に受容されたかが記録されているが、その背後で人びとが何を考え何を感じていたかを知ろうとするなら、霊異記説話を読むにくはない。そして、信仰心のないわたしなどは、宗教というものは怖いものだと思わされもする。しかしその一方で、仏教の教えにすがることしかできなかった多くの人びとがいたことを知ることもできる。それは、近現代における多様なカルト系宗教が引き起こしてきた混乱と変わりがないはずだ。
 また、同時代の人間が描かれている『万葉集』第三期、第四期あたりの歌からは拾えない、八世紀の都市下層民や地方郡司層の生活や心を覗き見る社会学的な興味も霊異記説話はもたらしてくれる。そこに描かれる生活や心は、旅の風景や恋の思いといったところからは窺えそうにない、家族の、都市生活者たちの日常であり、そこに生じる人間関係や生活の苦しみである。万葉集で探すなら、ゆいいつ山上憶良の歌によってしか窺い知れない生活であり心であると言ってもよい。
 霊異記に収められた一一六から一二〇話にもおよぶ話がどのように伝えられていたか。おそらく一様ではなかったはずだ。前のほうには仏教的な性格がほとんど感じられない話があり、天皇や後宮にかかわる噂として民間に広まり流れた話、仏教の浸透とともに生じた信仰をめぐる対立や葛藤を伝える話、仏典や中国の説話集が人びとの あいだに流れだし、在来の話と溶け合いいくつもの類話を増殖させながら在地の出来事のように伝えられていった話、人びとを仏教に導くために語りだされた話などなど、さまざまなルーツをもつ話が混在しているに違いない。
 そして、それらさまざまな話の生成や変容あるいは移動に、霊異記の主要登場人物である巡り歩く宗教者たちが関与していたのは疑う余地がない。諸国を巡りながら人びとに教えを運んで食を乞い、山寺に籠もって信仰を深めた。経を読み、祈り、仏と対話するという自度あるいは私度と呼ばれる修行者たちの日常は、地下の人びととの接触によって成り立つ生活であった。仲間の修行者たちとの情報交換、土地の人びとへのはたらきかけ、にぎわう市や辻に立っての説法、そうした活動のなかで迫害を受け、多くの不思議に出会い、体験を聴き、自らの見聞を語る。霊異記説話の多くが、そうしたそくたちのネットワークを通して流通し増殖しているようにみえる。
 大雑把な言い方になるが、仏教の側から発信され、それが人びとのあいだに広まっていった場合と、もとから民間に伝えられていた話が拾われて仏教的な装いをとることになった場合とがありそうだ。そしてそのなかには、後世に伝承されて昔話や伝説・物語のなかに潜り込み安定した話型となって分布域を広めていった話も多い。動物をめぐる恩返し(報恩譚)はその典型であり、臨死体験を語る冥界訪問譚はのちの時代にも主要な話型として受け継がれる。そうした点で、霊異記説話は、日本列島における伝承世界の祖型として大きな役割を果たした。
 ほとんどの話の末尾には、締め括りとなる「評」が付されている。話末評語とか評語とか呼ばれることはあるが、霊異記のなかで名が与えられているわけではない。ただ、この評がないと、説話集としての統一性は保てない。多くは仏典を引用しながら、教訓的な教えを引き出そうとする。元から付いていたものもあったかもしれないが、その多くは編者である景戒によって書き添えられたとみてよかろう。そして、それが人びとへの教導に不可欠な戒めになっていたはずである。
 評語には、宗教者としての景戒の謹厳さや生真面目さを感じることはできるが、一つ一つを話として楽しもうとする場合には、時として邪魔な感じがするし、宗教というものがもつ押しつけがましさに、ある種の恐怖感を覚えることもある。仏教的な教えを得ようとして読むという人は別だが、お話として読む場合には、編者の意図とは距離をとり、評語自体を批評的に読みながら、本体の話とのつながりや齟齬を考えてみるのがよいのではなかろうか。
 編者である景戒という人物についての情報を、わたしたちはほとんどもっていない。日本霊異記という説話集を編纂したことは、各巻の冒頭に「の右京の薬師寺のしゃもん景戒しるす」とあってはっきりしている。また、そこに書かれている通り、編纂当時に薬師寺の僧であったのは疑う余地がない。しかしそれ以外の情報はというと、ほとんどわからない。ゆいいつ、かれが自らの体験に基づいて述べている下巻第三十八縁の記事によって、馬を二頭以上持っていたとか、私的な堂があったとか、家の近くに狐がいたとか、あまり有用とは言えそうにない情報を手にすることができるほか、僧でありながら妻子をもっていたが、いつの頃にか受戒して官僧となり、平城京右京にある薬師寺に属していたという大事なことも書かれている。そして、平安京遷都の翌年にあたる延暦十四年(七九五)に僧位(官僧に与えられる位階)を「でんとうじゅう」に昇進させたとあるので、それ以前は一階下の「伝灯にゅう」だったこともわかる。われわれが把握できる景戒の経歴はその程度である。
 ちなみに、国家に公認された官僧には、官人の位階にあたる僧位が与えられるが、その位階は、大きくそうごうと凡僧とに区別される。僧綱は、僧尼を統括し法務を担当する上層部の僧で、僧正・僧都・律師などの階級がある。一方、凡僧と呼ばれる一般僧の位階は、伝灯位(仏教の法灯[法脈]を受け継ぐ意)と修行位との二系列に区分され、それぞれの系列ごとに大法師位・法師位・満位・住位・入位・無位の段階が設けられていた。それでいうと、景戒の位階は、ようやく下位から脱したところ、官人の位階でいうと六位あたりということになるのではなかろうか。
 遺された数少ない情報から想像するに、景戒は、もとは俗人としての生活を営んでいたが、いつの頃か修行の道に入って自度僧(私度僧)となり、その力量が認められて官僧となって薬師寺に入った人らしい。判明していることがそれだけでは、どのような師についていつから修行の道に入り、どのようにして学識を身につけたか、出身地はどこで、どのような一族の出身かというようなことは皆目わからない。
 奈良時代きっての修行者として多くの人を惹きつけたぎょうを尊敬していることが説話のなかから読み取れるので、一時的であれ行基の近くにいた可能性は否定できない。
 また、紀伊の国の名草郡(現在の和歌山市のあたり)の話がしばしば出てきて、延暦六年(七八七)に見たという夢の中に出てくるきょうにちという旧知のこうじき(修行者)が名草郡の人とあるので、景戒の出身が名草郡あたりではなかったかと推測することはできるが、確証はない。しかし、わからないことが、今、日本霊異記という作品を読む上で障害になることはない。話は話として楽しめばいいのだから。
 このあと読み進める日本霊異記の成立はいつかというと、九世紀初頭というのは動かない。下巻「序」は延暦六年を基点として叙述されており、説話のなかに出てくるいちばん新しい年号は延暦十九年(八〇〇)だが(下巻第三十八縁)、そのあとに、「平安の宮において十四年を通して天の下をお治めになっているの天皇」という記述がある(下巻第三十九縁、賀美能[嵯峨]天皇の十四年目は弘仁十三年[八二二])。最下限はおそらくはそのあたりとみておこうというのが現在の通説である。
 こまかな点に踏み込めばそういうことになるが、おおまかに見通して述べれば、霊異記説話は平安遷都とともに終わりを迎えたとみてよいと思う。あいだに挟まる長岡京時代には目をつむるが、平城京の終焉とともに霊異記の世界は幕を下ろした。それは、薬師寺に限らず、南都の寺院と僧たちが置いてけ堀を喰らった時であった。景戒が自らの死体を焼いている夢を見た延暦七年が、数年後には新都となる土地の北にある山に、最澄が比叡山寺を造った年とぴたりと重なるというのは、なんと象徴的なことであることか。
 
 本文に入る前にあれこれと書きすぎたかもしれない。
 言いたかったことは、このあと景戒によって語りだされる話群の魅力は、仏教的な色付けはあるとしても、八世紀という時代のふつうの人びとの暮らしを生々しく描き出しているところにある、ということだ。しかつめらしく権威を振りまく続日本紀にも、とり澄ました万葉集にも描かれることのない、泥臭い生活や苦渋に満ちた心がこの作品にはようえいしている。それを覗き見る楽しさを存分に味わうとともに、時にかれらが、現代のわたしたちに生き写しであるかのようにみえて気恥ずかしさを感じる、そのような希有な作品が日本霊異記である。
 何はともあれ、まこととも噓とも知れぬ八世紀のお話の世界を、大いに楽しんでくださらんことを。


■ 書誌情報

『口語訳 日本霊異記』
著者:三浦佑之
定価:2,420円 (本体2,200円+税)
発売日:2024年11月07日
判型:四六判
商品形態:単行本
ページ数:432
ISBN:9784044008321
https://www.kadokawa.co.jp/product/322403001259/

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