【書評】220ページ超もの分量をかけて書いたからこそ、たった3文字が伝わる。――星田英利『くちを失くした蝶』レビュー【評者:吉田大助】
映画だったか漫画だったか、おそらくは両方で、しかも1作ではなく何作かで目にしたトラウマ的なイメージがある。口がなくなる、というイメージだ。ピン芸人「ほっしゃん。」として2005年のR-1ぐらんぷりで優勝し、現在は俳優として活動を続ける星田英利は、小説デビュー作『くちを失くした蝶』でそのイメージを物語の核に埋め込んだ。
主人公は、6月のその日、18歳の誕生日を迎えた高校3年生の竹下ミコトだ。〈竹下ミコトは、今日、死ぬことに決めていた〉。冒頭の不穏な一文は本気であると証明するかのように、ミコトを取り巻く厳しい現実がぶ厚く描写されていく。父は5歳の時に生き別れとなり、夜の仕事をしている母は育児放棄状態で、一人娘の自分が家事を一手に引き受けている。生活のためのアルバイトに励んでいるが、貧乏暮らしを脱することはできず……。章が変わり時間軸は高校1年生の1月へと移るが、状況は変わらない。逃げ場所になっていたはずの学校やクラスメイトたちが、自分を追い詰める存在となった出来事の顛末が語られ、ミコトの鬱屈はさらに色を濃くしていく。
ミコトは奇妙な夢を繰り返し見ている。「くちを失くした蝶」の夢だ。花の蜜を吸いたくても口吻がないために叶わず、ふわふわの白い羽は樹液に搦め捕られて羽ばたくことができない。
くちがないから、食べることができない。くちがないから、喋れない。くちがないから、息ができない。実は、一つ一つの行為は、他の器官で代替することが可能と言えば可能なのだ。つまり、苦しいけれど、死ぬことはない。その状況こそが、ミコトのしんどさを何より象徴している。
前半は辛い。後半に至ってもまだ辛い。最悪の結末を予感して、読み進めるのをためらってしまう人がいるかもしれない。だとしたらこの文章の役割は、ネタバレの禁を破って、大丈夫です、と読者に伝えることにある。どうやってミコトを大丈夫にするか、そこにこそこの物語の驚きと感動があります、と。その驚きと感動を創出するために、書き手は「くちを失くした蝶」とはまた違うたとえ話をミコトの人生に隣り合わせた。
本作は、笑いは盛り込まれておらずシリアスなトーンで一貫しているが、お笑い芸人としてのキャリアが活かされたのではないかと感じられる点もある。それが、たとえ話の見事さだ。「たとえツッコミ」という用語が有名だが、目の前の現実を、意外でありながらもピッタリとくる別の現実でたとえることで、笑いが生まれる。実はその瞬間、そんな発想があるものなのか、という感動も笑いの裏に張り付いている。星田英利という書き手は、現実を別の現実でたとえるという笑いの基本形を採用しながら、そこに宿る感動の側面にフォーカスすることで、独自の小説世界を構築することに成功した。
そのたとえ話がどんなものだったのか、ミコトの人生にどのように染み込んで作用したのかは、実際に読んで確かめてみてほしい。
たぶんこの小説全体が、一つの大きなたとえ話なのだ。この言葉自体は作中には登場しないのだが──死ぬな。言葉にすればたった3文字のメッセージを伝えるために、ミコトという主人公を生み出し、彼女の人生を物語の律動に乗せた。220ページ超もの分量をかけて書いたからこそ、たった3文字が伝わる。そういうものを、小説と呼ぶのだ。
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