過敏っ子の過去
私は、
不登校、登校拒否、そして保健室登校を経験しています。
幼い頃から身体が弱くて、1週間に2回くらいは病院に行く。
そんな子でした。
幼稚園の頃、私は誰よりも給食を食べるのが遅かったです。
小学校に入って、高学年の頃、私は周りの子の恋バナに、ついていけませんでした。
精神年齢が幼っかったのです。
男の子といる方が好きだった。
みんなよりも全てが遅かったです。
でも、小学校の勉強は、良くできました。
中学受験の勉強は、全然だったけど。
私はクラスの子には、
幼い、天然、ぶっ飛んでる、病弱、純粋
というように思われていました。
私の天然がおかしかったのか、「作ってる。」なんて
言われたこともあります。
作ってるなら、みんなの前であんな恥ずかしい思いはしないのに。
塾に通う日々、素敵なお友達ができました。
私にアイドルを教えてくれた、アイドルみたいな可愛い子。
お友達もたくさんいて、
それなのに、私を慕ってくれました。
結婚しようね。って本気で言ってました。
彼女のことは一生忘れません。
けれど、ある日突然、塾で私はいじめを受けることになってしまいました。
理由はよくわからないけれど、病弱だったのも、一つの理由でもあるのかなと
思っています。
今、思い返せば、病弱なのは、
感覚過敏があったから
なのだと分かりました。
学校でも、理科の班で、いじめを受けました。
「つばを出せ。」って。
感覚過敏によって机に突っ伏してたら、先生に「帰れ。」って言われました。
その頃は自分でもなんでかわからなかったから、辛かった。
小さな事が積み重なって、
塾にも学校にも、私は行けなくなった。
私は、
自律神経失調症になってしまいました。
頑張っていこうとしても、足が動かない。
ものすごい不安に襲われて泣く。
最悪な日々でした。
不登校になって、でも毎日、自分を責めて泣いていました。
体調は永久に悪いし、学校の先生から「学校に来なさい」と電話はくるし。
ある日、母に連れられ、久しぶりに学校に行きました。
保健室に登校しました。
保健室の先生は、
とっても優しくて、可愛いくて、私の話をゆっくり聞いてくれる、そんな先生でした。
教室に連れて行かれて、吐きそうになってた私の背中を優しくさすってくれました。
私はご飯が食べられなくなりました。
とっても少ない量しか食べれなくなって、ガリガリになりました。
(今は標準体重くらいになりました。)
その後は、教室と保健室を行ったり来たりしてました。
保健室にいる時は、お話ししたり、先生のお仕事のお手伝いをして過ごしました。
面倒な時もあっただろうけど、そんな顔せずに優しく接してくれました。
保健室の先生、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
私も先生のようになりたいです。