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vol.36 織田作之助「夫婦善哉」を読んで

初めての織田作之助。この小説、粋で人間臭くて純粋な愛があって、阿呆らしい修羅場の描写もテンポよく、大阪弁から出る人情味が心にしみる作品だった。2回繰り返し読んだあと、図書館で「夫婦善哉」のDVD(1955年作品)を借りてまでこの作品を楽しんだ。

あらすじ

大正時代の大阪。貧乏な天ぷらやの娘蝶子は、17歳で芸者になり、陽気でおてんばな人気芸者に成長する。そして化粧問屋の若旦那柳吉といい仲になり、駆け落ちをする。ところが熱海で関東大震災に出くわした二人は、大阪に戻り、黒門市場の裏路地の2階に間借り生活をはじめる。蝶子は職のない柳吉に代わり、ヤトナ芸者(コンパニオン)で稼ぎに出るが、柳吉はその金でカフェに出かけたりしていた。

柳吉は実家の父親から勘当され、蝶子が苦労して貯めた金にまで手をつけ、飲んで騒いで放蕩を繰り返す。蝶子はなんとか柳吉を一人前の男にして、実家から認めてもらおうと、商売を始める。剃刀屋、関東煮屋、果物屋、カフェなど転々と商売をするが、結局は柳吉の浪費で失敗に終わる。蝶子の苦労はなかなか報われず、柳吉も腎臓結石を患い、実家から廃嫡される。
ある日、柳吉は蝶子を法善寺境内の「めおとぜんざい」に誘い、二人仲良くぜんざいをすする。蝶子はめっきり肥えて座布団が尻に隠れるほどになった。(ウィキペディア参照)

この小説、何と言っても蝶子の生きるたくましさに惹きつけられる。彼女の純粋でひたむきな姿を応援したくなる。力強い生き方の中に可愛らしさもあり、とても魅力的に描かれている。ここまでダメンズ亭主にエネルギーを注ぐ女性は、悲惨さを通り過ぎて感動的に映る。今、こんな女性はいない。浮気がバレた時点で即縁切り。精神的苦痛を受けたと慰謝料請求がオチだ。

しかし、どこから蝶子のモチベーションは来るのだろうか。「日陰者」の意地なのか。転々と商売をしながらも、うまくいきかけた時に決まって、柳吉が足を引っ張る。それでもひたむきに蝶子は立ち上がる。そんな中でも、蝶子の心が悲しく辛く、心に染み入るシーンがある。

お辰さん(蝶子の母親)の危篤の知らせが来たとき、腎臓結核で入院していた柳吉は、蝶子に「お、お、お、親が大事か、わいが大事か」と唸り出して、結局蝶子は母親の死に目に会えなかった。「蝶子は・・・お通夜も早々に切り上げた。夜更けの街を歩いて病院へ帰る道々、それでもさすがに泣きに泣けた。病室に入るなり柳吉は怖い目で「どこイって来たんや」蝶子はたったひとこと「死んだ」そして二人とも黙り込んで、しばらくはにらみ合った」(P50)

切ない。

そして最後のシーン。「めおとぜんざい」を食べた二人、「頼りにしてまっせ、おばはん」に、なんとも言えない情緒を感じる。そして「めおと」って、貸し借りじゃ成立しないウエットな関係だなと思った。

一方、こうも思った。今の社会秩序の中で生活している僕から見ると、どうしてもこの夫婦のハチャメチャさが目立ってしまう。だけど、明治民法の家父長制がどれだけ自由恋愛を阻害したか。当人たちに生きづらさを与えていたか。ハチャメチャな生き方は、社会的な道徳規範と本質的な人間性のミスマッチに起因しているのではないかとも思った。西洋文化がなだれ込む過程で、古くからの風習が世代間に葛藤を生み、親の世代とのジレンマに悩む様を、多くの近代文学が描いている。漱石作品からも同じ感想を持った。

映画の方は、森繁久彌のダメンズ亭主ぶりがユーモラスに演じられていた。夜のカフェ女給に「僕と共鳴せえへんか」は、最も記憶に残る一言。

「みんな貧しくて、泣いて笑ってけんかして、人と人とが近すぎるほど近い時代」(DVDより引用)は、少なくとも今のような他人に不寛容な空気はなかったと思う。

大正時代の大阪の空気をいっぱい感じながら、柳吉と蝶子の幸せを願った。(おわり)

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