エッセイ◆名もなく貧しくヘッポコで◆
ふと考えたのだけど、今、誰もが知る有名な昔の作家、詩人、俳人、画家などの芸術関係の方々、生きているうちに名をあげた方ってなかなかいないのだなぁと。
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宮沢賢治もだし、石川啄木も『はたらけど はたらけど猶 わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る』と詠んだほど。
数え出せば不遇の人生のまま亡くなり、死後に評価されるというのは結構多い。
そんな才能ある方々でさえ、そうなのだから、そりゃあ、ヘッポコ人たるわたしは、手を穴があくほど見ても、目が疲れてくるくらいなのは当然だ_| ̄|○ il||li
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清貧という言葉は、どこか静かに美しくすらあるけれど、現実はなかなか、そうはいかない。
飲んで食べなきゃ生命は保てず、塒(ねぐら)が無くては暮らしに困る。
なんとまぁ、世知辛いことよ。
とはいえ、これが庶民の現実だ。
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ヘッポコ人たるわたしは、それ故にかなり”いじましく”足掻きつつ、一日を積み重ねている。
明日に何があるか分からないとはいえ、少なくとも、買ってない宝くじが当たることは無いだろうし、一夜にして売れっ子作家になることも同じ確率でないことだろう。
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ウチの家系は、何かで一発当てるとか、奇跡のような巡り合わせとか、そういう華やかな世界とは無縁である。
ガラガラクジでは残念賞のポケットティッシュさえも在庫切れで前の人で終わるとか、そんなのザラのしょぼさ。
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我が一族?はみんな、コツコツと生きて静かに退場していった。
それでも、それが出来た先人達を、わたしは尊敬している。
何しろ、わたしときたら、そういうキッチリとした生き方が上手くできない。
多分、草葉の陰から亡き人々は『おいおい! ありゃりゃ、こりゃ見てられないよ』とハラハラしている事だろう。スミマセン。
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でもまぁ、こればかりはしょうがない。
人には器というものがある。
これが極端に小さいわたしは、すぐにいっぱいいっぱいになる。
だから、要するに結果、出来ることは、とにかくコツコツと諦めずにやることしかない。
嗚呼!なんて当たり前すぎる結論!!!
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名もなく貧しくヘッポコなわたしは、今日もアワアワ、オタオタしながら生きている。
時々、思い出したように掌を見たりするが、そういえば運命線ってどれだっけとか、生命線はアワワワとかで、ため息ひとつついて終わってしまう。
あ、いや、でもこのエッセイもどきの話のタネになったので、ヘッポコ人としては上出来かもしれない。
とほほほほ。
ホントにスミマセン(汗)
「いつかこんな冬の終わりに─心象風景の欠片たち─」つきの より
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