メッセージを知る
知らないことは本当にもったいないなあと思う。
知れないこともあるけど、知りたいこともある。
知ってることを必要かどうか決めるのは自分だけど
知らないことは教わるか出会うかしかなくて。
自分の知ってることも誰かにとっては知らないこと、
そういうことも教えたり教わったりを繰り返してる。
そういうきっかけが何度も人生の中を通るけど
神様のメッセージだとかって言ったりもするけど
誰といたか、誰から受け取ったかって話にもなると思うの。
それをどんな気持ちで伝えてくれるのか、人は案外敏感なんだ。
見てるもの、聞いてるもの、
そこには自分の本当に欲しいものが隠されているし
見つけたいもの、探したいものがあるのかもしれない。
逆に見せつけられたもの、聞かされ続けたものは、
同じように蓄積させて混乱を招いてしまうこと、
そういう道を辿らざるを得ないような感覚になってしまうことも少なからずある。
ただ楽しいだけじゃないものが見たい。
自分にはそういう欲求があるんだと思う。
知りたいことが無限にあるんだと思う。
でも、ちゃんと自分も誰かと幸せに生きてね。
最後にはそういうメッセージを受け取れて、
辿り着いた場所がようやくブレない指針になりつつある。
まだ、私は書くことやめなかった。
再び書き始める、この愛しのnote。