現実を結ぶ声
現実をちゃんと見ている人の言葉は、
なぜだが妙に説得力があるのだと実感する。
私生活も、人間らしい声も、ちゃんと感じられる。
どの生き方がいいみたいなものは分からないけれど、
たまに自分だけ外れた道を歩んでいるように思う。
今、生きることの選択肢に直面しているらしい。
どの未来を見れば、自分は安心するのだろう。
どこに生き、誰と生き、何を見ながら、何を夢見て、その先には何があると思う?
見ているようで実は見ていなかっただけなのではないかって、なんだか自信もなくしてしまった。
見ようとしないのは、きっと見るのも怖くなってく。
気付けば自分の中の楽しいは、趣味に埋め尽くされてしまっていたように思う。途端に、それを続けることさえこれでいいのか不安になった。
なんだかそれはそれで……
もちろんなかったら見えなかったものも、出会えなかった人もいるけれど、あの時をもう一度繰り返すことはできないのだという思いが強くなった。
今そこにいる人のこと考えてる?
今しかできないことしてる?って言われた気がした。
あの時の気持ちに近づきたかったことが、
何より今の自分に重なっているんだね。
未来はきっと明るい、そうやって声をかけながら
始まっても終わってもない日々が続くんだ。
でも、ちょっと抽象的すぎない?
具体的なものが浮かんでこずに探り探り。
先の先を見ようとするのは、長所でもあり短所だ。
自由だと唱える生き方に、迷子になりそうになる。
怖がらずに立ち向かえたら、何か見つかる?
自分はここにいていいのだと、迷いは消える?
自分の声を頼りに、今日も生きていくんだ。