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松明あかし

俳句と一緒にしようか迷ったのですが、若干ボリュームがあるので、分けます。
今年、須賀川で3年ぶりとなる有人観覧の松明あかしが開催されました。

松明あかしとは?

これは、天正十七年(1589年)10月、南奥州統一を目論む伊達政宗が須賀川に攻め入り、須賀川の二階堂一族を滅ぼしたことに由来するものです。
このときの須賀川城主は、大乗院(阿南おなみ姫)。政宗の叔母に当たりました。

政宗の祖父の晴宗は子だくさんで奥州各地の大名と縁戚関係を結んだため、大乗院も須賀川の城主であった二階堂盛義もりよしに嫁いでいたのです。

政宗と血縁関係にあるとはいえ、当時会津地方を治めていた蘆名あしな盛隆は、大乗院の実の息子。盛隆が家臣によって暗殺された後、蘆名家の跡継ぎ候補となったのが、佐竹家の二男義広よしひろと、伊達家の二男小次郎(政宗の弟)でした。

そんなわけで、政宗は何度か大乗院に降伏するように勧告していたらしいのですが、結局は現在の須賀川桐陽とうよう高校近辺を中心に、釈迦堂川を挟んで激しい攻防が繰り広げられました。


ですが、密かに政宗に内通していた守屋筑後守もりやちくごのかみが、須賀川の街に火を放ち、鎌倉時代以降の名家として知られた須賀川二階堂氏は滅亡。須賀川城も落城します。
街の古地図などは、こちらをどうぞ!

それでも、領民にとって「二階堂一族」は、ずっと「地元の殿様」として崇敬の念を集めていたのでしょう。
その霊魂を慰めるために、「むじな狩り」と称して、毎年旧暦10月10日に炬火を投げあっていたのが、松明あかしの始まりと言われています。

歴史を紡ぐ松明あかし

この松明あかしの松明づくりは、ちょっとした技術が必要。
そんなわけで、地元では代々「松明づくり」が初冬の風物詩として、受け継がれているのです。
私の出身の小学校も、作っていましたね~。
確か、材料は茅や古竹などを組み合わせて作っていたと記憶しています。
うまく組み立てられた松明は、最後まであまり崩れずに燃え尽きるのだとか。

こちらは、松明あかしの前日に撮影した五老山。松明あかしの会場は五老山と昔から決まっていて、例年であれば、ここまで運ぶところから盛り上がったものです。
今年はやらなかったですが、今までは武者行列や姫行列も練り歩いていたのですよ。


五老山は、五人の家老が集まって軍議を開いたからだそう。

個人的に胸がときめくのは、最初の点火の瞬間。
昔は、梯子を使わずに大松明によじ登って点火する強者もいました。

もう一つの須賀川悲話

翠ケ丘公園五老山の脇にある三千代姫堂。

さて、松明あかしの陰に隠れがちですが(苦笑)、今年は印象深い出会いがありました。
戦国からさらに時代を遡って、時は室町時代。
この頃には、二階堂一族の一派がすでに須賀川・岩瀬地方を治めていたのでしょう。
鎌倉にいた二階堂式部大輔しきぶたいふ・たゆうは須賀川に代官をやって、領地を支配していました。その代官が同族の治部大輔。ただしあまり仲が良くなかったらしいです。
式部大輔が亡くなった後は、その息子の為氏ためうじが須賀川にやってきて支配しようとしましたが、家来筋の治部大輔は須賀川城に為氏を入城させませんでした。
両者の仲違いを心配した家臣一同が協議して、治部の娘である三千代みちよ姫を、為氏の妻として迎え入れることが決まります。
為氏と三千代姫の夫婦仲は良かったそうで、舅である治部も婚姻から3年経ったら須賀川城を渡す約束をしていました。
ですがその約束は守られず、夫(為氏)と父(治部)の板挟みになった三千代姫は、わずか15歳で暮谷沢くれやさわ(現在の須賀川市栗谷沢くりやさわ)で自害したと伝えられています。

その三千代姫を祀ったお堂が一年に一度開帳されるのが、松明あかしの日。
中には三千代姫の像が祀られており、姫がまとっていたかもしれない?着物も衣桁に掛けられて飾られていました。


三千代姫像。賢く美しい姫であったと伝えられています。


15歳にふさわしい、愛らしい着物。

俳句と松明あかし

俳句幼稚園で触れたこともあり、先人が「松明あかし」を題材にどのような俳句を詠んでいるのかは、私も気になっていました。
比較的新しい季語、かつローカル季語ということもあり、きごさいにはあまり出ていないので、地元情報が頼りです。

そこで調べてみたところ、次のような俳句が見つかりました。

金子兜太氏

2018年に「松明あかし」が季語に採用された際に、詩人として有名な金子兜太かねことうた氏が松明証に感銘を受け、松明あかしを題材とした俳句を詠まれていたようです。

火の柱の火の壁の松明あかし

夢寐むび照らす巨大劫火の祭かな

※夢寐:ねむること。ねむって夢を見るあいだ。

松明あかしの巨火火柱澄明なり

城も城下もし尽くされしぞ松明あかし

帰路の背に落城のごとし松明あかし

どれも、地元民としてはぱっと目に浮かぶ御句です。

地元の俳人

また地元の俳人の句では、このような御句も。

星ひとつふたつ松明あかし待つ

片山由美子氏

須賀川に火祭二つ冬が来る

森川光郎氏

松明あかし天に梯子をかけにけり

斎藤 耕心氏


私が個人的に好きなのは、やはり森川光郎氏の御句でしょうか。
以前にも紹介したことがあるのですが、一つの句の中に「松明あかし」と「牡丹焚火」の二つを、さり気なく盛り込んでいるのです。

そんなわけで、俳句の世界でもぜひ「松明あかし」の言葉が浸透してくれればと思うのです。

最後に、松明太鼓(地元の和太鼓保存会)の写真を。
この背後の山頂では、赤々と松明たいまつが燃えていました。
そんなわけで、拙句では松明太鼓を「陣太鼓」に見立ててみた次第です。

松明あかしと俳句、そしてその歴史。
どの視点から書くか迷いましたが、お楽しみ頂ければ幸いです。
今回の松明あかしについての拙句は、こちらよりどうぞ!

https://note.com/k_maru027/n/n15c2d3aef79e?magazine_key=mf88db0cc8086


©k.maru027.2022

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k_maru027
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