なぜ私は、親をぶった斬れなかったのだろう
なぜ私は、親をぶった斬れなかったのだろう
この想いに、ふと駆られた。
親を切り、彼女を切り、友人を切り、ビジネスパートナーを切り堕とした今。沸々と、人生を生きる力に漲っている今。もう死にたい、と毎日思っていたのに、「死ぬのはなんか苦しそうだからやめとこ」「なんなら、あと200年ぐらい生きたいな」と思っている今。ふと想ってしまったのだ。
完全に孤独になった今、こんなにも人生は色に溢れたものであったのだと気づき、喜びに震えている。もっと早くこの世界に来ればよかったのに、なんで足踏みしていたんだろう。なんで、「親をぶった斬ったら可哀想」なんて、糞しょうもないことをほざいていたのだろう。
まあ、答えはシンプルだ。
怖かったから。これだけ。親をぶった斬ってしまえば、本当に独りになる。口先では、「子供を愛している」とほざく親の、20年以上にも及ぶ罪を断罪してしまえば、親との繋がりが絶たれる。「俺は本当に、誰からも愛されてなかったのだ」と気付いてしまえば、孤独に耐えられなくて死にたくなる。そう、恐れていたからだ。
じゃあ、なぜ恐れていたのだ? 何を恐れていたのだ?
孤独に耐えられないというが、その孤独とは何なのか? 人間なんて、友達100人に囲まれていようが結局は孤独なのだ。自分の悪魔のような本音を晒して、それを全て受け止めてくれる人間がいなければ、どれだけ美しい彼女がいようが陽気な仲間がいようが、絶対的に孤独なのだ。死ぬ時は、誰に看取られていようが独りで死んでいくのだし。普通に生きていたら、人間は誰しもが孤独のまま80年近く適当に生きて適当に孤独に死んでいくだけなのに。そんな孤独の何が怖くて、なぜ恐れていたんだろう。
孤独が恐ろしいのは、単純に、見たことがない世界だからだ。バンジージャンプを飛ぶようなもので、本能的に落下することを恐れているからだ。死を連想させるから。だから、本能的にそれを回避するのだ。孤独を恐れるのは、ただそれだけの理由だ。
だから、「自分は孤独ではない」と、己を洗脳する。洗脳するために、人間たちの輪に死ぬ気で入り込んでいく。誰も自分のこと理解して受け止めて愛してくれてなくても、「愛してくれているはず!」と一生懸命、己を騙す。
赤信号を皆で渡る心理だろう。皆が同じ方向を向いて、皆が言うように、世間が「それが正しい」という方向に従って歩いていれば、孤独ではないと表面的には洗脳できる。だから親を切れないし、友人も彼女も切ることができない。切ってしまったら、
・家族仲が悪い人間は、なんか人格的に問題がある
・友達いないなんて、なんか、性格的に難があるのでは
・彼女がいないって……あぁ、モテないんですね。人間として魅力がないんですね、なんか可哀想
という車に猛スピードで轢かれてしまうから。だから怖くて、切れないのだ。
思い返せば、私は誰よりもそんな無慈悲な車を恐れていた。轢かれたくない、孤独になりたくないと泣き叫んでいた。
だから、母親に従った。行きたくもない公文式に通わされて、鬱々としながら勉強に励んで。
父親にも従った。「一生懸命勉強して、足利高校に入って、横浜国立大学に行って、そんで卒業した群馬銀行に入って、40歳ぐらいで支店長になれたらいいな。そのまま出世できれば、頭取も目指せるぞ」なんて、バカみたいな洗脳に従って。「まあ、駿が嫌ならいいんだけどな! でも父ちゃんは、絶対にそれが幸せだと思うぞ。変な高校に行って聞いたこともない碌でもない大学に行ったら、碌でもない会社にしか入れないからな。そんなんじゃ、家族を養っていけないからな」と、あくまで俺は推奨しているだけで押し付けているわけではないからな、という、卑怯極まりない洗脳活動に勤しんでいた。そんな、逃げ道を作りながら洗脳するという罠にまんまとハマって、俺は息切れしながら、やりたくないことに首を絞められながら毎日生きていた。
なぜ俺が、そんなバカな親たちを切れなかったのか、拒絶できなかったのかといえば、俺が怖かったからだ。親が植え付けた常識に反すれば、親から見限られる、愛してもらえない、価値がない人間に成り下がるのだと。
そして、これが真理だと思うのだが。
俺は甘えていたのだ。
「親の言う通りにしていれば、俺は素晴らしい男になれる」
「価値のある、皆の輪から外れない男になれる」
そう信じていた。それと同時に、腹の底で甘え、依存していたのだ。
「俺がもし幸せになれなかったら、親のせいにできる」
と。俺の人生を、他人に委ねていた。他人に責任を擦りつけていたのだ。
そうすれば、苦しまずに済む。
「成功できなくても、幸せになれなくても、俺のせいじゃない」
「あいつらが悪いんだ。人の輪から外れて、孤独になったら、あいつらが悪い」
そう、依存していた。そして幸せになれなかったら、あいつらを恨めばいい。最悪殺しても、あいつらが悪いんだから俺は悪くない。そう、腹の底に抱えていれば楽だったのだ。今、不幸で不幸でしょうがない自分がいても、自分の責任ではないと思えば気が紛れる。そして周りの皆と同じように生きていれば、なんだか不幸ではない気がした。だって皆んなそうなんだから。みんなそうなんだから、これが普通なんだよ。不幸じゃないんだよ、苦しくないんだよ。だってこれが「普通」なんだから。
そう、親のせい、周りのせいにして、人生の責任を放棄して、30年間生きてきた。
なんか違うよな、なんかおかしいよな。
直感的にはわかっていたはずなのに。「これがいい」「こうすべき」と言う奴らは皆、全く幸せそうでなかったから。親を筆頭に、親に似た不幸面を引っ提げた人間しか、俺は輪に入れてもらえなかったから。だから、今置かれているこの人間たちの輪がいいんだ、これでいいんだと己を洗脳し続けて生きてきた。結果、本当に死にたくなるまで決断ができなかった。
人間は、死にたくなるほど苦しめばその本質が問われる。そのまま死ぬか、孤独というバンジージャンプに思い切って飛び込むか。それの是非はない。たまたま俺は後者だったから飛び込めただけだ。
飛び込むこと。つまりは、親の犯罪を許さないこと。
「お前は罪人だ」と突きつけたが、親は変わらないどころか、全く理解してくれなかった。終いには父親は、
「俺は駿に押し付けたことなんて一度もない」
「俺はちゃんと、子供を愛している。xxちゃんと駿は、 父ちゃんからすれば、はぁ、命より大事ですよ」
とほざいた。ああ、もう人間じゃないんだな。本当にただの畜生なんだな。気狂いなんだな。それがよくわかった。
そうして、俺は親をぶった斬った。親をぶった斬るとよくわかる。今まで親の課題をクリアせずにつるんでいた人間は、皆、親の代理人であると。心底親によく似た人間たちであることがよくわかる。だから躊躇なく、全員ぶった斬った。
その爽快感たるや。さながらバンジージャンプ。龍神バンジーの100倍恐ろしかったが、その見返りは1000倍以上だ。
孤独の素晴らしさを知ると、次第に力が漲ってくる。そしてある観念が湧き上がる。
人生に責任を持つこと。
どれだけ心酔する人に相談しても、絶対に依存してはいけない。あなたが心酔する方は、本当に素晴らしい方だろう。だが、あなたではないのだ。あなたではない以上、あなたの100%の、悪魔のような本音には絶対に到達できない。だからあなたが泥沼のようなドス黒い本音を吐き出して、心酔する方と向き合わなければ、絶対にあなたの人生は切り拓かれない。
この、人生に責任を持つ覚悟。これがなかったから、俺は本当の自分がこの30年間、手に入らなかったのだ。だからやりたくもない仕事に疲弊して、勝手に呪われた社会から押し付けられた理想の男像に縛られて、本当に死にたいと思うまで苦しめられたのだ。全ては、人生の意思決定を他人に委ねていたから。「他人の言うとおりにすれば、私を幸せにしてくれるはず」と甘えていたからだ。
親をぶった斬った今。
鬱っぽい感覚が、かなり消えている。本当に自分が望むものが何か、がかなり鮮明になっている。
孤独の素晴らしさを知った今。
本当に必要なパートナーを見つけて愛せる自分が出来上がりつつある。自分で覚悟を背負って、100%受け止め合う関係を築ける自分が。
そんな矢先、このようなLINEが母親から届いた。
ぶった斬ったはずの母親から、突然届いた。
相変わらずの低脳、無神経な言葉。
以前の私なら、怒りに飲み込まれて、以下をボロクソに吐いていただろう。
・誰がそんなことを望んでるんだよ
・誰がそんなことをしろと言ったんだよ
・それをいきなり伝えて何がしたいんだよこのゴミが
・大体、「覚悟が出来た!」ってなんだよ、なんの「!」だよバカ女。俺がどういう思いでお前に叩きつけたのか、何もわかってねえんだな糞バカ女
・もっと早くできればよかったって何だよ。何がよかったんだよ。
・俺がいつ「一人で生きていけ」なんて言ったんだよ。「自分を大事にする努力を怠ったから、子供を傷つけたんだよバカ女」と、俺は何十回も伝えた。小説もnoteも全て見せた。
このnoteでも書いている。それなのに、この動物並みに頭の悪い女は、何も分かっていない。
大体、「一人で生きていく」ってわざわざ言ってきた心理はなんだ?
それは、息子に構ってほしいという心理。
そして、「自分を傷つけた男に、罪悪感を覚えさせたい」という心理。
心底くだらない女なのだ。
所詮は、子供のことなど何とも思っていないのだ。
それらを全て、以前なら伝えていただろう。
だがこの女が望んでいるのは、「息子に構ってもらう」なのだ。
つまり、俺が全てをぶちまけるのは、この女を喜ばせてしまうのだ。
だから、対応はこうだ。
一言、詰めるだけ。
そしてその回答も、案の定ゴミ。
「伝えたかった」と言うのは理由になってない。その伝えた理由を聞いているのに、伝えたかった、と言うのは犬畜生なのだ。
だから当然、無視したまま。やはり、放置していた期間、何も成長がなかったというのがよく分かった。
母親が本当の意味で自分と向き合わない限りは、俺は会うつもりはない。
人生と向き合い、そして子供と向き合う覚悟のないバカなど他人以下だ。
親をぶった斬ることができれば。
本当の意味で、人生と向き合うことができる。人生を切り開く、その覚悟を持つことができる。
あなたを今まで死ぬほど苦しめてきた親の不幸アピールにも、惑わされなくなるのだ。
以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、
こちらまでご連絡ください。
第一弾:親殺しは13歳までに
あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。
第二弾:男という呪い
あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。
第三弾:監獄
あらすじ:
21世紀半ば。第三次世界大戦を経て、日本は「人間の精神を数値化し、価値算定をする」大監獄社会を築き上げていた。6歳で人を殺し人間以下の烙印を押された大牙(たいが)は、獲物を狩る獲物として公安局刑事課に配属される。最愛の姉に支えられ、なんとか生きながらえていた大牙は、大監獄社会の陰謀に巻き込まれ、人として生きる場所を失っていく。
あるべき国家運営と尊厳の対立を描く、理想郷の臨界点。