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パートナー選びの基準は、たった一つしかない

人間は一人では生きていけない。これは紛れもない真理。

人間は生まれてから死ぬまで、究極的にはひとりだ。この世界に映るもの、感じるものは自分一人のものでしかない。自分の考えることは、絶対的に自分一人のものでしかない。世界とは、私なのだ。私だけの感覚が投影されたもの、これこそが世界なのだから。どれだけ人に囲まれて生きようが、究極的には一人なのだ。

だが困ったことに、一人では生きていけないのだ。友人が一人もいなくても、親と絶縁しても、仕事をしていなくても。絶対に、人間は誰かと関わってしまう。
私という世界に、他者という異物が混ざり込んでしまうのだ。これがこの世の厄介な点。異物と適合するのは心底辛いもの。その辛さに打ち勝つことが出来ない者たちは、たちまち命を枯らしてしまう。

その辛さに打ち勝つために。命を枯らさないために。自分を理解し、打ち勝つためのエネルギーをくれる人。これが絶対に必要なのだ。その存在がこの世の言葉で言う、パートナーというものだ。

パートナーは、どう選べばいい?
誰が私の世界に適合し、邪魔することなくエネルギーを奪い取ることなく、生きる力を分け与えてくれる?
これが人間の永遠の問い。明確な正解がなく、ほとんどの人間がこの解に辿り着けないがために、その命を枯らしていく。

今日はその永遠の問いに、明確な解を出したいと思う。

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見せかけの共感を投げてくれる演出能力に優れた

そんな人間。これが、この世で共有されている大まかな解だ。
ほとんどの人間は、この解に反論することはないだろう。当然、私もこの「大まかな解」に洗脳された信者だった。これを信じて疑わず、そして自分がこの三箇条を満たす社会的に価値のある人間になろうと息切れしながら毎日必死に生きてきた。そして、人間として壊れた。

この「大まかな解」という宗教こそが、この世に蔓延る病。これこそが、この島国で年間二万体の死体を叩き出す病巣。我々は今この瞬間も、この宗教に殺されかけている。次の死体の第一候補は私であり、あなたなのだ。

まだ死体にはなりたくない。
親と向き合い、ぶった斬ることができた私は遂に、「死にたい」から「あと200年ぐらい生きたい」という人間に生まれ変わることができた。もはや、これだけで偉業だと思う。これだけで、人生でかけがえのない宝を見つけた、と言ってもいいかもしれない。
だが、まだこの世の真理からは程遠いのだ。人間は一人では生きていけない。絶対にパートナーが必要なのだ。このパートナーという存在がいなければ、私の「あと200年ぐらい生きたい」は戯言で終わる。そして人生と向き合い続けることが生業の私としては、絶対にこの問いから逃げるわけにはいかないのだ。

だが、親から己が欲する愛をもらえず。愛情というものが何なのかわからない我々が、果たしてその愛を掴めるのか。本当に己が欲するパートナーというものに果たして出会えるか。出会えたとして、その存在の偉大さに気づけるか。そして運良く気付けたとして、いわゆる口説き、というものが成功するだろうか。

私の前には、有難いことに死ぬほど壁が立ち塞がっている。面白い。これだから人生という娯楽は辞められない。

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この宗教に立ち戻る。
この宗教の敬虔な信者であった私は、この宗教の神に殺されかけた。つまり、ゴミなのだ。この宗教はゴミ以下だ。敬虔な信者であればあるほど、この事実に気づいているはずだ。いくらそれらを持ち合わせた人間となり、そして持ち合わせている人間と生きたところで。本当のパートナー選びの真理に気づいて踏襲できていない限りは、いつまで経っても次なる死体候補の一員だ。

では、その「パートナー選びのたった一つの基準」とは何か。

だが困ったことに、一人では生きていけないのだ。友人が一人もいなくても、親と絶縁しても、仕事をしていなくても。絶対に、人間は誰かと関わってしまう。
私という世界に、他者という異物が混ざり込んでしまうのだ。これがこの世の厄介な点。異物と適合するのは心底辛いもの。その辛さに打ち勝つことが出来ない者たちは、たちまち命を枯らしてしまう。
その辛さに打ち勝つために。命を枯らさないために。自分を理解し、打ち勝つためのエネルギーをくれる人。これが絶対に必要なのだ。その存在がこの世の言葉で言うところの、パートナーというものだ。

実はここがヒントであり、もう答えなのだが。
より具体的にイメージするために、私が死にたかった頃を振り返る。

死にたかった頃の詳細はこちらに預けるが

要は、死にたかった頃というのは、「何者かにならなければ価値がない」という呪いに冒されていた頃だ。
そして私は、

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この三原則を獲得しべく、毎日24時間、自分の人生ではなくこの宗教の敬虔な信者として毎日働かされていた。

だがある時気づいてしまったのだ。この三原則は、いくら実践したところで終わりがないのだ。どれだけ疲弊して、どれだけ獲得しても神様から「よくやった!」と褒められることが絶対にない。

まだまだ
こんなもんじゃダメだ
お前はその程度の人間で終わるのか
そんなんじゃ、お前は幸せになれないぞ

毎日、裡に住まう神から罵られる。罵られ蔑まれ続け、私はもう限界を感じていた。
そんな鬱々とした日々に、私には彼女がいた。美しい人だった。自分には根本的には価値がないと思っていた私にとって、そのぽっかり空いた穴を埋めてくれる女性だった。
街を歩けばスカウトに声をかけられる彼女。そんな彼女の隣で歩いていると、明らかに視線が刺さる瞬間が度々ある。そのほとんどが男。まず隣の彼女の顔を見て、胸を見て脚を見る。一瞬で全身を舐めまわした後、私の顔を見るのだ。隣にいる男はどういう奴なんだ、というところか。そして私と目が合うと、すぐに目線を逸らして何食わぬ顔をぶら下げてすれ違っていく。目線がぶつかった瞬間の男たちの表情は、何度見ても何を考えているのか分からなかった。え、こんな奴が? という顔なのか、ああなるほどな、という顔なのか、何度見ても分からなかった。
そんな男たちの視線が心地よかった。彼女が隣にいてくれる俺には、最高に価値がある。そう、必死に言い聞かせていた。そして言い聞かせようとすればするほど、日に日に死にたくなっていった。

付き合ってから、時間が経てば経つほど鬱々とした気分は強くなる。
それがなぜかといえば、根本の原因は親と向き合ってなかったから、なのだが。だが親から逃げ続けてきた私は、やはり彼女からも逃げてしまった。俺が苦しかったのは、

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このクソ宗教に冒されていたからだ。
だが、俺はそれに気づかなかった。いや本当は、奥底ではなんとなく気づいてはいた。だがそこに手を突っ込むことが恐ろしすぎて、俺は自身の腐った腑から目を背けた。

この鬱々とした感覚を
その原因を俺は彼女に見出した。俺と同様に機能不全家庭で育った彼女は、ある時から痩せ始めた。そのスタイルは、モデル体型を超えたものになり始めた。元々彼女も鬱・摂食障害傾向があったから、それが発現してしまったのだと俺は勝手に結論づけた。

ああ、なるほどな
俺が辛いのは、病的な彼女といるからなんだ
互いに、親から欲する愛情をもらえなかった同士。傷の舐め合いはできても、愛情を与え合うことなど所詮はできないのだ。
俺にはもっと素晴らしいパートナーがいるはず。この人とは、出会うタイミングが合わなかっただけなのか、なんなのか分からんが。とにかく、俺の人生にばっちりハマる最高のパートナーではないのだろう。だから、こんなにも憂鬱なのだ。

それっぽい理屈をこねくり回し、俺は彼女から逃げた。
痩せていくあなたを見ているのが辛い、とか。まだ俺は経済力的にも男の器的にも、あなたのレベルに見合う男ではないのです、とか。全男が別れる時に持ち出すクソ台詞を吐いて、俺は逃げた。その時の彼女の表情を、未だに鮮明に覚えている。本当に、この人のことがよく分からない、という顔にも見えるし。ああ、本当にこの人は弱い人間なんだな、と諦めたような顔にも見える。俺を責めたい、というわけではないが、じゃあ私の今の気持ちはどこにどうぶつければいいの、という顔にも。そんな、言い表せないごちゃごちゃの感情が浮かんでいるような表情だった。
表面的には、「俺が悪いのです」と言いながら、微塵もそんなことを思っていなかった。「あなたが悪いのです」と俺は彼女に責任をすり替えて、俺の病気と向き合うことから逃げ出した。結果、死にたくなった。

人は人生に絶望して初めて、本当に欲するものを見出す

これもまた、人間の真理だと思う。
彼女と別れてから、辞めていたタバコも再開した。毎日大量のタバコをベランダに出て吸う日々。仕事が手につかなくなり、まとまった時間働くことができなくなり。次第にそもそも働くことすらできず、一日中ベッドに横たわる日々が続くようになった。

そんな廃人としての生活が一年ほど続いた頃、彼女と別れてから一年が経過していることに気づいた。タバコを吸おうとベランダに出ると、空気が夏に変わっていた。気体にこもった匂いが湿気で炙り出されたような、むわっとした生温かい匂い。ずっと身体に残っていた彼女との思い出が、その匂いのせいで映像として浮かび上がってきた。

ああ、この6月、たしか下旬頃か。彼女と出会ったのは。ミッドタウンのリッツのカフェで、最初に会ったんだ。白のワンピースに身を包んだ彼女は、凛としたオーラを放っていた。俺はかなり人見知りで距離感がある人間だから、初対面の人とはよそよそしい感じで普通は終わるのだが。だが彼女は、もう何年も前から友人だったかのように、最初から名前で呼び合い、お互いに話したいことを好き勝手に話していた。しかも、最初に会った日に、自分が親に対してどういう感情を抱いているか、というややこしい話まで、なぜか彼女には話したくなった。そして彼女もまた、自分の身の上話をしてくれた。

そこから付き合うまではあっという間だった。
花火を見に行った時の、浴衣姿の彼女も
大好きなピカチュウのフェスに行き、少女のようにはしゃぐ彼女も。「着ぐるみの人、めちゃくちゃ暑いだろうな」と、夢をぶち壊す発言をした俺にキレた彼女の表情も
なぜか一緒にキャバクラに行った時の、彼女の楽しそうな表情も
誕生日に、「文字書くの苦手なんだけど…」と言いながら、手紙をくれた彼女の恥ずかしそうな表情も

全部、鮮明に覚えている。ベランダでタバコを吸う時、彼女と過ごした頃と同じ、夏の匂いを思い出す。
あれが人生の全てだったのだ。30年生きてきた中で、あの時間が唯一無二だったんだ。

もう、俺は人生で本当に欲していたものを手に入れていたんだ。それを、自分から手放して逃げたのだ。
一年も経って、本当に死にたくなって、ようやく気づいた。

付き合って一ヶ月頃だったか。
夜、ホテルで過ごしていた時にどういう経緯だったか、彼女に抱きしめられた。その時に俺はボロボロ泣き出してしまったのだ。なぜ泣いたかといえば、今になって思えば、30年張り詰めていたものが一気に緩んだからだろう。身体中の筋肉が一気に緩み、毎日ぼんやりと「ああ、死にたいかも」と思い始めていた頃だったから、その反動に打ちのめされてしまったのだ。

女性からすれば、ギョッとするだろう。え、きもちわる、と。なんか普段イキってる癖に急に泣き出すとか……
弱い男は気持ち悪い。泣き出すなんて男じゃない。私は親族から、そして関わってきた女性たちからそう叩き込まれてきたので、ああ、終わったなと思った。彼女の前で訳もなく急に泣き出すなんてメンヘラの極みだ。そんな頼りない男、わたしが時間を割くに値しないわ。
普通はそう思うだろう。だが、彼女は何も言わなかった。何も言わずに、より強く、抱きしめてくれた。

俺は全く気づけなかった。彼女の偉大さ、愛情の深さに。感じたことのない安心に包まれた、と。ただそれしかわからなかった。そんな彼女の偉大さに背を向けて。「人生と向き合わない人といるのは辛い」なんてふざけたことを抜かして、俺は逃げ出した。自ら望んで、死に向かって走り出した。

冒頭のテーマに戻る。
パートナー選びの基準は、たった一つしかない。
「一番弱い自分を愛してくれるかどうか」
これだ。

だが困ったことに、一人では生きていけないのだ。友人が一人もいなくても、親と絶縁しても、仕事をしていなくても。絶対に、人間は誰かと関わってしまう。
私という世界に、他者という異物が混ざり込んでしまうのだ。これがこの世の厄介な点。異物と適合するのは心底辛いもの。その辛さに打ち勝つことが出来ない者たちは、たちまち命を枯らしてしまう。
その辛さに打ち勝つために。命を枯らさないために。自分を理解し、打ち勝つためのエネルギーをくれる人。これが絶対に必要なのだ。その存在がこの世の言葉で言うところの、パートナーというものだ。

これがパートナーの定義なのだから。
辛さに打ち勝つエネルギーを最もくれる人というのは、「一番弱い、糞どうしようもない自分を愛してくれる」人だ。一切格好つけず、100%の弱みを出し切って、ありのままの自分を曝け出した時に、その姿を愛してくれるかどうか。これに尽きるのだ。

有り余る経済力も
眉目秀麗さも、男らしい胸板と二の腕も、パッチリ二重も、でかい乳も尻も、美しい脚も
薄っぺらい「それは辛かったね…」も

生き血を吸い取ってくるこの社会において、クソの役にも立たないのだ。
「一番弱い自分を愛してくれるかどうか」
現実を健やかに生きるためのエネルギーは、これでしか手に入らない。

毎日ぼんやりと死にたいと思い、訳もなく急に泣き出すメンヘラ男

これが私の本性だ。いくら着飾り、会社経営者だからなんだとかいくら喚き散らかそうとも。私の本性は、このどうしようもない姿なのだ。
彼女は、それを受け入れてくれていたはず。だからその後も、別れを切り出される事なく。むしろその日以降、私の思い上がりでないと思いたいが、彼女の表情はイキイキとしていた気がする。私に向けてくれる表情と目線が、より一層柔らかく、あったかいものであった気がする

人生で誰にも見せたことがない醜態を晒し、かつてないほどの安心に包まれる。

人間は皆、この瞬間を追い求めているのだ。そしてその瞬間が、死ぬまで変わらず続くことに飢えている。でもそんなものは映画の世界にしかないのだと、皆が諦めている。
私はそれを諦めた結果、人生に絶望した。ただ、絶望したと言っておきながら、でも死にたくないと抗ってしまった。
抗う以上は、それを追求しなければいけない。安心で人生を満たし切るために、俺は彼女を諦めるわけにはいかない。

そう思い至り、以下を送った。もう別れて一年が経つのに。しかも俺から勝手に別れようと言って逃げたくせに。どの面下げて連絡してきやがった。そう、彼女から思われるのが怖い。だが、このまま彼女のいない人生を過ごす方が死ぬほど恐ろしい。


xxへ

突然ごめんね。
あと、俺から別れようと言っておきながら、また連絡してごめんなさい。

この一年、ずっとxxのことが忘れられなかった。初めてミッドタウンで会った日も、彼女になってくれた7/16の日も、俺から勝手に別れようと言った10/19の日のことも、全部目に焼き付いてる。xxの表情が、全部忘れられない。

勝手に別れておきながら
xxのいない一年は、本当に苦しかった。自分の人生と毎日向き合ってきて、一時期は本当に死にたくなった。xxに、「30歳になったら死にたい、なんておかしいと思うよ」と偉そうに言っておきながらこのザマです。偉そうに言っておきながら、俺は本当に弱い人間で。xxから逃げ続けて、本当の意味でxxと向き合えていませんでした。奥底の、本気の本音をxxに言えずに、xxから逃げました。

なぜ、「別れたい」とxxに言ったのか。
俺は去年の10/19に、「xxといるのが辛いから」と言いました。痩せていく絢といるのが辛い、とか。xxと一緒に生きていくために、そのために会社を起こして金を稼いでいく、それが辛い、とか。ごちゃごちゃと、表面的な嘘を吐いて、xxから逃げました。

俺はxxに、完璧を押し付けていた。
自分に自信がなくて、価値がないと思っていた。だから、美しくて愛情深いxxに側にいてもらうことで、俺を満たしたかった。美しいxxが隣に歩いている、その彼氏である俺はすごいだろう、と必死に自分を言い聞かせていた。俺に愛情を向けてくれるxxの本当の偉大さに気づかずに、xxを利用していたのです。xxを、自分のコンプレックスを解消するための存在として、俺はxxに甘えていたゴミ屑でした。

だから、痩せていくxxと一緒にいるのが辛かった。
xxが何を抱えて、何を想って生きているか。本当の意味でxxと向き合い、愛するということが微塵もできていませんでした。
xxを愛しているんじゃない。俺は、完璧であって欲しい彼女が、俺にとって完璧であってくれないから。だから、それに耐えられないから、本当にxxがくれている愛情にも背を向けて、別れたいと言いました。

「俺にとっての完璧をxxが演じてくれないから」

これが本当の、xxに別れを切り出した理由です。
でも、当然xxにはxxの魂があって想いがあって、人生がある。xxは俺の完璧を演じるための存在ではない。そんな当たり前過ぎることを、俺は全く分かっていませんでした。勝手に完璧を押し付けて、それを聞き入れてくれないから不貞腐れて逃げました。

付き合ってくれたのに
愛情を溢れるほどくれたのに
それを侮辱して逃げ出して、本当にごめんなさい。
今は、自分がどれだけ愚かだったかを身に沁みて感じています。
そして、自分が本当に欲しているものが何かを理解しつつあります。

xxと過ごしていた時間
xxを抱きしめて、xxが抱きしめてくれる時間
生きてきた30年を振り返って、これが唯一無二の時間でした。あの時間こそが、俺が死ぬほど欲していたものだと、一年も経って気づきました。
俺が愛していると言って、xxはそれに十分過ぎるほど。俺がパンクして、「苦しい」と錯覚するほどの愛情を返してくれていた。 
xxの偉大さに、今ようやく気づけました。

自分勝手で、本当にごめんなさい。
今なら、xxに完璧を押し付けるような愚かな真似をせず。xxと本当の意味で向き合って、愛情を与え合う関係を創れると思っています。
お互いに我慢して本音を抑え込むのではなく。奥底のドス黒い、生々しい想いを受け止め合える、本当に信頼しあえるパートナーになれると思います。

傲慢ですが
お互いに一切格好つけずに、心の底から安心し合えるパートナー像を、xxは俺に求めてくれていたのではと思っています。
あの時は、xxの想いに、xxの愛情に全く応えられませんでしたが
もう一度、会ってもらえませんか。
会って、俺と生きていくことを考えてもらえたら嬉しいです。


もう、俺には何もない。

経済力があり
社会的に称賛される外見を持ち
見せかけの共感を投げてくれる演出能力に優れた

このクソ宗教の神にも捨てられた。
俺が誇れるものは、本当に何もない。

ただ謝ること
一緒にいて欲しい、と喚くこと

もう、これしかできないのだ。

当然、彼女からすれば応じる道理がない。急に別れて急にまた連絡してきて「なんだこれ」となるだけだ。
怖ろしい。
その彼女の表情を想像するだけで、身が切り裂かれるような思いがする。





以下の長編小説、企画出版希望です。
編集者や出版関係者でこちらの内容を本で出版したい、と思ってくださる方は、

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第一弾:親殺しは13歳までに

あらすじ:
2006年。1日に1件以上、どこかの家庭で親族間殺人が起きている国、日本。そんな国で駿は物心ついた頃から群馬県の田舎で、両親の怒号が響き渡る、機能不全家庭で生まれ育つ。両親が離婚し、母親が義理の父親と再婚するも、駿は抑圧されて育ち、やがて精神が崩壊。幼馴染のミアから洗脳され、駿は自分を追い込んだ両親への、確かな殺意を醸成していく。
国内の機能不全家庭の割合は80%とも言われる。ありふれた家庭内に潜む狂気と殺意を描く。


第二弾:男という呪い

あらすじ:
年間2万体の自殺者の山が積み上がる国、日本。
想は、男尊女卑が肩で風を切って歩く群馬県の田舎町で生まれ育つ。
共感性のかけらもない親たちから「男らしくあれ」という呪いをかけられ、鬱病とパニック障害を発症。首を括る映像ばかりが脳裡に浮かぶ。
世界中を蝕む「男らしさ」という呪い。男という生物の醜さと生き辛さを描く。


第三弾:監獄

あらすじ:
21世紀半ば。第三次世界大戦を経て、日本は「人間の精神を数値化し、価値算定をする」大監獄社会を築き上げていた。6歳で人を殺し人間以下の烙印を押された大牙(たいが)は、獲物を狩る獲物として公安局刑事課に配属される。最愛の姉に支えられ、なんとか生きながらえていた大牙は、大監獄社会の陰謀に巻き込まれ、人として生きる場所を失っていく。
あるべき国家運営と尊厳の対立を描く、理想郷の臨界点。


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