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インドネシアを知る㉒SELAMAT HARI RAYA IDUL ADHA(イード・アル=アドハ)
SELAMAT HARI RAYA IDUL ADHA(イード・アル=アドハ)は、イスラム教における重要な祝日で、犠牲祭とも呼ばれます。
この祝日は、イスラム教徒にとって信仰の重要な柱であるハッジ(巡礼)と密接に関連しており、アラファト山での祈りが終わるとその翌日に祝われます。
その意味においても強い特徴があります。
西暦2024年はイスラム歴で1445年で、西暦の6月17日、今日がその日です。
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1.由来と意味
この祝日は、アブラハム(アブラヒム)が神に忠実であったことを記念しています。アブラハムが息子イシュマエルを神に捧げるように命じられたが、最後の瞬間に神が介入し、代わりに羊を捧げることになったという話に基づいています。
犠牲祭は、イスラム教徒にとって信仰と従順の象徴であり、犠牲を通じて神に感謝を示す日です。
2.祝祭の儀式
動物の犠牲
祝日の中心的な儀式として、羊、山羊、牛、またはラクダなどの動物を捧げます。この肉は三等分され、自分の家族、親戚や友人、そして貧しい人々に分配されます。
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祈り
特別な祈りがモスクで行われ、多くの人々が集まって礼拝します。通常の礼拝とは異なり、この日は特別な説教が行われ、犠牲の意義について説かれます。
3.社会的な側面
慈善活動
多くのイスラム教徒は、この日に特に慈善活動を行い、貧しい人々への支援を強化します。これはコミュニティの一体感を高める重要な機会です。
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家族の集まり
家族や親戚が一堂に会し、共に食事を楽しむことが一般的です。特に犠牲に捧げられた動物の肉を使った料理が振る舞われます。
3.インドネシアでの習慣
インドネシアでは、「SELAMAT HARI RAYA IDUL ADHA」と書かれた横断幕やポスターが多くの場所で見られます。
都市部でも田舎でも、共に祝い、動物の犠牲を捧げる光景が広がります。
地方自治体や宗教団体が中心となって大規模な犠牲祭イベントを開催することも多いです。
この祝日は、イスラム教徒にとって非常に重要で、家族やコミュニティの絆を深める機会となっています。
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4.宗教的・文化的背景
象徴的な教訓
多くの宗教的な物語には、象徴的な教訓が込められています。アブラハムの物語も、その時代や文化における象徴的な意味を持っています。犠牲の概念は、自己犠牲や他者への奉仕といった価値観を強調しています。
神への信仰の試練
アブラハムの試練は、極限の状況で神への信仰と従順を試すものでした。この試練を通じて、信仰者にとっての忠誠心や信仰の深さが問われています。これは神が最終的にイシュマエルを助けることで、試練を乗り越えた者への報いも示しています。
5.多様性のための私の葛藤
私は調べていくうちに、今日の祝日の由来と信仰の試練の教えの中に自分には受け入れられない感情を持ちました。たとえ極限の状態であったとしても、息子を差し出さない、親としての決断が賞賛されるべきで、この由来には強い違和感を感じました。
6.代替的な解釈と現代の倫理観
倫理的な基準の変化
現代の倫理観では、人命の尊重や個人の権利が非常に重視されます。この観点から見ると、アブラハムの試練は人道的な観点に反しているように感じられます。
象徴としての解釈
一部の学者や宗教指導者は、この物語を象徴的に解釈し、物理的な犠牲ではなく精神的な献身を示すものと見なしています。このアプローチでは、アブラハムの試練を通じて、信仰者が困難な状況でも倫理的な決断をする重要性を強調しています。
信仰の再解釈
一部の解釈では、アブラハムが実際に息子を犠牲にしなかったことが重要であるとされています。
神が最終的に介入して息子を助けたことは、人命の尊さと神の慈悲を示すものとされています。この視点からは、アブラハムの従順さだけでなく、神の慈悲も強調されています。
7,現代の視点での宗教的物語の理解
倫理と信仰のバランス
現代の信仰者は、信仰と倫理のバランスを見つけることが重要です。宗教的な物語をそのまま受け入れるだけでなく、現代の価値観や倫理観に照らして再解釈することが求められます。
対話と教育
宗教的な物語に対する異なる視点を持つことは、対話と教育を通じて深めることができます。異なる解釈や意見を尊重しながら、共通の理解を築くことが重要です。
8.大切なこと
アブラハムの物語に対する私の違和感や倫理的な疑問は、現代社会において、私だけが抱くものではないように感じ、とても重要な視点だと思います。
共生社会の中で、実際に信仰する外国人就労者たちが、どんな感情や考え方で現代の自身の信仰に生かしているのか?そこに着眼すべきだと今日、気が付きました。
この物語を象徴的に解釈し、倫理的な決断や人命の尊重という現代の価値観と調和させることで、より深い理解を得ることが、私自身できるのではないか?と考えました。
異なる視点や解釈を受け入れ、対話を通じて共通の理解を深めることが、現代における宗教的物語の重要なアプローチとなるだと考えています。
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