できない。を理解してもらうのは難しいようだ。
何度も、何度も、何度も。
「頑張っているのですが、期待に応えることができません。
もう少し、そちらからの努力目標を下げて頂けませんか。」
(私としては、もうすでに努力250%ぐらいの状態です。
今にも倒れそうな状態です。)
と伝えているのですが、
どうやっても、伝わりません。
どうしたら良いのでしょう。。。
いつもぶつかるのがこの問題。
「頑張れない」と「頑張らない」
結果が出ないと、頑張り足りない。
という評価を受けがちなのですが、果たして本当に
そうなのかと毎度思います。
また、結果が出ないなら、もっと頑張れと言われがち
なのですが、それも果たしてそうなのかと毎度思います。
そもそも頑張るステージが間違っていたら。
という可能性も考えてみる事が大切なのではと、
思ってしまいます。
海で泳ぐ魚に、陸で頑張って生きろ。
魚は頑張りますが、おそらく息絶えてしまうでしょう。
それは、魚の頑張りが足りなかったからでしょうか。
それは、頑張るとかそういう話でしょうか?
そもそも魚は頑張れないのではないでしょうか?
残念ながら、人は見た目で「海で泳ぐタイプ」か「陸で走るタイプ」か
見分けがつきません。
見た目では分からない違いだらけと言ってもいいかもしれない。
たまたま指示を出す人、評価を下す人が自分と違うタイプになって
しまうと、不毛な戦いを強いられる事になってしまいます。
だから、どうしろという事ではないのですが。
ただ、その頑張りは本当に必要なのか?と、思ってみるのも
いいかもしれません。
少し前の私のように、「もっと頑張れといわれても、もう精一杯で
これ以上できない。私はダメな人間なんだ。」
と、自分を責める。自分を下げる。
そんな事をする前に、あの人と私、果たして同じなのか?と相手との距離を取り直して、自分に問うてみるのも有りだと思うのです。
おそらく、ダメな人間ではないはずなのです。
一方で、出来ない人を目の前にしたときに、あなたのオーダーは
果たして相手に要求するのにベストな目標なのかどうかを一度考えて
見てほしいと思うのです。
すべての人があなたと同じように出来なくてはならないというのは、
ただの独りよがりな思い込みである。傲慢さである。
と、気が付くと思います。
もし、生きる場所が違っていたら、もしかしたら、立場は逆転
するかもしれないと思うのです。
出来る事、出来ない事は、絶対ではない。
状況が変わると立場も変わる。
だから、私たちは助け合う。
出来ないは、困りごと。苦手ごと。
ならば、出来る人が代わりにフォローしたらいい。
出来るところを探して、それをやる。
出来ないところは人に助けてもらう。
出来ない事を無理にやれるようにしようとしない。
それが、つまり、最近流行りのあれですね。
サスティナブルでエコな生き方。
助け合いに徹したら、世の中の難しくて苦しまないといけない
事はかなり減って、随分と生きやすくなるのではないかと
思うのです。
そうすると何が起こるか。
頑張らないといけない事が激減すると思います。
嫌な事をする時間も激減すると思います。
人はもっと生きている時間を楽しめる。
楽しむ時間にエネルギーを使うことができるように
なる。
「頑張らない」と「頑張れない」
そんな事どうでもよくなる毎日を私は選びたいと
思います。