誰かの顔を思い浮かべて書くことを忘れない
こんにちは、流香です。
書くとき、誰かの顔を思い浮かべること、いえ「思い浮かべられること」を大切にしています。
それは、不意に傷つけてしまわないように…だったり。
独りよがりを、防ぐため。
たとえば、前回の記事はとてもデリケートな内容をふくむため、2回同じ注釈を加えました。
「その臓器のあるなし関係なく」という前提でお話しするそれは、きっと大切な誰かのこころを守れるすべになれるから…
「そのあるなし関係なく(男女も関係なく)」とお伝えするのは、別にどうでもいいかもしれませんが、たった一人、ふたりに誤解なくエールとしても伝われるため。
もちろん、そんな細かい部分まで誰も気づかないかもしれませんが。
ひとを感じながら書いていると、どうしてもふとよぎる「人の心」そして「お顔」があります。
わたしは、それが書き手の独断をstopする、大切なセーブ(セーバー機能)だと感じています。
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何かを、言い切ってしまったほうが、もしかしたらまっすぐ伝われるのかもしれない。
でも、ふと誰かが思い浮かぶこころも忘れたくない。
これはもう、自然と、自然とそうなるライティング時間です。
書くメッセージに、なにを載せていくか。
それは、ほんの微細な部分も大切に受けとめ、そこをいっしょに守りたいとする心と。
「まっすぐ」という言葉は、「まっすぐな瞳」に使うということ。
人に上下なく、おなじ対等な人間として心からのメッセージを届けんとする時、それを助けてくれるのはいつも「お人のお顔」なんです。
「書く」は、ある意味自分の思いを自由に表現しきれる場所。
でも、だからこそ試されると思うんだ。
その「自由」に、愛こそ乗っていられるか…
私もまだまだ精進中ですが、誰のことも思い浮かべられないで書く筆は、ほんとうに寂しいものです。
でも逆に、誰かが浮かんで書き上げられる筆は、こちらの心こそを豊かにしてくれます。
「わたしには、応援したい&応援させていただきたい方々いる」
と同時に、デリケートな部分には「表現の自由」を使わず、「無表現の愛」を選ぶこと。
あらためて、大切にしたいですね。
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書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
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