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書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)

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書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことばが あなたさまの自分軸にも立ち返るきっか…
最後まで全文読み放題の買い切りマガジンです。 まとめてお読みいただけることで、より内なる軸と繋がり…
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#自己啓発

書くことが好き=言葉と思いが一致する瞬間の幸せを生きて

こんにちは、流香です。 みなさまは、「書く」ことがお好きでしょうか? もちろん、だからこそこうしてnoteにたくさんの方が集まっていると思うのですが、あらためて 「なぜ」書くのが好きなのでしょうか…? それは、たとえば「縫い物が好き」「音楽が好き」「カフェが好き」「自然が好き」といった、ただただ個人の“純粋なスキ”の結晶かもしれませんが、あらためて。 無条件に「どうして、好きなんだろう…?」と問うたときに、そこから見えてくる景色はどんなものですか…? ちなみに私の

ご紹介&サムネ画像プレゼントに感謝を込めて ~軸は外からもやってくる~

こんにちは、流香です。 先日自己啓発ソムリエ 言葉で動くさまに、下記のようにご紹介いただけ。 なんと、サムネイル画像もお作りくださり、本当にありがとうございます。 なんと、もう言葉になりません… まず、当方の魅力を下記のようにお伝えくださり。 そのうえで、サムネイル画像を下記のようにお作りくださり。 もう、きめ細かな配慮とご厚意に、ただただ頭が下がるばかりです。 自己啓発ソムリエさまとは、もう何年繋がりを持たせていただけているでしょうか… その間、何度もご紹介

あなたの発信には価値がある

こんにちは、流香です。 「noteに一番感謝したいことは、何ですか?」もし聞かれたら。 あなたなら、どう答えられますか。 私の場合は、おかげさまで「自分の発信にも価値がある」と思えるようになりました。 ずっと、どちらかというと聞き役で。 もちろんそれが好きでしている時はいいのですが、そうではない場面でよく「自分の意見は飲み込む」を繰り返して。 「私が間違っているかもしれない」 「こんなふうに感じる私はヘンかも、自信がない…」 そうした思いから、いつしか飲み込み癖

noteは一人ひとりの夢が叶う場所

こんにちは、流香です。 最近うれしいのは、noteでご縁をいただいたご購読者さまが、いいかたちでご変化されていたり、有料記事が売れていらっしゃったり、夢を叶えていたり… ひそかに、とてもとても嬉しく感じています。 もちろん、皆さまいろんな方のお世話になっていると思うので、そこは謙虚に感じているのですが それでも、とくに「売れる」「売れ続けていらっしゃる」そのご様子に、静かな感動を体験させていただいています。 お人の変化、夢が叶う幸せが、こんなにもやさしい気持ちになら

繊細なライターさんへのメッセージ ~あなた自身の言葉でお金を受けとってもいい許可と自分軸と~

こんにちは、流香です。 初めて、自分の文章でお金をいただけた日… お人の代筆ではなく、 自分の、素直な自己表現でいただけた日のこと。 それは、わたしの場合noteのサポート機能というものでした。 そのときの、驚きや衝撃、また感動は今でも忘れていなくて… 辿々しく始めたnoteでしたが、約一ヶ月目に、まったく遠い遠い世界の方から、ご支援いたたけたこと… 「あぁ、代筆(ライター)ではなく、自分の思いや言葉でお金をいただいてもいいんだ」 「この道(note)でいいん

洗脳を解いて幸せになるにはアウトプットが一番

こんにちは、流香です。 自分のよろこびの一つに、書くこと=アウトプットがあるのですが。 これは、はっきり言って「好き」「苦手」関係なく、全員に必要なことだとわたしは感じています。 もし、アウトプットをせずに、読む・受けるインプットばかりだと、どうなるか? それは、良い意味でももちろんですが、「自分以外のもの」に強く染まってしまう可能性が高いです。 そして、それが続くとどうなるか? わたしたちは、自己表現というアウトプットをおこたると、どうしても「自分の声」や「自分

「自分語り」はアクなのか?

こんにちは、流香です。 最近よく思うことがあります。 それは、 ということ。 よく「経験や感じたことをそのまま書かずに、もっと役立つように書きましょう」「自分語りで終わらないように」とも世間ではいわれて。 その度に、「あぁ、やっぱりそれじゃダメなんだ」 「もっと理論的に、こうすれば~~なる」と書かなきゃと焦るのですが もしかしたら、それも一つのワクなんじゃないかなと、感じられるようになりました。 なぜなら、

自分の考えをまとめられることで自己肯定感は高まっていく

自分の考えをまとめられることで 自己肯定感は高まっていく。 だから書く習慣があれる人は強いし それが伝わるともっと 「自分を生きていいんだ」と さらなる肯定感に包まれていきます。 「受け止めてもらえる(読んでいただける)」場があれることで わたしたちは安心を覚え、 さらにのびのびと自分を自分らしく生きていくことができます。 でも、思うのが。 もし書かなくても誰かに対してよき読み手になれていることにも わたしたちは誇りをもっていいと思うし、  誰かを「受容」できることもま

上から目線も下から目線もなくして本当の才能を生きる

誰のことも見上げないし、見下げない。 これができるのは、自分に対してフラットに接していられるからで 人間関係の「上から」「下から」をなくすには、絶対的に自分をまっすぐに受けとめる(扱う)ことがとても大切。 それでもマウントをとりたい人は、あなたの本当の力を怖れているだけ♪ あなたが本領を発揮して、自分の居場所を失う(とられる)のを敏感に察知して抑えているだけ。 でも、あなたはもっと自由になっていいのです。 「誰のための人生?」 そこにその人の名前が出てこないので

本気で生きるということ=本気で書くということ

noteとKindleは、同じ「書く」でもまったく違います。 また同じKindleでも、電子版とペーパーバック版はまったく違って すべてにおいて未知に出逢う度、どきどきと新鮮な鼓動が高まります。 「書く」は長く続けているつもりですが、まだまだこんな未知があったなんて… どれだけ場数を踏んだとしても、毎日が新鮮ですしどれだけやっても「飽きない」という最高の生き方を見つけられたと、その幸運にただ今は感謝しています。 そのような問いによく出逢う度、訊かれる度に、自分のなか

いのちを何のために使うのか ~母と父と兄にできること~

わたしのこの腕は、母から わたしのこの魂は、父から わたしのこの愛は、兄からもらったもの。 すべての筆は、ご先祖様を含めたくさんのいのちの結晶から生まれ 誰一人欠けていたとしても、わたしの「書く」は存在していないし「生きる」も存在していない。 だから、譲ってくれたこのいのちを、自分だけのものにするのでなく分かち合って生きることは いのちをくれた家族への最大の恩返しなんだ。 恩送りなんだよね、わたしにとって。 どうして、いつも叱るのとか どうして、いつも無視を

パソコンが使えなくなって思うこと

実は先日から急にパソコンが使えなくなって、ただいま修理中です。 …と、どうでもいい情報からスタートして(笑) でもびっくりするくらいのタイミングだったので、本当に大切な申請が通れた直後だったので、 と本気で、こころから思えたのです。 (なぜなら「また後で…」にしていたら、動けずぜったい取り止めていたことだから。 なんでもそう、きっと大切なことほど(結婚や引っ越しなども)「直感で」「前倒しで」動くことが、実は大事なときがあるのかもしれません。 *** そして、ここ

自分のまんまで幸せになること

書きたいことがたくさんありすぎて… いろんな「書く」を楽しむ中でも、特に大切にしているのが 自分のまんまで幸せになること。 無理は続かないから、合わないことはやらない。 SNSでも思考で書くことは続かないから、やらない。 もちろん疲弊することも。 ただするのは、最上の幸せ=そのまんまの自分でいること♪&書くことをゆるすことだけ。 自分じゃない動きでなにかが(たとえばご縁や人脈)繋がって広がっても、 それが続かなければ意味ないものね。 いつも自然体の自分でいて

何事も「慣れた」時にこそ気をつけて

真面目なお話です、 なにごとも「慣れた」時にこそ気をつけて。 私自身、毎日投稿950日を超えて、はじめの頃に比べて執筆スピードは各段に上がりました。 ある意味、どんなところでも、どんな環境でも、どんな時間にでもさくっと書けるようになったのは 本当によろこびであり、成長でもあり嬉しいところ。 でもね、そんな時こそ気をつけていたくて… 流す、ように書かないこと。 やっつけ、で書かないこと。 そして何より「人」を忘れないこと… ひとは、慣れてきたときがいちばん怖い