ベネズエラと音楽とトラウマと
7年も前に書いたものなんですけど、
10年前くらいに当時、音大生だった私はピースボートっていう世界一周の船旅に参加してまして、
その時にベネスエラに寄って「エル・システマ」っていう
"音楽で貧困地域に暮らす子供たちに希望を与える"
ことをコンセプトに無償で音楽教育を行う団体に楽器の寄付やユースオーケストラの演奏を聴くっていう現地でツアーに参加していたんですね。
その団体に日本に帰って数年経ってから自分の長年(中・高・大)吹いていた楽器を寄付した時の気持ちです。
一昨日、ベネズエラのエルシステマの子たちに、と思って長年吹いた自分のホルンを寄付してきました。
おばあちゃん家の2階にしまっておいた楽器を
最後にと久しぶりに吹いたらちょっと色々思い出しました。
自分の実力の低さに
絶望して苦しんだり
逃げたり
投げ捨てたくなったり←
自分の指折れて吹けなくなればいいのにとか思ったり←
見るのも聞くのも嫌になった時もあったり
向き合おうと必死になったり
一緒にさりげなく船旅にも連れてって、
よく夜に潮風ばんばんの後方デッキで
この旅が終わったらまた学校か、、、と憂鬱になりながら一人で練習してたなとか
けっこうディープな悩みの種でした 。笑
うまく向き合えなくて苦しくなることが多かったけど、
音楽の美しさと楽しさと厳しさと偉大さを感じれたのはホルンのおかげで、
靴音が響く木のステージ
暗くなる客席
軋む山台
訪れる沈黙
修正のきかない時間芸術だからこその緊張、恐怖、興奮
ハーモニーが合わさった喜び
ブラス(吹奏楽)やオケ、アンサンブルで色んな楽器の音につつまれる感覚
楽器で歌う感覚
仲間と吹く喜び
忘れないんだろうなあ。
息を吸って身体の奥深くに入って
息が楽器を通って音になる感触も
忘れないんだろうなあ。
『音楽をやめても音楽の素晴らしさを伝えてください。
音楽は世界を平和に出来ると僕は本気で思ってます。
だって、歌っている人に向かって銃を撃たないでしょう?』
ブラスの打ち上げにお邪魔した時、指揮者の先生が言ってた。
音楽って世界共通の言語だと思う。
悲しさも喜びも怒りも幸せも全て表現出来る。
まさか自分が実際にベネズエラ行って楽器を手渡ししたりユースオケを聴いたエルシステマに楽器を寄付するなんて思ってもみなかった〜!
誰かの希望になりますように。
誰かのきっかけとなりますように。
というものでした。
7年も前に手放した自分の楽器は今も使われてるかな。
壊れてしまったかな。
大統領が変わって色々荒れているようではあるもののベネズエラは現在はどうなったのかな。
10年も前のその当時、ベネズエラのスラム街に住む子どもたちは、映画のようだけどギャングの抗争やらで銃撃戦が街中あちこちで起こるような日々の中、大きくなったらギャングになるかドラッグの売人になるか、、、
と犯罪に手を染めるしかないような環境で生活をする子が多かったようです。
10年前にたまたま乗ろうと思ったピースボートのツアーの一つとしてスタッフの人が
「音楽やってるならきっと興味あると思うよ!」と、
当時音大生であった自分に教えてくれました。
へぇ〜と思って貸してもらったドキュメンタリーの映像を見た時、
結構衝撃だったんだよね。
エル・システマで学ぶ子どもたちの70〜90%はそのスラム街など貧困層のこどもたちで、
高い水準の音楽教育を4.5歳くらいの小さい子から受けることができ、
みんなこの場所の中なら危険に怯えるなどなく安心してニコニコ過ごしてるようでした。
「将来はバイオリニストになりたい!」「大人になったらプロのオーケストラで演奏したい!」と
口々に楽しそうに子どもたちが話している姿はとても生き生きしてた。
ジュニア?ユース?オケのメンバーになるにはちゃんとオーディションもあって、
オーディションに関するインタビューを受けていた10歳すぎ?の女の子が、
家からオーディションに向かう途中、ギャングの抗争に巻き込まれて足を撃たれてしまったことを話していた。
命に別状は無かったものの
「でも足が撃たれてしまったことが悲しかったんじゃないの。オーディションに行けなかったことが悲しくて泣いたの。」と。
その子にとってどれだけ目標で、希望で、支えだったのかって。
当時、当たり前のように自分の意志で
安心安全な場所で音楽や楽器を学べていたのに、
ちょっと鬱っぽいというか結構ギリギリに追いやられてて
学ぶことを楽しむことができなくて
人に聴かれるのが怖くて
全力で逃げたくて
曲すら聴かないようにしていた自分にとって
やっぱ音楽ってすごいや!と
色々と前向きな気持ちと刺激と、
そして甘い自分にグサりと刺さる内容でした。
というすごく昔の思い出。