【双極と私#5】はじめての入院生活:精神科閉鎖病棟での自由時間をどう過ごすか
こんにちは、百華です。
振り返りシリーズ第5弾です。
初めての精神科閉鎖病棟での入院生活は、約2か月。
入院生活はほぼほぼ、ご飯と自由時間の繰り返し。
とにかく自由時間が長くて、何もすることがないのが、閉鎖病棟に入院するときの特徴かもしれません。
私がこの自由時間に何をしていたか。
入院生活も含め、ざっくりとまとめて書いておこうと思います。
入院1~5日目:ぼーっとしているだけ
閉鎖病棟での生活はいたって単調でした。
起きて検温されて、半分寝ぼけたまま車いすで運ばれて。
病棟内の別室で、1時間ほど光を浴びます。
これは睡眠障害の治療。
強制的に強い光を浴びることで、朝を認識させるのだそうです。
目を開けていられないほど眩しいのに、ほぼほぼ寝てました。
看護師さんが呼びに来たら、ロビーへ移動して朝食。
光で目が覚めたはずだからと、帰りは運んでもらえません。
初日、目が覚めたのか覚めていないのかわからない状態で、廊下をノロノロ歩いてたら怒られました。
私は摂食障害の治療もしていたので、食事メニューが違ったんです。
メニューが一般食と違う人は、先に配膳カウンターへ取りに行かないといけないのに、その配膳時間に間に合わなくて。
翌日から、別室へ運ばれる時間が10分前倒しになりました。
ほぼ起きてないので、10分なんてほとんど誤差。
ご飯を受け取ったら30分でかきこんで、食べきれなかった分は液体の栄養剤を飲んでカロリーを摂って。
食べ終わったら、ナースステーションの目の前の区画で待機時間でした。
摂取したカロリーを消費したり、排出したりしないように、監視下に置かれる時間です。
私は吐けないし、病棟に下剤を持ち込むことなどできないので、トイレにまで看護師さんがついてくることはありませんでしたが、中には待機時間が終わると同時にトイレに駆け込む子もいました。
どうしても吐き出したい子、食べた分を取り戻そうと動き回る子。
待機時間の終了時は、患者さんと看護師さんとの駆け引きが頻繁に行われていて、結構修羅場。
それを横目に待機が終わると病室に戻って、ベッドの上でぼーっとしてたら、血糖値測定して、お昼ごはんになります。
また食べて、待機して、ベッドに戻って。
そのあとは、お風呂に入るか、ロビーでスマホをいじるか。
スマホをいじれる時間は2時間しかないのに、そこにお風呂の時間を当ててくるのはずるいな、と思ったり。
入院したばかりのころは、スマホタイムに検査が入ることが多くて、スマホを一瞬しか見れない日もありました。
見たところで目新しい通知は母親からの連絡くらいですが、入院して数日が経ったころから、SNSを見ないと世の中からおいていかれるような気がして、何としてもスマホを見なければという謎の使命感に駆られていました。
夕方スマホを返却したら、代わりにiPodを受け取って、ロビーの端っこで夕食まで音楽を聴いていました。
たまに良席が空いていたときは、テレビを見たり、外の景色を眺めたり。
そして夕食を食べて、薬を飲んで、待機して。
そのあとはだいたいベッドで本を眺めていました。
読むほどの思考力はなかったです。
で、寝る前に睡眠薬を飲んで歯みがきをしたら消灯。
入院して1か月くらいは、消灯後も眠れなかったので、23時くらいに看護師さんが見回りに来るときに、追加の睡眠薬をもらっていました。
そんな毎日の繰り返しで、面白みなんて何もありません。
週に一回の体重測定と血液検査の結果に一喜一憂するくらい。
MRIや脳波などの検査結果は、特に異常がありませんでした。
入院5日目~:交流と研究協力
入院からしばらくたちましたが、基本的に生活に変化はありません。
変わったことは、自由時間を他の患者さんと過ごすようになったこと。
それから大学病院だったので、睡眠障害の研究に協力するようになったこと。
最初に話しかけてくれたのは、隣のベッドの女性。
初めてだらけの私に、食事の受け取り方から、身支度を整える場所やお風呂の使い方にいたるまで、親切についてきて教えてくれました。
でも、とても気分屋さんというか新しいもの好きな方で。
4日目くらいで違う部屋に新しい患者さんが入ってくると、おもちゃに飽きたように見向きもされなくなりました。
他人の面倒を見るのが好きだったんでしょうね。
ということで一人静かに過ごそうかなと思っていたら、初日に隅っこでUNOをしていた一軍女子たちに声をかけられました。
「ねえ、朝いつも何してるの?」
制限食を食べて待機しているから、同類だと踏んだのでしょう。
親し気に話しかけてきたのは、高校生の女の子でした。
そう、入院初日に私の心をボロボロに打ち砕いたあの子。
「答えたくなかったらいいんだけど」
「光、浴びてる」
「なにそれ」
「朝起きれないから」
そんなのあるんだ、と笑い飛ばされました。
入院から1週間もたつと、自由時間は彼女たちと過ごすのが当たり前になっていて。
UNOを中心に、もっぱらカードゲームやボードゲームをして時間をつぶすのが日常。
彼女たちはみんな、摂食障害で入院している患者さんでした。
下は小学5年生から、上は大学生まで。
ここでの私には、みんなのお姉ちゃんという役割がありました。
「百華ちゃん、あのね」
そんな文言から始まる相談や恋バナ、噂話。
まだ思考力がもどっていなくて、ほぼほぼ相槌しか打てていないのですが、聞いてほしいだけの彼女たちにとっては、ちょうどいい話し相手だったのかもしれません。
そんな彼女たちも、スマホタイムはみんな画面をガン見していました。
それから、夜になると寂しくなって、毎晩電話ボックスにこもって、お母さんに電話している子もいました。
院内学級が病棟で開催される日は、あまり仲間がいないので、一人でゆっくりと本を読みます。
このころには、文章を文字として認識できるようになっていました。
一度読んだことがある本だから、内容を思い出しながら追っていただけかもしれませんが。
こんな感じで彼女たちとの交流を通して、少しずつ感情を取り戻していったような気がします。
研究協力というのは、睡眠・覚醒時間とか深さとか、そういうのを測定するものでした。
入院して1週間くらい経った頃、主治医の先生から研究協力の依頼を受けました。
ほとんど考えることなく「はい」と返事をすると、数日後に先生と一緒に知らない人が来て、研究の目的や方法を説明してくれました。
この期間は、1日中ずっと、測定用の小さな機械を装着して生活していました。
あと、睡眠中の脳波をはかったり。
協力したのは2週間程度でしたが、なかなかない機会ですし、終わった後に結果をもらえたりするので、研究者の端くれだった私にとっては、なかなか興味深い体験でした。
入院21日目~:作業療法への参加
入院開始から3週間。
生活リズムには変化がありません。
ひとつ進歩したのが、体重が増えておやつが許可されたこと。
母にお願いして、夕方の面会時間に制限カロリー内の大福やスフレなどを差し入れてもらいました。
甘いものって幸せだなと思うと同時に、もっと食べたいという欲求が沸いてきました。
おなかが空く感覚を思い出してきたのもこのころで、食べることを作業ではなく、満たされる時間として認識することができるようになってきました。
看護師さんにも先生にも、うつの症状や食への認識が改善してきたねと褒められました。
このころになると、少しずつ活動をしようかなという気になってきて。
病棟内で行なわれる作業療法に参加して、パズルや塗り絵をしていました。
この時間、周りに人はたくさんいるのに、無心で作業に集中できるんです。
作業療法を通じて、イラストロジックにめちゃくちゃハマりました。
終わる時間に、作業療法士さんにお願いして余分にパズルをもらって、自由時間にやったり。
今でも、ときどき雑誌を買って解いています。
参加を始めたころは運動するほどの気力はなくて、卓球やストラックアウトなどが行われるときは、見学していました。
病棟内で生活していると、身体を動かす機会がほとんどないので、大人から子供までみなさんすごく楽しそうに遊んでいて。
だんだん参加したいなっていう気持ちになっていって、入院して1か月くらいすると一緒に遊ぶようになりました。
みんなやりたいから、なかなか順番が回ってこないのがちょっとじれったかったな。
入院36日目~:院内外出の許可
入院して5週間がたち、だんだんと病状が落ち着いてきました。
〇洗顔やお風呂などの身支度が、毎日きちんとできるようになった。
〇思考力が戻って、他人と会話が成立するようになった。
〇行動力が戻って、作業療法に欠かさず参加できるようになった。
〇食事が、制限食から一般食へ変更された(制限はあり)。
〇貧血や低血糖の症状が改善して、倒れる心配がなくなった。
朝は相変わらず起きれず、午前中はぼーっとしていましたが、気分が極端に落ち込むこともなくなりました。
このころになると、少しずつ趣味への興味が戻り始めて。
スマホ使える時間に動画を見たり、持ち込んだDVDを再生したり、ノートに詩のような短編を綴ったりして、自由時間の過ごし方の幅が広がりました。
この段階で、先生から院内外出の許可が出ました。
自分の判断で動いても、問題を起こさない状態になっていると思ってもらえたのは、認められた気がして嬉しかったです。
午前か午後の自由時間に2時間程度、病棟から出て一人で院内を散歩しました。
もちろん病棟を出入りするときには、何も持っていないことをチェックされます。
でも、閉塞的な空間から解放されたからか、久しぶりに歩いて外の空気を吸えたからか、とてもすがすがしい気分でした。
外来の方まで散歩したり、コンビニに行って商品を物色したり。
院内図書館に行って、本を読んだり。
中庭に出て、少しずつ寒さが緩んでいくのを感じたり。
病院内のカフェや食堂に行って、人間観察をしたり。
お金を持っていないので、お菓子やごはんをおいしそうだなと眺めるだけなのが、ちょっとつらかったなぁ。
それから。
妹や当時の彼氏に、外出時間を使って会っていました。
入院中、病棟で面会者として登録できたのは母だけで、他の人には会うことすら許されていなかったので。
外のようすを聞いたり、なんでもない雑談をするのが、すごく楽しかった。
何より、こんな私でも会いに来てくれる人がいるのがとても嬉しかった。
誰かが来てくれた日は、別れがとても名残惜しかったです。
外出時間が終わらなければいいのに、と何回も思いました。
私はいい子ちゃんなので、もちろん時間を守ってきちんと病棟へ帰りましたよ。
入院50日目~:買い物の許可と家族との院外外出許可
入院してから7週間が経過。
入院中の生活は、ほとんど変わりません。
嬉しいことに食事制限がなくなり、院内散歩のときに買い物が許可されました。
許可が出た日は、1000円くらいしか入っていない財布を握りしめて、はじめてのおつかい並みにウキウキしながら外出したのを覚えています。
カフェで久しぶりに甘い飲み物を飲んだとき、涙が出そうになりました。
たぶんちょっと泣いていました。
それから退院するまで、週に2回くらいのペースでカフェに行ったり、コンビニスイーツを買ったりしていました。
食べたいものを、食べたいときに食べられる幸せって、何にも代えがたい。
そして、退院後の生活を見据えた練習を行う期間になりました。
もともと入院期間は1か月半程度の予定でしたし、光療法の効果が出てきたのか午前中の調子がよくなってきたので、院外への外出ができると判断してもらえたみたいです。
朝病院を出て、夜ご飯には帰ってくる日帰りの院外外出では、病院近くの公園でお花見をしたり、少し街の方へ出て、大きな本屋さんへ行ったり。
外泊許可が出たら、一泊二日、二泊三日と外で過ごす時間を伸ばして、実家へ帰りました。
何だか不思議な感じだったんですよね。
家なんだけど家じゃないような。
でも、やっぱり母の手料理は一番美味しいし、安心します。
この頃は、退院への期待と不安が入り混じって少しブルーでした。
退院や復帰が見えてくると、少しナーバスになってしまうのはいつもそう。
あまりに入院生活に順応しすぎて、本当に退院してもやっていけるのか、今後どうしたらいいのか、未来があるのか・・・と、泣きながら母や看護師さんに話していた記憶があります。
2017年の4月。
なんだかんだあって、入院してから9週間で退院となりました。
ここからは、外来通院しながらの自宅療養となります。
まとめ
ゆるっとした入院生活でした。
重症の方はさらに奥の保護室に入っていたみたいで、閉鎖病棟と聞いて想像するような変な事件が起こることもなく、すごく平和な病棟だったと思います。
基本的な自由時間の過ごし方は、こんな感じ。
急性期
・ぼーっとする、外を眺める
・音楽を聴く
・本を眺める
・テレビや外の景色を眺める
・人の話を聞く(聞き流す)
回復期(急性期のものにプラスして)
・本を読む
・パズルや塗り絵をする
・短編(詩)を書く
・DVDを見る
・散歩する
・他の患者さんや看護師さん、作業療法士さんとしゃべる
・カードゲームやボードゲームをする
・院内のカフェや中庭でゆっくりする
こうやって書き出してみると、徐々に回復していったんだなということがわかります。
うつも、睡眠障害も、摂食も、その他諸症状も。
まさかこのときは、自分が双極だなんて思いもしませんでした。
そもそも、こんなに長く精神科に通うと思っていませんでした。
このままゆっくりとうつから回復して、いつか社会の一員として戻れるものだと思っていたんです。
#6へ続きます。
百華