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未来を思う

母は長寿でしたので百歳のお祝いをすることが出来ました。ケーキを頼んだお店の人から言われた言葉は「たくさんのバースデーケーキを作りましたが、百歳のメッセージを書くのは初めてのことで、百歳のお祝いケーキを作れたことは喜びです」でした。

 

母はすごく健康で、ボケもなく、すべて自分で考えて行動していました。
薬には縁がなく、お世話になった方々みなさんが口をそろえて言われること、それは「薬を飲まないから健康でいられるのでしょう」でした。


それに関してはよくわかりませんが、医療関係の方々がみなさんそのようにおっしゃいますので、それには一理あるのかもしれませんね。私は母の考え方や生き方が病気を寄せ付けなかったと思えるのですよ。


母の口癖は「すべてこれで良し」何が起きようとも動じることはありませんでした。骨の髄まで神道に染まっていた母だから凄かったのではなく、母と同世代の人は皆、何かしらの生きる道のようなものを持っていたと思えるのです。


103歳の母を自宅で看取りました。私の人生で最も印象深かったこと、それは母の看取りです。人があの世に旅立つその時のことは、まあ、言葉に言い尽くせないことばかりで・・・


お気に入りのお箏の名曲を聴きながら、母は呼吸を繰り返して・・・ただ呼吸を繰り返すだけ・・・それだけであの世に旅立っていきました。苦しむことなど全くありません。


で、今思うのです。私の未来を思うのです。私が百歳を超えて生きることが出来るかわかりませんが、年々齢を重ねていきますので、一年一年終着点に近づいていることは確かなことです。これは私だけではなく、生きている人皆に言えることで、老若男女みなさんも終着点を目指して歩いています。


ふと気が付けば、自分の未来を、年老いた私を思い描いている自分に気が付くことがあります。面白いことに、その姿は(高齢の私ですね)やはり元気なのですよ・・・母のように。身体は一回り小さくなっていますが、里山の畑でオレンジ色の膝当てをして草刈りをしているのです。

今の世の中がこのまま続くわけではありませんし、社会構造が変化するかもしれませんし、先のことは未定のこと。でも、つい自然に未来を思い描いてしまうことってありますよね。不安や心配を抱きながら思い描くのではありません。ただ単に未来を思い描くだけ・・・


ここまで書いてきて思ったこと。それは未来という言葉には希望というニュアンスが含まれているように感じました。 未来=希望 
イコールではないかもしれませんが、未来とは希望なのだと、そのように信じてこれからを生きていきたいですね。


さあ、とりあえず、私は「すべてこれで良し」を口にしながら日々を過ごしていきます。ストレッチとエキササイズをして、口に入れるものに気を付けて、好きなことをして溌溂と、日々を過ごしていきます。
未来とは希望であると信じて、信じることで呼び寄せたいですね。

お読みいただきありがとうございました。


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