【真善美】善の作家VS美の作家、あなたはどっち?
読書はその理解力、読解力の
深さ、高さに尽きる、
と思ってきました。
そうして、自分はどうも
優れて高くはないとも
わかっていつつありますが、
理解力、読解力を
なんとか、高めたいとも
いまだ、未練たらたらに
毎日本ばかり読んでいて、
でも、理解力や読解力を
磨く場所、トレーニング所は
どうも現実の人間関係や
仕事の出来不出来に
あるらしい、とも
わかってきました。
もう52歳というのに。
(笑)
いや(汗)か。
それで、本の世界でなく、
私を取り囲む現実にのみ
生きようとすると、
これがまあ、とんでもなく
息ができないような
苦しい世界なんですよ。
わかりました。
読書は現実逃避なんです。
そうして、
現実逃避は素晴らしい
幸福のための芸術なのですよ
(笑)。
現実逃避は、
「逃避」というから、
悪いイメージになるなら
言葉を変えましょうか。
本や言葉で、
現実の私の実人生を
より高いものに、
より立派なものに、
より優れたものに、
青春時代はずっと、
そんな風に、
「現実」を考えていましたが、
「逃避」してくこともまた
実人生なのですよね?
それを、
幻想に遊ぶとか言うから
また、なんだかイメージが
偏りますが、
漱石や鴎外や太宰や
宮沢賢治や小林秀雄らは
文学をどこか人生を鍛錬する
貴重な場所と考えてきました。
人生について考える系譜。
そんな真面目な系譜からは
谷崎潤一郎や江戸川乱歩や
三島由紀夫、稲垣足穂、
内田百閒はあまり
魅力的には見えなかったのですが、
さてさて、
自分はどう考えても
人生のおちこぼれであり、
もう少し変なことや人をも
眺めたい、観てみたいと思うと
こうした変な作家が
がぜん、魅力的に見えてくる。
この人々は、
人生論を構築することに
あまり関心がない、
タシナミの人々。
もちろん、彼らは
おちこぼれでは決してなく、
頭脳は明晰だったでしょうが。
価値観では
「真・善・美」のどれが
一番大切と考えるか?で
人はざっくり分れますが、
先に取り上げた作家は
真善美では、真と善を
大事にしていたでしょう。
それに対して、
あとに取り上げた作家たちは
真善美の美に重きを
置いていた気がするんです。
私は今、ようやくその「美」の
価値をわかり始めたのかもしれません。