【ユーモア?】どんな作家にもある共通点とは?
作家にはリスペクトを!?
いや、作家には友情を!?
どちらがいいんでしょうね?
私たちは作家に対して、
必ずしも完璧な尊敬心を抱いてる
訳ではないですよね。
三島由紀夫は
あんな完璧な頭脳と描写力を持っている。
われわれ読者には、
頭を垂れて、
あの隙のない文章を堪能している、
……訳じゃあないんですよね?
三島は驚くほど身長が低く、
運動神経も決して良くはなかった。
そんなコンプレックスが
凝結したあの緻密な美しい文章には
一種独特のユーモアを
どこかでうっすら感じてるんですよね。
三島由紀夫は万全過ぎて、
その見栄や背伸びに
ユーモアが漂ってしまう。
三島由紀夫には、リスペクト
ばかりではないんですよね。
チャールズ・ブコウスキーという
アメリカ版、無頼派作家がいますね。
彼は、三島由紀夫とは正反対で、
郵便局で働いたり、
肉の解体屋で働いて、
必死に小説を買いては
出版社に送り続けながら、
毎日飲んだくれたり、
ギャンブルしたり、
時には娼婦と抱きあい、
とにかく放埒な毎日を生きて、
そんな彼になぜか、読者は
羨ましさや憧れを感じてしまう。
また、そんな暮らしの中でも
書くことを信じ続けたブコウスキーに
共感や尊敬を感じてしまう。
なんだろう、
生まれながらのエリートで
常にスターだった三島由紀夫と、
落ちこぼれた無頼の人ながら
諦めずに生きたブコウスキー。
われわれ読者は
ユーモアを感じたり、
共感、友情を感じることで
深くつながっていく。
尊敬するばかりではない何かで。
隙がいっぱいな作家ほど、
人気が高いかもしれない。
たとえば、太宰治。
もう、女にだらしなくて、
金にだらしなくて、
すぐに泣きついたり、
すぐにやっかむ太宰。
それでいてあの文章の深さ、切なさ。
たとえば、サリンジャー。
彼がよく書いた、
思春期の独りよがりな人間像は
限りなくサリンジャーその人に
近い人物像なのでしょう。
誰にでも一度は訪れる反抗期を
あんなに見事に再現した作家には
尊敬、リスペクトというより、
奇妙な親愛感を感じてしまう。
どこか人生の落ちこぼれ感を
ともに味わった戦友のような(笑)。
大江健三郎はどうだろう?
あれだけ知性を輝かせた人に、
われわれは共感などできるでしょうか。
でも、大丈夫。
大江健三郎には、
どこか欠落感や悲しみがあり、
手離しで尊敬してばかりいる
わけではないんですよね。
作家は決して、
聖人君子ではないし、
聖人君子である必要もない、
ということですね。
というか、
落ちこぼれ感やユーモア、
親愛感や悲しみが、作家には
必要だということですね。
ちなみに、
小説家をめざす人や
文章家をめざす人は、
ついつい頑張ってしまっていて、
聖人君子になろうとしがち、
かもしれませんね。
私を含めて…(汗)。
なぜだろうか?
まだまだ、わかってないなあ、
私は…。