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【クリエイター】好きを仕事にしよう、がクリエイターをスポイルしていく?

今を生きるクリエイターは
不幸せではないかしら?
「好きを仕事にしよう」という
キャッチコピーが蔓延する今、
若手の漫画家、小説家、俳優
ミュージシャン、芸人、映画監督らは
最初に親や仲間から
大反対を受けることがない。
経済的な問題はついて回るけど、
40年前なら、まず目指すこと自体が
周りからの大反対を受けながらの
スタートでした。
今はむしろ応援されてく。
あ、note自体もそういう趣旨だ(笑)。

これは「好きを仕事にしよう」を
象徴した現状ですね。

だからかどうかはわかりませんが、
クリエイターはまず最初は
戦うべき相手や
乗り越えるべきハードルが
低かったり、弱いんですよね?

なので、今のクリエイターは
自分から進んで、
乗り越えるべき相手や対象や
ハードルを作るところから
スタートしなくてはならない。
優しさがもたらす弊害です。

それに、作家や映画や漫画では
ひと昔前は、あなたは
左翼的なのか?右翼的なのか?
保守的か?反権力的か?
スタンスを迫られました。

どちらでもないというスタンス
だってありましたが、
それは妖怪・鵺のような存在に
見なされてしまいました。

とにかく、戦いたくなくても
社会や時代がケンカっぱやく、
創作する人には、面倒でしたが、
それによって知らず知らず
何かが鍛えらたようです。

保守的な政府、
権威的な大学当局、
自分が正しいという傲慢な左翼、
同じく右翼的な活動家、
ロックや漫画やテレビなど
認めようとしない両親や世間。
戦う相手はいっぱいいました。

ところで、向田邦子も、
小津安二郎も、
家族をテーマに幸せとは何か?を
牧歌的に追求したクリエイターでした。

ただ、ふと思うと、
小津監督の晩年は
学園紛争で血の気の多い人は
みな左翼か右翼になる時代。

小津監督が淡々と娘と父を
描いた映画の周りでは、
今井正監督や大島渚監督や今村昌平や
血の気の多い映画だらけでした。

そんな中で、淡々と娘の結婚を
描くのは、相当な雑音の中で
綺麗な伝統キリコガラスを
作っていくようなことでは
なかったかしら?

向田邦子さんも、
政治的な言動はついに
しなかった人でしたが、
たまにエッセイに
寺山修司の演劇集団に
遭遇した話や、
三島の盾の会の話に
クスっとさせられたくだりが
出てきます。あくまで
超~他人事として。

そんなバランス?クール?な
立ち方、座り方ができてこそ、
よい作品をクリエイトできた
秘訣かもしれません。

司馬遼太郎も
新聞記者を経て1950年代末に
作家になりましたが、
当時は文芸雑誌を開けば
左翼的な作品が並び、
それに負けじと右翼的作品も
並んでいた時代。
司馬さんは、とにかく
どちらからも自由であろうと
必死だったそうです。

今はそれがどれだけ大変だったかは、
想像するしかありませんが、
それによって、司馬さんは
人間観察を磨いていけたのでは
ないでしょうか。

そう思うと、
今の若いクリエイターは
ちょっと可哀想なのかもしれない。

デカい敵やライバルがいる方が
結果、夢中になっていけるから。
周りが理解あり過ぎるのも
ちょっと考えものかもしれません。

こんなことを言い出したら、
私は「昔は良かったよ」おじさんに
なったと想われるかもしれない(笑)。

いや、単純に「好きを仕事に」という
考え方は、クリエイターを
甘やかす側面になってないかな?と、
ふと心配になっただけでした。
杞憂であれば、これ幸い。


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