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【ハンナ・アレント】政治哲学なんてもう必要ないと思ってた

今日は、こんな本を買った。

◯マルクス・アウレーリウス
『自省録』
◯ハンナ・アレント
『人間の条件』

まさか、54才にもなって
こんな青白い哲学書を
読みたいと思う人間になるとは?
予想していなかった。

ハンナ・アレントは
なかなか入りにくい哲学者です。

たしか、数年前に
彼女の大作『全体主義の起源』は
時代の要請と、
テレビによる話題性から、
ちょっとしたブームになりました。

20世紀を生き、
ナチスとリアルタイムで
対峙したユダヤ人政治哲学者の
渾身の大作でした。
 
ただ、個人的な感覚ですが、
青春時代はフランス輸入の
現代思想やポストモダン思想が
全盛期だったためか、
そんな時代にぶつかった人間には
政治学や政治哲学というのは
経済学と同じで、
もう近代のための学問であり、
近代を通り越した今では
その役目を終えた、
旬を過ぎた学問という
勝手な思い込みがありました。

それが、21世紀になって
まだ役目を果たそうと登場したのか?
アレントの政治哲学は
まだまだ有用性があったのかあ、
と、私は反省しました。

今はどうでしょう?
世界を見渡せば、
ウクライナ・ロシアはもちろん、
中東では、
ユダヤ人対アラブ人という対立で、
戦争が一向にやみません。
ますます、アレントの有用性は
増してきたようです。

フーコーやらデリダやら、
フランス現代思想にはない
原始的な匂いをまといながらも、
20世紀の戦争や虐殺を視野に
研鑽されたであろう
ハンナ・アレントの政治哲学は、
価値はこれからも高まりそうです。

そうした意味では、
古代ローマ時代の哲学書は
不思議なスタイルです。
誰か身近な個人に宛てた
手紙ともいうべき内容だからです。

智恵に富んだ、
経験豊富な人間が
何かに困っている知人に
アドバイスを与えようと
長い長い書簡を描いた。
それがたまたま、
哲学的な洞察に満ちていたので、
後世まで、こうして
書物となって読まれている。

という点では、
いわゆる哲学書ではない。
当たり前に、
誰か困っている特定の誰かに向け
魅力ある教えや考え方を
描いたものに過ぎない。

これこそが、
哲学の出発点でしょうか。

ソクラテスやら
カントやら
ニーチェやら
ハンナ・アレントやらは
語るべき宛て先を、
最初から、
マスな民衆にしている。

その原点は、
古代ローマ時代の
マルクス・アウレリウスや
セネカやキケロの本にある、
きっと。

話は前半に戻りますが、
それよりも、
虐殺や紛争と戦う
ハンナ・アレントの哲学が
大いに必要となる時代というのは、
考えたら、
不幸な時代なんでしょうね。

いつか、人類に
ハンナ・アレントが
必要なくなる時代が来たら
それが本当の幸福なのかもしれません。

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