【人生】noteと純文学にハマっていく理由とは?
読書は命の在り方を問う。
なんぞ、と大袈裟に言い切るのは
小っ恥ずかしいけれど、
50歳の声を聞き出した頃から、
俄然、なぜか、読書の在り方が
変わってきました。
40代前半までは、
私も普通に、ミステリーや
エンタメ小説を読んできました。
でも、7年前、
3度目のうつで倒れ、
今度のうつが今までに比べ
明らかに深刻なことにビビり、
いつか高じて発狂する不安に
さいなまれました。
ヤバい、今度はマジでヤバい。
私は慌ててお酒もやめました。
その辺りから、
人生、というとオーバーですが、
生活が変わり始めました。
このnoteを始めたのも、
また、5年前だから
断酒と同じ時期になりますね。
もうお酒を飲む時間も
エンタメ小説を読む時間も、
もったいなくなったのです。
私は、重度のうつを得て、
それまでの健康な時代以上に、
真剣に充実した精神生活を
送ろうと思うようになりました。
それに弾みをつけたのか、
良いのか悪いのかわかりませんが、
純文学を読むようになりました。
今まで、あまり興味もなかった
三島由紀夫や谷崎潤一郎に
どんどん惹かれました。
彼らは、みな、生きる意味や
命の闇や輝きを描こうとしている。
うつにならなければ、
私は今も伊坂幸太郎を呑気に
読んで楽しい読書をしていたでしょう。
でも、今はそんな贅沢な精神には
なれません。
生きる意味を問いたい。
命の在り方を探りたい。
と焦るようになったのです。
それから、読書以上に、
毎日を真剣勝負に
変えてしまったのは、
このnoteです。
良かれ悪しかれ。
書く前に、ネタを探し、
構想するのに、約1時間かかり、
また、書き出して投稿完了まで
また、約1時間かかります。
つまり、noteを毎日書くため、
2時間は最低かかっているのです。
才能がないんじゃないか?
毎日投稿なんて向いてないんじゃないか。
そう凹みながらも、
どうにかnoteを続けてきました。
毎日2時間。
こうなると、仕事を終えたら、
誰かと飲みに行く時間など
ありませんし、
まったく何もネタが浮かばない時は
生きた心地もありません。
でも、もともと、
マゾなタイプの私には、
そうしたヤバさを、どこかで
楽しめているのもまた事実です。
しかも、読んでくださる方がいる。
実人生の快楽を選ぶか?
noteを続ける愉しさを選ぶか?
今のところは、
このnote更新に魅力を感じる毎日。
60歳になって、まだnoteを
しているかどうかは分からない。
でもそうなってたいという願望は
あります。
note運営会社さん、どうか
このnoteを閉業するなんてことは
ないよう、頑張ってください。
お願いいたします。