【常識】今、河合隼雄や養老孟司が書いた「常識」は新しく読み直す時代へ?
河合隼雄先生の本で
最も親しまれてるのは、
『こころの処方箋』(新潮文庫)
ではないかしら?
私はこの本よりもっと好きな
河合本もありますが、
『こころの処方箋』には
何度も慰められてきた。
「絵に描いた餅は(食べる)餅より
高価なこともある」とか、
「理解ある親を持つ子はたまらない」
とか、
「灯台に近づき過ぎると難破する」
とか
「マジメも休み休み言え」とか、
「灯を消す方がよく見えることがある」
とか、
「心の支えが魂の重荷になる」とか。
どうですか?
この本には、一見ありがちな発想を
ひとひねりした知見が
たくさん並んでいます。
ところが、あとがきでは、
河合隼雄先生は、
これらは、読んだ人も
もともと知ってはいるが
なかなか言葉にはしてない考え、
つまり「常識」を書いたと言う。
常識??
みんな知り備えている?
この本が出版された平成4年、
西暦1992年なら
そうも言えたかもしれません。
似た話は養老孟司先生も
よく書いている。
昔は親や祖父、また地域が
子供にたくさんの教えを与えていた。
それが核家族社会の今では、
それを本にして配らねばならないと。
常識っていっても2種類ありますね。
そんな常識はかなぐり捨てろ!
という場合は、
つまらない世間知のこと。
もう一つは、あの人は常識がある、
という時で、この場合は
沢山の人に共通する
知恵や見識のこと。
河合隼雄先生や養老孟司さんがいう
常識は後者でしょう。
ただ、それを常識と呼べたのは
20世紀ではないかしら?
上に挙げた河合さんの
『こころの処方箋』の小タイトル、
今となっては、
みんな備えてるよ、あるいは、
みんな備えててしかるべき知恵だね
とはなんだか言えない気がする。
皇族の恋愛について、
うつ病の理解について、
人生は勝ち負けか否かについて、
ラーメンに幾ら出せるかについて、
などなど、個人の価値観は
ますますバラバラになってきました。
河合先生や養老先生に
モノ申すつもりは毛頭なく、
ただ、本来、毅然として存在した
「常識」、あるべき知恵が
今は昔ほど、根強く存在してる
ようには思えなくなってる
気がするんです。
悲しいですね。
常識は、元をたどれば、
英語のコモン・センスの訳語で、
沢山の人に共有される感覚の
ことですよね。
それが今、
デジタル化の流れと、
リモートの流れと、
ころな禍の流れで
揺らいでるのは、確かです。
今は『こころの処方箋』の
河合先生のメッセージや
養老先生『バカの壁』シリーズ本は
新しい目と心で
読み直すべき時かもしれませんね。
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