【無能な人】世の為に生きられなくても良いですか?杉浦さん!
『杉浦日向子ベストエッセイ』
ちくま文庫。
杉浦日向子のエッセイ集がでました。
昭和・平成に江戸文化を
たっぷり伝授してくれた杉浦さん。
少女のような、また向日葵みたいな
笑顔が印象的な、
江戸マンガの達人でした。
彼女のエッセイ「無能の人々」は
色々と教わることが多いです。
「無能の人は泰平の逸民です。上下ひっくりかえる動乱の世には、どこかにとり紛れて、見失っているものの、世の中が静まり、落ち着いて来ると、いつの間にか、隅っこの方に溜まっている、泰平のホコリとも言えます。」
ここまではよくわかります。
「その人生は、至上の無意味、究極の無目的に彩られる事となります。つまり、誰かの為になる、世間にうける等の「タメウケ」を一切排除した処にある、 混じりっ気なしの、ピュアな虚無性です。」
「タメウケ」かあ。なるほど。
無視できないポイントですね。
役にたつ、世の中に貢献する、
誰かのためになる、、、、
もうそのモラルが
昨今は断トツに私たちを縛っています。
ちょっと飛躍しますが、
メンタリストDAIGOや
相模原の虐殺事件の背後にある
優生思想がはびこるのも、
「タメウケ」万能主義の
裏面なのではないかしら。
私たちに今、必要なのは、
タメウケ主義から自分を切り離す
「無能の人々」の、
ピュアな虚無性なのかもしれない?
そんな気がしてきました。
「対する、有能の人とは、社会的に役に立ち、会社的に使える、立身出世の生産者を指します。
(対する)甲斐性なしは、モノの生産に携わらない、社会に貢献度の少ない…。そんな彼らが、多く、風流に携わりました。諸国を彷徨う遊行の俳人は、その代表サンプルです。」
風流という文化は無能と虚無を
バックボーンにしていたんですね。
向日葵みたいな笑顔の
杉浦日向子さんの作品には、
生きる哀しみがいっぱいで、
あの笑顔とは不釣り合いでしたが、
こうしたニヒリズムが底にあったかと、
思うと、ふに落ちる気がします。
「いつまでも若々しく健康で、より良い人生を長く生きようという思想は、少なくとも、風流の人にはなかった筈です。
年相応に老け衰えつつ、それなりの人生を死ぬまで生きるという当たり前の事が遠くなりました。」
このエッセイは
1991年に「ガロ」という
マンガ雑誌に載りました。
つげ義春さんのマンガ『無能の人』が
文庫になって映画化され、
二度めのつげブームがやって来た時に
江戸文化の「無能の人」論を
杉浦さんは書いたんでしょうか。
アンチエイジングとか、
若見えの呪いが、
世にどっかり居座るようになるより
ずっと前のことですね。
杉浦日向子の凄いところは
人間の愚かさや哀しさを
とっくの昔に見透かしていたことです。
そんな一面を知ったところで、
北斎とその娘を描いた『百日紅』や、
彰義隊の青年の切ない揺らぎを描く
『合葬』辺りを読み返したくなりました。
無能な人間でも、
泰平の世のホコリでも、
風流とか無為な文化に
欠かせないのならば、
これからの余生、
もっともっとガチで楽しんでも
いいかもしれないですね。