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クリスマスのエッセイなら、やっぱり向田邦子のコレ?
クリスマスに打って付けの
エッセイがあります。
毎年読み返したくなる。
向田邦子「チーコとグランデ」
『父の詫び状』文春文庫収録。
御存知の方も多いとは
存じますが、抜粋しながら
ご紹介したいと思います。
「それにしても私のケーキは
小さかった。
甘党の母や弟妹達の頭数を
考えると、やはり小さすぎた。
せめてもの慰めは、
銀座の一流の店の包み紙だ
ということである。
来年はもっと大きいのにしよう、
と思いながら、私は眠ってしまった。
…略…
終点に近いせいか、
車内はガランとして、
二、三人の酔っぱらいが
寝込んでいるだけだった。
下りる支度をしながら、
私は、わが目を疑った。」
このエッセイは
テレビ脚本家としても、
エッセイストとしても、
小説家としても
大活躍した時期です。
『父の詫び状』が書かれたのは、
昭和50年頃。
このエピソードはその17、18年前と
書いてあるので、
昭和33年あたり?
西暦で1958年前後、
向田邦子は生まれたのが、
1928年だから、
27、28才の話だと推測できる。
「会社は潰れかけていたし、
一身上にも心の晴れないことがあった。
家の中にもごたごたがあり、
夜道を帰ると我が家の門灯だけが
暗くくすんで見えた。」
当時の向田さんは
かなり参っていたんだなあ。
会社も家も、それからおそらく
恋?も行き詰まってたよう。
そんな向田さんが
銀座の有名店で買った
クリスマスケーキを抱えて
電車に乗ってた時の話です。
「私の席の前の網棚の上に、
大きなクリスマスケーキの箱が
のっている。
私の膝の上の箱の五倍はある。
しかも、私のケーキと同じ店の
包み紙なのである。
下の座席には誰もいない。
明らかに置き忘れである。
こんなことがあるのだろうか。
誰も見ていない。
取り替えようと思った。
体がカアッと熱くなり、
脇の下が汗ばむのが自分で判った。」
世にも奇妙なクリスマスケーキの
イタズラですね。
向田さんはどうしたでしょう?
「だがそれは一瞬のことで、
電車はホームにすべりこみ、
私は自分の小さなケーキを抱えて
電車を下りた。」
「神様も味なことをなさる。
仕事も恋も家庭も、どれを取っても
八方塞がりの、オールドミスの、
小さいクリスマスケーキを哀れんで、
ちょっとした余興をしてみせて
下すったのかもしれない。
ビールの酔いも手伝って、
私は笑いながら、
『メリイ・クリスマス』
といってみた。
不意に涙が溢れた。」
何度も読んできましたが、
こうして、写経みたいに
エッセイを書き写してると、
向田さんの目でその場面を
見ている気になりますね。
向田さんの気持ちが丸見えになる。
それにしても、
実に緻密に情景を描写してます。
余りに完璧すぎて、
ちょっと怖いくらいです。
私はこのエッセイが
クリスマスにまつわるッセイでは
断トツ一位です。
ちなみに、私が小さなケーキの
持ち主で、目の前に
大きなケーキがあったら
どうするだろうか?
私なら、いやしいから、
網棚から大きなケーキを
ひっぱり出してみて、
中を開いて、
それから、やっぱり、
そおっと元に戻すでしょうか。
だって、誰かユーチューバーや
テレビ番組のドッキリ企画かも
しれない。
それに、この疫病禍だから、
口に入れるものは、やはり
慎重になりますものね。
と、考えると、
向田さんのエッセイは
食の安全がまだしっかりした
時代であったこと、
また、テレビのドッキリや
ユーチューブなど
すれっからしなメディアが
まだなかった時代であることが
判りますね。
ああ、向田さんのエッセイを
読みたくなるのは、
そうした安全、安心に
支えられていた時代の
温もりが欲しいからかあ?