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養老孟司と宮﨑駿の感性 虫眼とアニ眼
虫眼とアニ眼
解剖学者/養老孟司と
アニメーター/宮﨑駿の対談を
読みました
僅か190ページほどの薄い本ですが
読みやすく感想書きにくい...
2人の談話をそのまま文字におこしているので話題がトビトビ
...とはいえ、巨匠達の対談から
学ぶべきことは覚書しておこう
心に響いた一節と共に
個人の感想を記します
注)敬称略します
感性って何だろう?
感性が鋭い 感性を磨く
感性が豊か 感性が合う
普段何気なく使っている"感性"という
言葉について、あまり深く思いを馳せることはないのですが...
養老孟司によると
まず感性の基本には、ある種の
「差異」を見分ける能力がある
感性とは、「ほかと何か違うぞ」って変化がわかること
例えとして、蝶が飛ぶ様子を挙げていました。蝶は飛ぶとき、好き勝手に空を飛んでいるわけではなく「蝶道」と呼ばれる道に従ってヒラヒラ飛んでいるのだそうです。そのことに気づいたきっかけは、養老孟司が自宅を建て増ししたときに見慣れた蝶道が消えてしまったのを見つけたから...さすが虫眼の持ち主です。蝶は、人間が思うよりもデリケートに周囲の環境を把握していると云っています。その予測が確信に変わったのは、ベトナムへ昆虫採集へ行ったとき、今度は「蝶道」がハッキリ見えたーーあまりにも沢山の蝶が白い線となって飛んでいく景色
不思議
どこへでも飛んでいけそうな蝶が
前を飛ぶ仲間を見ているわけでも
ないのに、デコボコまで同じように
飛んでいる
そうしてハタと気づく
自然環境のディテール
自然界のディテールを感知する
能力は本来人間も持っていたはず
けれども、その能力を閉鎖して環境を一律にとらえようとしている。そうやっていくうちに人間の感性はあまってしまったのではないか。今度はそれを人間関係や都市の人工物に割り当てているんじゃないだろうか
このお話しは胸に刺さりました。
私が日々何かしら疲れたりする出来事は"人間ごと"から発生しているのがほとんどです。草木が芽吹いて鳥や虫が飛んでいる、そんな自然のディテールに目を留めることが(ほとんど)ない生活を送っています
一方、そんな自分の生活を辛気臭く反省をするつもりもないほどに都市の生活に浸かっています。
好んで都市を選び楽しみながら暮らしている事実、人工物に囲まれて環境に適応出来ていることに安心感を覚えています
ただ 自然を養う眼が乏しい
養老孟司が''蝶道"で自然の感性をあらわしたのに対して、宮﨑駿はキノコ採りの名人を例に挙げていました。名人は「キノコ目」を持っており、
匂いや空気で見つけるのだそうです。採取するときに足元ばかり見ているようで実は山全体を見ている、同時に帰り道もちゃんと確認している、それが感性/自然のディテールを理解しているからなせる術
宮﨑駿はアニ眼の持ち主なので
イラストで自身の感性をあらわします
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となりのトトロを100回観たと言われると複雑な気持ちになる、アニメーターとしては喜ばしいけれど、子ども達が家の中に留まってしまうことを嘆いています。自身の作品を観て欲しいけれど外へ出て自然に触れて感性を育てて欲しいと願う映画監督の矛盾
宮﨑駿の心意気
何故 宮﨑駿は人気があるのか?
の問いに対して養老孟司の回答は
「宮﨑駿個人に品がある」
「主張があっても抑制されている」
ジブリ作品は主張が見えにくい
一度観ただけでは何を言っているかわからない描写が多い傾向にあります
しかし
分かりにくいのに観てしまう
分からないよと気軽に発言して
許される
人の解釈なんてそれぞれなんだから
どう思ったって個人の自由
ジブリ作品が長く愛されている理由の
一つかもしれません
感性に答え合わせは要らない
感性は人に教わるものではなく
自分で見つけるもの
これが養老孟司と宮﨑駿を結ぶ
共通の思いではないかと思うのです
養老孟司は虫採りの仕方を子供に教えずに学ばせる、宮﨑駿はスタジオジブリの社員に長い休みを与えて仕事以外の何かを見つけるように促す
(理解されずに終わる)
2人の巨匠は自身の''感性"を継続して積み重ね育んできた歴史を信じています。各々その延長線上に「社会的成功」が副産物として持たらされているからこそ''感性を失う危機"に敏感です。
となりのトトロのメイちゃんが
トトロをジーッと見つめる目
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新しいものを見つけてワクワクする
と"眼"が輝く、''感性''が発動するとき
現代はその感性を育てる環境が
育ちにくいという葛藤が伝わる本
でした。
自分のペースで感性を磨きたい
Junko Summer