共喰い
20240427
川と違ってどこにでも流れていて、もしいやなら遠回りしたり追い越したり、場合によっては止めたり殺したりも出来そうな時間というものを、なんの工夫もなく一方的に受け止め、その時間と一緒に一歩ずつ進んできた結果、川辺はいつの間にか後退し、住人は、時間の流れと川の流れを完全に混同してしまっているのだった。
女の目は異常なほど澄んでいた。夢に見たこともない別の人生が通り過ぎてゆくのを眺めているに違いなかった。
田中慎弥と瀬戸内寂聴の対談
書けばいいんだから。
ただ、書くということを続けるということが、やっぱりそれが才能だと思う。
私にとって小説というのは、世の中と私自身との間にあるついたてみたいなもの。
作家になっててもう60年、それだけで食べてきた。ほかの仕事しちゃだめだ。筆一本でやっていくしかない。
言葉というのはもちろん蓄積なので、まず本を読むという行為があって、どんどん言葉を溜め込んでいって、それを吐き出すということの繰り返し。それをやっていれば、多分ずっと書けるのではないかと思うが、ただ、作家というのは、耐用年数というのが決まっているのではないかと思うこともある。自分の耐用年数が心配になる。しかし、毎日毎日書いてたら、よく本を読んでいたら、限りなく出てくる、限りなく湧き出てくる。
私はいつも、今日一日と思って生きている。だから、今日あなたに会って、これはもうよく会えたと有難く思っている。
もし自分が恋愛して、結婚して、子供ができると、父のようになってしまうのではないかと。要するに生殖能力を使って、雄として役目がもう終わって、そこで死んでいくんじゃないかという恐怖心もあって....。
自分が小説を書いていくため。
生きるためじゃない。
私は小説を書いていくために、自分の背骨をもっとしっかりしたかった。
物を書くのは、私の快楽である。やりたくて書いているんだから。誰も認めてくれなくても、悪口言われても、もうそれは、自分だけで嬉しい。
文学の究極は宗教に続く。
女性というのは自分のために命をかけられるんだなって思う。男って臆病で自分のために命をかけられないから、何か、国のためとか、仕事のためとか、家族のためとかって、自分以外のものに向かっていってしまう。もちろんそれはそれで重要なんだろうけど、女の人はやっぱり目の前の自分の人生に命かけるんだなっていう、それが怖い。
恋愛はじゃんじゃんして、結婚なんかしない方が、いい小説が書けると私は信じています。これは小説家の言葉。
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あなたの琴線に触れる文字を綴りたい。