寝ながら学べる構造主義
20240710
よい入門書は、まず最初に「私たちは何を知らないのか」を問う。「私たちはなぜそのことを知らないままで今日まで済ませてこられたのか」を問う。
なぜ、私たちはあることを「知らない」のか。なぜ今日までそれを「知らずに」きたのか。単に面倒くさかっただけなのか?
それは違う。私たちがあることを知らない理由はたいていの場合一つしかない。
「知りたくない」からだ。
より厳密に言えば「自分があることを『知りたくない』と思っていることを知りたくない」からだ。
無知というのはたんなる知識の欠如ではない。「知らずにいたい」というひたむきな努力の成果である。無知は怠惰の結果ではなく、勤勉の結果である。
知的探求は(それが本質的なものであろうとするならば)、つねに「私は何を知っているか」ではなく、「私は何を知らないか」を起点に開始される。そして、その「答えられない問い」、時間とは何か、死とは何か、性とは何か、共同体とは何か、貨幣とは何か、記号とは何か、交換とは何か、欲望とは何か…といった一連の問いこそ、私たちすべてにひとしく分かち合われた根源的に人間的な問いなのだ。
レヴィ=ストロースは要するに「みんな仲良くしようね」と言っており、バルトは「ことばづかいで人は決まる」と言っており、ラカンは「大人になれよ」と言っており、フーコーは「私はバカが嫌いだ」と言っている。
「ポスト構造主義期」というのは、構造主義の思考方法があまりに深く私たちのものの考え方や感じ方の中に浸透してしまったために、あらためて構造主義者の書物を読んだり、その思想を勉強したりしなくても、その発想方法そのものが私たちにとって「自明なもの」になってしまった時代(そして、いささか気ぜわしい人たちが「構造主義の終焉」を語り始めた時代)だ。
私たちにとって、「自明のもの」であり「自然のもの」であり、「そんなの常識」として受容されているような思考方法や感受性のあり方が、実は、ある特殊な歴史的起源を有しており、特殊な歴史的状況の中で育まれたものだ。
私たちにとって「ナチュラル」に映るのは、とりあえず私たちの時代、私たちの棲む地域、私たちの属する社会集団に固有の「民族誌的偏見」にすぎない。
私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け容れたのだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。
私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実は、その自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのである。
マルクスは社会集団が歴史的に変動してゆくときの重大なファクターとして、「階級」に着目した。人間は「どの階級に属するか」によって、「ものの見え方」が変わってくる。この帰属階級によって違ってくる「ものの見え方」は「階級意識」と呼ばれる。
人間の個別性をかたちづくるのは、その人が「何ものであるか」ではなく、「何ごとをなすか」によって決定される、マルクスはそう考えた。「何ものであるか」というのは、「存在する」ことに軸足を置いた人間の見方であり、「何ごとをなすか」というのは「行動すること」に軸足を置いた人間の見方である、というふうに言い換えることができる。
「存在すること」とは、与えられた状況の中でじっと静止しており、自然的、事物的な存在者という立場に甘んじることである。静止していることは「堕落すること、禽獣 ( りんじゅう ) となることである」
たいせつなのは「自分のありのままにある」に満足することではなく、「命がけの跳躍」を試みて、「自分がそうありたいと願うものになること」である。
人間は行動を通じて何かを作り出し、その創作物が、その作り手自身が何ものであるかを規定し返す。生産関係の中で「作り出したもの」を媒介にして、人間はおのれの本質を見て取る。
「動物は単に直接的な肉体的欲求に支配されて生産するだけ」に過ぎないが、人間は食べたり飲んだり眠ったりという直接的な生理的欲求を超えて、狩猟し、採取し、栽培し、交易し、産業を興し、階級を生み出し、国家を創建する。それは人間が動物的な意味で生きてゆくためにはもとより不要のものである。人間がそのような「もの」を作り出すのは、「作られたもの」が人間に向かって、自分が「何ものであるか」を教えてくれるからである。人間は「彼によって創造された世界の中で自己自身を直観する」のである。
人間は生産=労働を通じて、何かを作り出す。そうして制作された物を媒介にして、いわば事後的に、人間は自分が何ものであるかを知ることになる。この「作り出す」活動は一般に「労働」と呼ばれる。
「人間が人間として客観的に実現されるのは、労働によって、ただ労働によってだけ」である。人間が「自然的存在者以上のもの」であるのは、ただ「人為的対象を作り出した後」だけである。
この自己自身からの乖離=鳥瞰的視座へのテイクオフは、単なる観想(一人アームチェアに坐って沈思黙考すること)ではなく、生産=労働に身を投じることによって、他者とのかかわりの中に身を投じることによってのみ達成される。
生産=労働による社会関係に踏み込むに先んじて、あらかじめ本質や特性を決定づけられた「私」は存在しない。存在するのかも知れないが、定義上、そのような「私」は決して私自身によって直観されることはない。というのも、「私を直観する」ことは、他人たちの中に投げ入れられた「私」を風景として眺めることによってしか成就しない。(それは、子どものいない人に内在する「親の愛」や、弟子を持たない先生に内在する「師としての威徳」とかと同じものである。潜在的にはあるのかも知れないが、現実の人間関係の中に置かれないかぎり、それが「ほんとうにあるのかどうか」を検証する手だてはない。)
私たちは自分が「ほんとうのところ、何ものであるのか」を、自分が作り出したものを見て、事後的に教えらる。私が「何ものであるのか」は、生産=労働のネットワークのどの地点にいて、何を作り出し、どのような能力を発揮しており、どのような資源を使用しているのか、によって決定される。
自己同一性を確定した主体がまずあって、それが次々と他の人々と関係しつつ「自己実現する」のではない。ネットワークの中に投げ込まれたものが、そこで「作り出した」意味や価値によって、おのれが誰であるかを回顧的に知る。主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方である。
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市民社会における利己的市民たちが、自然権の一部を国家に委ねたのは、「どう行動すれば、自分がいちばん得するか?」ということについて最適な判断を下すだけの知性を備えていた。利己主義の制限は、利己的動機に基づいて、合理的な判断を下すことのできる市民たちによってはじめて主体的に引き受けられた。
「大衆社会」とは成員たちが「群」をなしていて、もっぱら「隣の人と同じようにふるまう」ことを最優先的に配慮するようにして成り立つ社会のことである。群がある方向に向かうと、批判も懐疑もなしで、全員が雪崩打つように同じ方向に殺到するのが大衆社会の特徴である。
このような非主体的な群衆を「畜群」 という。
畜群の関心は、いかにして「均質的な群」を維持するか、ということにしかない。そのためにはとにかく成員全員が隣人と同じ判断をし、同じ行動をすることが必要である。功利主義的市民社会では、市民たちの算盤ずくの計算の「結果」、全員の決断が一致するわけだが、これに対して畜群では、全員一致することそれ自体が「目的」となる。
畜群においては、ある行為が道徳的であるか否かについての判断は、その行為に内在する価値によってでも、その行為が当人にもたらす利益によってでもなく、単に「他の人と同じかどうか」を基準に決される。
他人と同じことをすれば「善」、他人と違うことをしたら「悪」。それが畜群道徳のただ一つの基準である。
このような畜群のあり方は、私たちの時代の大衆の存在様態をみごとに言い当てている。
現代人は、「みんなと同じ」であことそれ自体のうちに「幸福」と「快楽」を見出すようになった。
相互参照的に隣人を模倣し、集団全体が限りなく均質的になることに深い喜びを感じる人たちを、ニーチェは 「奴隷」と名づけた。
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言語活動とは「すでに分節されたもの」に名を与えるのではなく、満天の星を星座に分かつように、非定型的で星雲状の世界に切り分ける作業そのものなのである。ある観念があらかじめ存在し、それに名前がつくのではなく、名前がつくことで、ある観念が私たちの思考の中に存在するようになる。
あるものの性質や意味や機能は、そのものがそれを含むネットワーク、あるいはシステムの中でそれがどんな「ポジション」を占めているかによって事後的に決定されるものであって、そのもの自体のうちに、生得的に、あるいは本質的に何らかの性質や意味が内在しているわけではない。
「自分たちの心の中にある思い」というようなものは、実は、ことばによって「表現される」と同時に生じた。と言うよりむしろ、ことばを発したあとになって、私たちは自分が何を考えていたのかを知る。それは口をつぐんだまま、心の中で独白する場合でも変わらない。独白においてさえ、私たちは日本語の語彙を用い、日本語の文法規則に従い、日本語で使われる言語音だけを用いて、「作文」している。
私がことばを語っているときにことばを語っているのは、厳密に言えば、「私」そのものではない。それは、私が習得した言語規則であり、私が身につけた語彙であり、私が聞き慣れた言い回しであり、私がさきほど読んだ本の一部である。
「私の持論」という袋には何でも入るが、そこにいちばんたくさん入っているのは実は「他人の持論」である。
私が確信をもって他人に意見を陳述している場合、それは「私自身が誰かから聞かされたこ
と」を繰り返している。
「私が語る」とき、そのことばは国語の規則に縛られ、語彙に規定されているばかりか、そもそも「語られている内容」さえその大半は他人からのことば、ということになると、「私が語る」という言い方さえ気恥ずかしくなってくる。私が語っているとき、そこで語られていることの「起源」はほとんどが「私の外部」にある。
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17世紀ヨーロッパをフーコーは「大監禁時代」と呼んでいる。それはこの時代になって、近代社会は「人間」 標準になじまないすべてのものー精神病者、奇形、浮浪者、失業者、乞食、貧民、などさまざまな「非標準的な個体」を強制的に排除、隔離するようになるからだ。
標準化は時代が下るにつれてますます過激化し、近代ヨーロッパの「監禁施設」には、自由思想家、性的倒錯者、無神論者、呪術師からついには浪費家にいたるまで、およそ「標準から逸脱する」 あらゆるタイプの人間たちが収監されるようになる。
狂人は「別世界」からの「客人」であるときには共同体に歓待され、「この世界の市民」に数え入れられると同時に、共同体から排除された。つまり、狂人の排除はそれが「なんだかよく分からないもの」であるからなされたのではなく、「なんであるかが分かった」からなされた。狂人は理解され、命名され、分類され、そして排除された。狂気を排除したのは「理性」である。こうして狂人の組織的「排除」が進行するに従って、狂気の認定者も変わる。誰が狂人であるかを決定する権利が「司法」から「医療」に移行する。
近代国家は、例外なしに、国民の身体を統御し、標準化し、操作可能な「管理しやすい様態」におくこと―「従順な身体」を造型することを最優先の政治的課題に掲げる。「身体に対する権力の技術論」こそは近代国家を基礎づける政治技術なのである。その技術は、当然、最初は、国家の武装装置である兵士の身体の標準化と統制に向かう。
身体を標的とする政治技術がめざしているのは、単に身体だけを支配下に置くことではない。身体の支配を通じて、精神を支配することこその政治技術の最終目的である。この技術の要諦は、強制による支配ではない。そうではなくて、統御されているものが、「統御されている」ということを感知しないで、みずから進んで、みずからの意志に基づいて、みずからの内発的な欲望に駆り立てられて、従順なる「臣民」として権力の網目の中に自己登録するように仕向けることにある。
政治権力が臣民をコントロールしようとするとき、権力は必ず「身体」を標的にする。いかなる政治権力も人間の「精神」にいきなり触れて、意識過程をいじくりまわすことはできない。
行進で、なんば歩きを禁止し、体操にて号令に従わせ、体育座りで身体的拘束をした。
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人類学のフィールドワークを通じてアカデミックなキャリアを積み上げたレヴィ=ストロースは、『野生の思考』でジャン=ポール・サルトルの『弁証法的理性批判』を痛烈に批判し、それによって、フランスの思想界に君臨していた実存主義に実質的な死亡宣告を下すことになった。
言語学を理論モデルとし、「未開社会」のフィールドワークを資料とする文化人類学というまったく非情緒的な学術が、マルクス主義とハイデガー存在論で「完全武装」したサルトルの実存主義を粉砕してしまった。このときをさかいにして、フランス知識人は「意識」や「主体」について語るのを止め、「規則」と「構造」について語るようになる。「構造主義の時代」が名実ともに始まった。
ある領域について概念や語彙が豊富であるということは、その集団がその領域に対して深く強い関心を持っている、ということである。「文明人」と「未開人」はその関心の持ち方が違うのであって、「文明人」が見るように世界を見ないというのは、別に「未開人」が知的に劣等であるということを意味しない。「どちらにおいても世界は思考の対象、少なくともさまざまな欲求を満たす手段」に他ならない。
人間が社会構造を作り出すのではなく、社会構造が人間を作り出す。社会構造は、私たちの人間的感情や人間的論理に先立ってそこにあり、むしろそれが私たちの感情のかたちや論理の文法を事後的に構成している。
「驕れるものは久しからず」という『平家物語』も、「人類の歴史は階級闘争の歴史である」というマルクスも、言っていることはある意味では同じだ。それは社会関係(支配者と被支配者の関係、与えるものと受け取るものの関係、威圧するものと負い目を感じるものの関係)は振り子が振れるように、絶えず往還しており、人間の作り出すすべての社会システムはそれが「同一状態にとどまらないように構造化されている」ということである。
社会システムは「変化」を必須としているが、それは、別に「絶えず新しい状態を作り出す」ことだけを意味しているのではなく、単にいくつかの状態が「ぐるぐる循環する」だけでも十分に「変化」と言える。
「人間とは何か」という根本的な問いが示すのは、人間の心の中にある「自然な感情」や「普遍的な価値観」ではない。
社会集団ごとに「自然な感情」や「価値観」は驚くほど多様である。人間が他者と共生してゆくためには、時代と場所を問わず、あらゆる集団に妥当するルールがある。それは「人間社会は同じ状態にあり続けることができない」と「私たちが欲するものは、まず他者に与えなければならない」という二つのルールである。
人間は生まれたときから「人間である」のではなく、ある社会的規範を受け容れることで「人間になる」
※
人間の幼児は、生後六ヶ月くらいになると、鏡に映った自分の像に興味を抱くようになり、やがて強烈な喜悦を経験する。
人間以外の動物は、最初は鏡を不思議がって、覗き込んだり、ぐるぐる周囲を回ったりするが、そのうちに鏡像には実体がないことが分かると、鏡に対する関心はふいに終わってしまう。
ところが、人間の子どもは鏡の中の自分と像の映り込んでいる自分の周囲のものとの関係を飽きずに「遊び」として体験する。この強い喜悦の感情は幼児がこのときに何かを発見したことを示している。
子どもは「私」を手に入れた。
「無意識の部屋」に閉じ込められて「冷凍保存」された記憶を「解凍」すると、「昔のまま」の記憶が甦るというふうに考えるのは、おそらく危険なことである。記憶とはそのような確かな「実体」ではない。それはつねに「思い出されながら形成されている過去」なのだ。
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あなたの琴線に触れる文字を綴りたい。