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『寝ながら学べる構造主義』感想

20240711

自分という主体なんてものはない。
自分の意識は、社会によって形成されたもの、教育によって洗脳されたことで、自分が話していることすらも、自分という主体から発せられるものではなく、他人の言葉である。

構造主義的思想が、現代の人々の思想の土台となっている。それは、様々な本で語れる内容が、構造主義を、源流としていることにも見て取れる。
哲学を、主体や意識を思考することから、規則と構造を思考することへと舵を切らせた。
自分とは何かを内面に向けるのではなく、自分とは何かを外面に向ける。
他者との関係性の中で自分という何かを見つける。ほとんどの人は労働しているので、個人の社会的役割を労働として捉えることで、個人を定義する。知らない人と話すときの話題は「何をしてる人ですか?」その人が、どんな仕事をしているかによって、その人のことをイメージするように。

私たちが教育によって鋳型にはめられる洗脳も、
私たちが労働し続けなければならない信仰も、
私たちが社会的動物だという思想も、
私たちがみんな欲しがる日本銀行券という金も、
数々の哲学者の思考が通底となっている。

動物とヒトの幼児の違いは、文化的であるということだ。文化的とは、模倣、教育、分配である。誰かの真似をして、教えて、分かち合うことである。この文化的体系は、現在でも、狩猟採取を行う原住人にも、適用されている。

ヒトと動物を比較して、ヒトを定義付けるように、自分と他者を比較して、自分を定義付ける。そのかんたんな方法が、社会的役割である労働である。

労働の種類によって、社会的地位や経済状況がある程度推測できる。他者を知ることで、自分を知る。










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