【本要約】子どものための哲学
2022/1/10
哲学とは
子どもの哲学の根本問題は、存在である。
「 森羅万象が現にこうある 」ということ自体が、不思議で納得がいかないのだ。
問題は「 どうしたらいいのか 」ではなく「 どうなっているのか 」という形を取る。
青年の哲学の根本問題は、人生である。
「 いかに生きるべきか 」という、生き方の問題である。
大人の哲学は、世の中の仕組みをどうしたらいいのか。
社会の中での行為の決定の仕方が問題になる。
大人は価値を相対化し、複数の価値を比較できるようになるが、その過程で、存在の問題を忘れてしまう。
老人の哲学は、死である。
死を通じて、もう一度、子ども時代の主題であった存在が問題になる。
① 哲学とは、何よりも「 まずするもの 」である。
②「 学ぶ 」のは二の次でいい、いや、二の次でなければならない。
思想 への共感ではなく、思考 への共感を目指している。
哲学をする
【 簡単な哲学のやり方 】
大人になる前に抱き、大人になるにつれて忘れてしまいがちな疑問の数々を、子どもの時に抱く素朴な疑問の数々を、自分自身を本当に納得いくまで、決して手放さないことだ。
子どもとは何だろう?
子どもが大人になるとは、どういうことだろう?
子どもは、まだ、この世の中のことをよく知らない。それがどんな原理で成り立っているのか、まだ、よくわかってない。
大人には、わかっているが、それは一部に過ぎず、全面的にわかっているわけではない。大人とは、世の中に慣れてしまって、わかってないことを忘れてしまっている人たちのことだ。
ソクラテス「無知の知」を忘れてしまったのが、大人である。
知ることを求め続けることを、フィロソフィアという。
・フィロ:愛し求める
・ソフィア:知る
・フイロソフィア:知ることを愛し求めること
フイロソフィアは、フィロソフィー ( 哲学 ) の語源である。
大人になるとは、ある種の問いが問いでなくなることだ。
だから、それを問い続ける人は、大人になっても、まだ子どもだ。
科学は、すべて、自然現象を、うまく説明するための仮説に過ぎない。
なぜ悪いことをしてはいけないのか?
なぜ僕は存在するのか?
なぜ悪いことをしてはいけないのか?
→ 道徳の根拠の問題である。
なぜ僕は存在するのか?
→ 独我論の問題である。
思想 を持てば、思考 の力は、その分衰える。
モノを考え続けるためには、既に考えられてしまったこと ( 思想 ) を、その都度、捨てていかなければならない。
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