【本要約】おとなの教養〜私たちはどこから来て、どこへ行くのか?
2022/3/10
リベラルアーツ
自分が「 どういう存在なのか 」を考えようとする問題意識だ。
私たちはどこから来て、どこへ行くのか?
過去からこれまでの人類の永遠の疑問である。人々は、この疑問に解を見出そうと、叡智を絞ってきた。その結果、宗教が生まれ、哲学が発展し、様々な歴史が記され、宇宙や地球の謎が解かれてきた。人類が築いた学問体系とは「 私たちはどこから来て、どこへ行くのか?」という疑問に取り組んできた成果である。
人間とは「 何が危険なのか、何に注意しなければいけないのか 」ということがわかれば、心の準備ができるが、何が何だかわからないと、不安になってしまう。
リベラルアーツのリベラル ( liberal ) は自由、アーツ ( arts ) は技術・学問・芸術を意味する。
リベラルアーツの意味は、人を自由にする学問である。
教養を身に付けることで、人間は、偏見や束縛から逃れ、自由な発想や思考を展開していくことができる。
すぐに役に立つことは、世の中に出て、すぐ役に立たなくなる。
すぐには役に立たないことが、実は長い目で見ると、役に立つ。
社会の動きに惑わされず、自分の頭で物事を深く考えることができるようになる。
自分が「 どういう存在なのか 」を見つめる。自分自身を知ることこそが、現代の教養である。
自分はどこから来て、どこに行こうとしているのか?
現代における教養、自由7科目
① 宗教
② 宇宙
③ 人類の旅路
④ 人間と病気
⑤ 経済学
⑥ 歴史
⑦ 日本と日本人
① 宗教
・死んでしまったら、人はどうなるんだろうか?
・この世界はどうやって生まれたのだろうか?
という問いの答えを、人間の力の及ばない、超自然的な存在に求めた。そこから宗教が生まれた。
宗教によって、古代の人々は、世界の成り立ちを理解しようとした。
② 宇宙
宗教が生まれると、人々は、神がつくった世界の論理を追及するようになる。ユダヤ教・キリスト教では「 神がこの世界を創造した 」と考えた。世界はどういう仕組みで動いているのか。星が動き、太陽は東から昇って西に沈み、月は満ち欠けをする。この規則正しい動き方は、神様が定めたに違いない。
「 神の論理とは、どのようなモノだろうか?」と考えていくところから、科学というモノが生まれた。
科学は、地球の外には宇宙があり、私たちの銀河宇宙の外にも広大な宇宙が存在することを明らかにした。科学者は宇宙や、地球の誕生を明らかにした。「 宇宙を知る 」という営みは「 自分はどこから来たのかを知る 」ことにつながる。
③ 人類の旅路
宇宙が誕生した後、地球が生まれ、やがて人類が生まれた。では、いつ人類が登場したのか?
人類は20万年前にアフリカで誕生した。
アフリカから人類史はどのようにして世界に広がったのか?
人類の旅路を知ることも「 自分自身を知る 」という問題に関係している。
④ 人間と病気
人類が誕生する前には、生物の誕生と進化がある。
生物は、なぜ進化を遂げることができたのか?
実は、生物や人類の進化の過程には、病気が関わっている。人間の遺伝子の中にはウィルス由来のモノが入っている。
病気によって私たちは進化してきた。
病気を知ることも人間を知ることになる。
⑤ 経済学
人類は、社会を形成し、食べていくため、子孫を残すために、経済活動を始めるようになった。景気が良くなったり悪くなったりする。お金持ちと貧乏人がいる。そのメカニズムへの探究から経済学が生まれた。
経済学者が新しい理論を作ることによって世の中が動いていく。
私たちが生きている社会の仕組みを知るために、経済学を学ぶ。
⑥ 歴史
私たちの祖先はどのように生きてきたのか?
誰かが書き残したものがあるから、後の世代がそれを歴史として記す。議論を残すのは、その時代の勝者や権力者である。
歴史は、時代の勝ち組によって作られてきた。
私たちの過去を記した歴史をどう捉えればいいのか?
⑦ 日本と日本人
日本と何か?
日本人とは何か?
日本や日本人はいつから存在するようになったのか?
江戸時代まで日本人はいなかった。
日本とは何か?
日本人とは何か?
という問いを追求していくと実に曖昧である。
人類史
私たちはどこから来たのか?
偶然の積み重ねが人類を生み出し、文明の競争でネアンデルタール人に勝ち、様々な疾病に勝ち抜いた人々。その子孫が私たちである。私たちの祖先は社会を築き、社会と共に人類は発展してきた。その過程では、戦争な経済の浮き沈みなど、社会的災厄もしばしば発生した。その理由を追求し、処方箋を書くべく、学問が発展した。
宗教
一神教であれ多神教であれ、世界のどこへ行っても、人間の理解を超える超自然的な存在への畏怖の念を持つ人たちがいる。その念を宗教という。
各地で生まれた宗教を見ていくと、世界の宗教は、それぞれの地域の風土に合った特徴的を持つ。
アメリカではイスラム教徒に改宗する人が増えている。貧富の差に苦しんでいる人たちがイスラム教の説く「 神の前では全員が平等である 」という教義に惹かれている。
私たちはすべての人たちを助ける「 大きな乗り物 」である。
→ 大乗仏教
自分の悟りを求めて修行する僧侶は、自分のことしか考えていない、自分さえ救われればいいという「 小さな乗り物 」に乗っている。
→小乗仏教
小乗仏教は、批判的な言葉なので、現在では、上座部仏教と呼ばれる。自分たちこそ上座にある優れた教えである。
→ 上座部仏教
「 この世界に人間の力が及ばない存在がある。それは何だろうか?」という問いから宗教が生まれた。
人間は弱い存在である。どうしても人間だけですべてのことはできない。だから、人間の力を超える超自然的なモノに頼ってしまうということは、どんなに科学が進歩しても起こりうる。
人間は弱いからこそ宗教を信じる。
宇宙
コペルニクスはカトリックの司祭で、ガリレオも敬虔なカトリック教徒であった。彼らは、神の存在を否定したわけではない。
「 神の創った世界はきれいな法則で動いているはずだ 」と考え、地動説を唱えた。
科学的な事実、科学的な法則には説得力があるので、人々も、それを認めざるを得ない。科学的な態度は、政治哲学や経済学者とも結び付きながら、中世のキリスト教社会から、市民社会へと移行する起動力ともなった。
「 世界や宇宙の謎解きを説明しよう 」とする点で、宗教と科学は、同じである。
全くの無のような地点から、突然、インフレーションによって、小さな宇宙ができ、それが爆発してありとあらゆるものを撒き散らした。その中にヒッグス粒子が現れて、重みができ、やがて宇宙の星ができ、私たちが生まれた。
人類の旅路
私たちは突然変異から生まれた。
宇宙の中で46億年前に地球が誕生し、その地球に生命が誕生したのは40億年前、地球最古の生命は海で誕生した。
私たちの体の中には太古の生命の痕跡がある。人間の体内の60%は水分でできている。この水分の塩分濃度は、太古の海水の塩分濃度と同じである。海に生きていた生命の塩分濃度が、私たちの細胞の中にも残っている。
私たちは、太古の生物から人間までの移り変わりを進化という。間違ってはいけないのは、進化 = 進歩ではない。進化とは、進んでいるというイメージがある。「 進んでいるモノほど優れている 」という価値判断も伴う。
人類は動物が進化した結果、誕生し、進化の頂点に位置する。そこで「 他の動物が人間より劣っている 」という価値判断が入り込んでしまう。それは、人間中心的な考え方である。進化とは決して劣ったものから優れたものへと進歩することではない。
ダーウィンの種の起源
様々な生き物は突然変異を繰り返している。突然変異を繰り返しているモノのうち、その時々の環境に1番適応できる生き物だけが生き残ってきた。
神の存在と進化論の折衷するアイデア
生き物は様々な変種に進化してきたが、そのように進化していく設計図を最初に創造したのは神である。「 世界創造のときに、あらゆる生き物を神が創った 」という考えは引っ込めた。その代わりに、進化のデザインは神の御業だとした。
人類はアフリカが起源である。アフリカは、熱帯で日差しが強いので、紫外線から体を守るために、メラニン色素がいっぱい出る。メラニン色素で全身を黒くすることで、体を守る仕組みになっていたので、アフリカ人は黒人である。
一方で、紫外線は、ビタミンDをつくる働きもしている。ビタミンDは食事で摂ることができない。ビタミンDがないと病気になりやすい。健康な生活のためには、紫外線を適度に浴びる必要がある。
突然変異を繰り返す中で、紫外線をなるべく吸収しないようなタイプと吸収しやすいタイプに分かれてきたから、黒人・白人・黄色人種など様々な肌の色の人が生まれた。
人間と病気
吸血ダニとの格闘から花粉症は生まれた。吸血ダニとスギ花粉を間違えて免疫システムが誤作動した結果、吸血ダニ退治の物質を体が出すことで、花粉症が発症する。花粉症という病気は、私たちの環境が余りに清潔になり過ぎることで、もたらされた病気である。
進化が必ずしも進歩ではない、人間は進化する過程で、様々な病気も取り込むことになった。
人間は、病をもたらすウィルスと共存することで進化を遂げてきた存在でもある。
私たちの体内の様々な遺伝子には、ウィルス由来のものが含まれている。
生き物とは、細胞を持っているモノ、そして、分裂して増えていくモノと定義される。
・細菌は細胞膜を持っているし、栄養を取り込んで次々に分裂していく。
・ウィルスは遺伝子がタンパク質によって包まれているだけで、自分で分裂することはできない。
ウィルスは、他の生き物の細胞に取りついて、その栄養を摂って初めて自分の分身を増やすことができる。
ウィルスは、
・自分の分身をコピーする力はあっても、細胞膜を持っていないため、生き物とは定義できない。
・生き物と物質の中間にある不思議な存在である。
ウィルスを殺すというのは、ウィルスを不活性化するというのが正しい表現である。ウィルスは生き物の中に入って初めて自らを増やすことができるので、必ず生き物の中にいる。こうして、進化の過程で、ウィルスの遺伝子が生き物の遺伝子と混じり合ってきた。
抗生物質は、体の中で悪さをしている細菌の細胞壁を壊すことで、細胞壁が壊れると細菌は死ぬ。抗生物質は、細胞壁を壊すが、人間の細胞は壊さない。抗生物質は、あくまで細菌の感染から身を守るためであって、インフルエンザ自体に対しては効果はない。細菌と比べてウィルスの構造は特徴がない。しかも、ウィルスは細胞の中に入ってしまう。ウィルスだけを標的にした抗ウィルス薬の開発は非常に難しい。
第一次世界大戦は、スペイン風邪が終わらせた。スペイン風邪にかかって戦争どころではなくなった。第一次世界大戦の戦死者数よりも、スペイン風邪で死んだ人の方がはるかに多かった。スペイン風邪は、アメリカが震源地とされているが、実際には、中国でウィルスが突然変異を起こし、世界中に広がったのではないかという説もある。
スペイン風邪は、鳥インフルエンザ由来である。
新型インフルエンザのほとんどが、中国南部の農村地帯で生まれたことがわかっている。
強烈な強い力を持っているウィルスが取りついた生き物を殺してしまえば、当然そのウィルスも姿を消す。ところが、ウィルスが突然変異を繰り返す中で、生き物を殺さない程度に、弱くなることがある。
鳥インフルエンザのウィルスは、そうやって生き延びてきた。
鳥インフルエンザのウィルスは、鳥に対して病気を引き起こさなくとも、他の生き物の中に入ると、病気を引き起こす。
鳥インフルエンザは豚に感染する。
人間のインフルエンザも豚に感染する。
豚のインフルエンザも人間に感染する。
豚の体内で、鳥のインフルエンザウィルスと人間のインフルエンザウィルスが一緒になり、全く新しいタイプのウィルスが生まれる。新ウィルスの多くは、そのまま生き延びることができないが、稀に生き延びたウィルスが人間に感染する。
「 なぜ、中国の南部農村地帯で、新しいインフルエンザウィルスが生まれるのか 」というと、人間と豚が共同生活をしているからだ。
病気が人類の歴史を大きく変えてきた。
経済学
人間は、この世界の中に様々な法則を見出してきた。宇宙人しかり、進化しかり、科学は自然現象の中に、ある法則を見つける。
・人間自身の営みの中にも、何か法則があるのではないか?
・個人や企業、国家の活動によって経済は動く、経済活動にはどんな法則があるのか?
それが、経済学である。
アダムスミス
富とは国民の労働で生産される必需品と便益品である。
私たちは、働くことによって暮らしに必要なモノ ( 必需品 ) や便利なモノ ( 便益品 ) を次々に作り出している。
自分が儲けるためという利己心から仕事をして、それが結果的に分業という形になって経済を回している。
みんな利己心で勝手に分業しているのに、なぜか経済はうまく回っている、市場での売買はうまくいっている。
見えざる手は、市場経済が持つ自動調整機能のことだ。
カールマルクス
利益は、労働者が働くこと、労働力で生み出される。労働価値説で、労働によって価値あるモノが生産される。労働力の値段は、労働力を再生産する費用で決まる。資本家が労働力を酷使することで、資本主義は崩壊して、社会主義革命が起こる。
ケインズ
不景気になったら、政府が主導して経済政策を適切に行えば、市場はうまく回る。
だから、財政赤字でもいい、国債を発行して公共事業をすればいい。
フリードマン
新自由主義、政府の規制はできる限り撤廃して、市場原理に任せる。
新自由主義の結果、格差が拡大した。
歴史
世界史は、ヨーロッパ中心の歴史としてつくられてきた。
それによって、私たちの歴史観は、無意識のうちに、ヨーロッパ中心的な発想が刷り込まれてしまっている。
「 歴史は進歩している 」という歴史観は、日本人が学んでいる世界史にも受け継がれているので、私たちにも「 世の中は進歩している 」という考えが無意識のうちに刷り込まれている。
「 歴史は進歩する 」という法則に基づいて「 世界中のすべての国民や民族が進歩し続ける 」と考えるのは、早計である。
文字と紙が発明されることによって、知見の蓄積が生まれ、その蓄積に基づいて、文明は発展していった。
歴史は新しい研究成果によって、次々に書き換えられていく。
歴史とは「 勝者が描いたモノ 」であると同時に、その時々の政治の事情や都合によって「 見直され、書き換えられるモノ 」である。
私たちが学んだ歴史は、氷山の一角に過ぎず、実は、それ以外にも知られざる歴史がたくさんある。
日本と日本人
自分とは異質な人たちと接触をして初めて「 彼らは私たちは違う 」という認識が生まれてくる。
日本の名前の由来
太陽のもとの国から、日の本となり、日本となった
対中国との関わりの中で、中国大陸から見て、太陽が昇るもともとの場所という意味で日本となった
日本にはニッポンとニホンという2通りの読み方がある。
そもそも、日本とJAPANの2通りの国名がある。
1871年戸籍法制定
1873年太政官布告
→国籍の違う人同士が結婚した場合には「 女性が男性の国籍になる 」という規定が作られた。
それ以前は?
実は何も決まってなかった。国籍という考え方がなかった。
日本人と外国人が結婚したらどうなるのか?
明治初期に初めて国籍という概念が生まれた。
日本人とは日本国籍を持った人のことである。
1873年にこの定義が生まれたので、1873年が日本人の誕生年である。
一人ひとりの人間も、自分とはどういう存在なのか、自分の中だけで考えていてもわからなくなってしまうことがある。他者との関わりの中で初めて自分が何者かが見えてくることがある。
他者がいて、他者と比較することで、自分を意識する。
日本という国も同じことである。
他国があってこそ、私たちは日本を自覚できるし、日本人としての誇りも生まれる。
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