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旅人はかへらず


古井由吉の本を通して松浦寿輝氏とも出会った。
松浦氏の本の中で西脇順三郎氏の詩集「旅人はかへらず」や阿部昭氏の
「人生の一日」を引用されており、それをきっかけとして西脇氏と阿部氏の
本も読みはじめた。

私はかなり乱読で、図書館の書架をじかんをかけて廻りながら、タロットカードを引くように借りる本を選ぶ。
読んでみてあまり面白くないなと感じたら途中でやめる場合もある。

さびしい町|junchan (note.com)

そして気に入った作家と出会ったなと感じたら、その作家の図書館の在庫を全て読む勢いで読んでいくパターンとなる。
池澤夏樹氏、辻仁成氏、沢木耕太郎氏、藤原新也氏、星野道夫氏、伊集院静氏等「異国、旅、写真等」に関連した作家はほぼ読み尽くした感がある。

今回、たまたま古井由吉氏と出会ったことで、新しい作家そして今まで触れたことのないジャンルに出会えたことにとても新鮮な感覚がある。

仮の往生の伝についての試みの文|junchan (note.com)


西脇順三郎氏も英文学者として渡英されており、やはり異文化の中での生活の中で新しい詩の先駆者となられた感じがしてならない。
詩集「旅人かへらず」のタイトルはシェイクスピアのハムレットの一節の一部から引用されたようだが、新しい詩の形式として、短い日記形式の内容が一から一六八番までの連番が付与されて並んでいる。
それぞれの内容は現実の暮らしの一部の描写であったり、過去の記憶や夢の内容であったり、まさに古井由吉のコラージュのような内容が混在している世界とも何となく共通するものがあるように私は感じた。

一六八番の最後は、「幻影の人は去る 永劫の旅人は帰へらず」で終わる
幻影の人も永劫の旅人も作者自身の内側のもう一人の自分の姿であるように感じるが、旅と日常の中で貫かれる普遍的なものを表現し続けようとされたのではないかと思う。

そのことは松浦寿輝氏の「わたしが行ったさびしい町」の中でも西脇氏の詩の一節を引用されて語られている。

そして松浦寿輝氏が引用されているもう一人の作家である阿部昭氏は、はじめて読んだが、私の日々のnoteへの投稿する衝動と近いようなものを感じた。
あくまでも日常の中で出会った人、もの出来事を通して、具体的に表現し続けていく。

私はその具体的な日常性の中に普遍的な要素(ホロスコープ的な惑星エネルギーやタロットや夢で象徴される内容との連動性)を発見していくことを喜びにしていく。



風強く星も輝く枯尾花

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