その36 30万人の学び場を求めて 〜すべての子どもが学べる算数・数学〜(3600文字)
1 はじめに
学び方改革が、進むところでは、着々と…進んでいる日本の公教育。
しかし、文科省の令和4年度調査では、不登校児童生徒数が、前年比5万人増加し、30万人に迫ろうとしていることが明らかになっています。
不登校理由を一言で正しく表現することは難しい前提のうえで、文科省調査では「不安・無気力」が主たるもののようです。
今回のnoteでは、算数・数学の授業から、すべての子どもが学べる学び、先生のあり方について考えてみます。
2 「小数」の系統性・関係性 等
唐突ですが、小学校で学ぶ『小数』と、中学校で学ぶ『方程式』『連立方程式』を取り上げました。
⚪︎小学3年「小数」 〜0.3 等〜
はしたの表し方、読み方、書き方、簡単な計算 等
⚪︎小学4年「小数」 〜9.36 等〜
表し方、読み方、しくみ、大小、たし算・引き算 等
⚪︎小学4年「小数のかけ算やわり算」
〜 0.29✖️3 等 0.329➗7 等 〜
小数✖️整数、かけ算の筆算
小数➗整数、わり算の筆算
⚪︎小学5年「小数のかけ算」
〜 80✖️2.3 等 0.47✖️0.21 等 〜
整数✖️小数
小数✖️小数
⚪︎ 中学1年「方程式」
0.1x🟰0.4(x➖2)➖0.1 等
⚪︎中学2年「連立方程式の利用」
x➕y🟰165
0.5x➕0.6y🟰91 等
3 学びの事実
〜小学5年「小数のかけ算」の授業〜
(1)学習課題
0.47✖️0.21
(2)ある子の困り感
そもそも「0.47」の読み方がわかりません。
もちろん「0.47」が、どのような数なのかもわかりません。(0.1が4つ、0.01が100こ集まれば1になる等)
この日の45分の授業の中で、この子は、初めて「0.47」の読み方が、わかりました。
これがこの子が、学んだことです。
0.47✖️0.21の答えは、もちろん出せませんでした。
しかし、担任の先生は、それを良しとしました。
なぜなら、この子にとって、学びがあったからです。
この先生は「すべての子どものわからなさを大切にする」前提のもと授業を行なっているのだと思います。
すべての子どもが、その授業の振り返り(この教室では「まとめ」と表現することもできます)に、一人一人違うことを書き記していました。
一人一人の違いが、一人一人の学びだということです。
これが、公教育、すべての子どもの学びのある学校、教室のあり方の一つの形だといえると思います。
4 従来の教室
一方で、まだまだ先生主導で授業が進むことがあります。
また、わかっている子どもが、わからなくて困っている子どもに、小数の筆算の解き方を一方的に教えることも、まだまだあります。
わからなくて困っていた子どもにとって、その場で解けることで、わかった気持ちになることが大事にされているように思います。
このような授業のまとめの時間では、元々わかっていた子ども達の言葉をつないで、全員共通のまとめが、先生によって黒板に示されます。
その結果、その日の宿題や単元終わりに行われるペーパーテストでは、わかっていないのに、わかったつもりになっていたことが、明らかになることが少なくないようです。
実は、何も学べていない子を作り出している授業と言えるかもしれません。
先生の側からすれば、その授業時間に、学習指導要領に示された内容を、課題として子ども達に提示して、履修させたということになるのだと思います。
しかし、果たして、これでいいのでしょうか。
小学校では、残念なことに、このようなことが6年間繰り返されている事実もあるように思います…。
と言うと、「いやいや仕方ないでしょう、宿題をしてこないんですから」や「学校は忙しいんですから」や「そんなことはわかっているけど、全員がわかるようになる時間なんてありません」や「だから放課後や長期休暇、短縮期間中に、わからない子どもに居残りをさせたり、学校に呼び寄せたりして、算数ドリルやプリントを使って個別に教えてるんです。」等という意見も聞こえてきそうです。
一年間、毎日算数の授業が行われるなかで、わからなさに寄り添うことを、どれだけ大切にできているのでしょうか。
毎日、学びの機会が与えられず、長期休暇や放課後等の限られた時間の中で、あくまで先生主導で、課題に取り組むことがアンバランスであり、決して肯定的に捉えられない自分がいます。
本来先生が取り組むのは、働き方改革に裏付けされる、学び方改革なのです。
働き方改革により既存のものをスクラップして、時間的・精神的余白を作り出します。
その余白を使って、すべての子どもが学べる学び方改革に向き合っていくことが、今の教育現場に求められているはずです。
どれだけの大人が、働き方改革を、正しく理解しているのでしょうか。
5 これからの教室
先生が考えた45分の授業で、初めて学ぶ内容を、すべての子どもが理解するなんてことは、現実的に起こり得ないと思います。
であるならば、本当に大事にしたいのは、一人一人の子どもが、その時間で何を学んだかということだと思います。
これを実現する為に
⚪︎ 先生が道筋を示す『講義型』
⚪︎ グループワークによる『協働型』
⚪︎ タブレット端末等による『個別最適型』
等、子ども自身が、自分で学び方を選べるようになり始めています。
とても素晴らしいことです。
どんどんこのような波が日本全国、小中高に広がることを期待しています。
しかし、いずれの型にしても、如何に一人一人の子どもの学びを保障できているか否かということに照準を定めることを忘れてはならないと思います。
詰まるところ、やはり、先生が、一人一人の子どもをどのように見ているのかだということです。
講義型、協働型、個別最適型のいずれにしても、学習指導要領における学ぶべきことと、個人の習得段階との隙間を埋めるべき授業になっているかどうかが重要だと思います。
講義型に参加する対象は、これまでに履修すべきことを習得できている子どもが、多いのではないかと思われます。
ですから、教師側の工夫は、それほど必要ないのかもしれません。
昭和や平成の先生スタイルでも、もしかすると、問題は起きないのかもしれません。
しかし、協働型、個別最適型の場合は、少し違うのではないかと考えています。
まず、協働型の場合では、子ども同士の他者理解、他者の声の聞き方が重要になるはずです。
わかっている子どもが、わからない子どものわからなさを、どれだけ受け止められるか。
その為に「活動的な聴き方」「対話」「フラットな関係性」が大事になるのではないか、ということです。
中学2年、連立方程式の問題に取り組んでいたとします。
小数の読み方がわからない(もちろん、小数の仕組みもわからない)子どもに、いくら、移項することや、方程式を解くことを、わかる側の子どもから説明しても、連立方程式の解き方が、わかるようになったり、その時間で学びを得たりすることは難しいはずです。
ただ「わかったつもり」には、なれると思います。
その結果、わからない子どもは、結局わからないまま、言い換えると何も学ぶことがないまま、その授業を終えることになります。
また、連立方程式を解いて、解を導き出すことを学びの中心に置いたとしても、そこに一人一人の子どもが、どれだけ迫り、自分自身とどれだけ向き合って、学びを得ていたのかを、教師が見とることを大切にしたいものです。
このように考えた時に、この授業終わりに、すべての子どもの学びを受け止める「先生の容量」が大事だと思います。
子どもの「学びの幅」を、どれだけ受け止められるのかが大切になってくると思います。
やはり、大人が変わることが大前提です。
更にもう少し詳しく言うと、タブレット端末で学ぶ子どもにとっても、連立方程式の動画しか学びの選択肢を得られないとしたならば「すべての子どもの学び」にはなり得ないと思います。
小学3年生や小学4年生の「小数」の単元の動画を見ることも、その子の学びとして、認められるような「先生の懐の深さ」「授業観」を大事にしたいとも思うのです。
こうして「無気力・不安」が増大していく、一つの可能性を排除したいのです。
6 おわりに
算数・数学の授業を例えに考えてみました。
不登校の原因は、必ずしも一つでは、ありません。
様々な要因が、複雑に絡まり合っているはずです。
学び方改革を推進して、すべての子どもが学べる学び場に変わらなければ、日本全国30万人に迫る不登校の子ども達(そのうち誰にも相談できず、学びにアクセスできない11万人の子ども達)を救うことはできないのではないでしょうか。
とにもかくにも『すべての子ども』の為に大人の意識改革を切に願う今日この頃です。
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