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何も生まれなかった瞬間に何かが生まれる


 公募に応募して落ちまくると落選に慣れてくる。
 もちろんがっかりするし溜め息も止まんない。
 本屋で結果を見て名前がないと
 行き場のないうさうさした負の気持ちをなんとか発散するために
 欲しい本もないのに本屋を一時間以上もうろついては
 疲れでもってエネルギーを消費して落胆を軽減させたりする。

 本格的に小説を書き出したのは四年前。
 ネットの短編の公募から地方文学、大手出版社の新人賞に至るまで
 多分60回以上は出していて書いた作品数は100をゆうに越えている。

 何度か最優秀をもらったこともある。佳作や一次通過も10回以上。
 もはや一次通過の常連でもある。だがいつもその先に進めない。
  「一応小説の形をなしてるものは一次を通る」
 公募の定説だ。作文以上面白い以下がここに収まる。
 講評をオープンにしている文学賞では自分の書いたもののみならず
 他の方への指摘も読める。
 作品は一切読んでいないのに講評だけでその出来が分かる。
 自分と同じように落ちた人たちへの言葉でもズバズバくる。
 扱うテーマやその書き方。魅力的なキャラクターの有無。
 構成。会話。結末の着地点。そして何よりストーリーが面白いか否か。
 一次で落ちるのはいずれもこのどれかが足りないからだ。
 
 帰る電車の中で自分への講評を繰り返し繰り返し巡らす。 
 鋭い指摘にひたすら納得。ボディーブロー食らってヘロヘロになる。
 またダメだったんだなあと夢は砕けて遠ざかったけど
 降りる駅に到着する頃にはもう次の話の構想を練っている。
 なんにも変わらなかった時にこそ新しい物語が誕生したりする。
 単なる負け惜しみなのかもしれないけど
 反省や悔しさをぶつけるのは次の作品以外にないからだ。
 切り替えてゆくしかない。
 なんでこの面白さが分からないんだよ!ももちろん思う。
 でも他人はそうは思わなかったわけだし
 冷静になってから読み返せば綻びも目につく。
 締め切りに追われて推敲を怠けた部分が見事に仇となってる。
 思い当たるからこそ悔しいのだ。
 学生時代が終わってから分かる勉強の大事さよ。
 もっとああすれば…の後悔から学ぶからもう一度挑戦したくなるのだ。
 大江健三郎氏の「静かな生活」に出てくるまあちゃんのように
 「なにくそ、なにくそ」とぶつぶつ呟くことで自分を鼓舞しては
 NEXT  DOOR を探してそこを目指す。
 その一瞬にでもキラリと光るものが見つかると
 よし今度はこれでいこうと前に進める。
 どこに何が落ちてるか分からない。
 欠落が明確になるから補修部分も見えてくるし
 以前まとまらなかったものが今なら書けそうだと思ったりもする。
 そんな時にちょっと綺麗な月が出てたりすると
 自分を労ってくれてるようで「よしよし」と心を宥める。
 
 あと2ヶ月で今年も終わる。
 そして今年も公募勢から卒業はできなかった。
 現在も結果待ちしてるものが3つ。
 どれも最優秀になってもプロになれるやつではないけど
 自分が書きたいものを書きたかった通りに仕上げる技術を
 今はしっかり身に付けたい。
 はっとする視点で読む人の心を揺さぶれるもの。
 するするとゴールに導ける読みやすさも向上させたい。
 毎年出している北日本文学賞では先日の一次通過者で名前があった。
 創作大賞も全然ダメで自信失くしてたから
 今回の一次通過はとても励みになった。
 (よしんば最優秀に選ばれると本名掲載なのでもう本名で出してるため
 作品名教えられないのですが)
 北日本文学賞も毎回一次は通るんすよ。でも二次には行けない。
 今回出したものも昨年落選してから「じゃあ来年は」と考えたもの。
 もしまたダメでも自分では昨年のよりいいものが書けたと思っている。
 なにも変わらなかったお陰で生まれた作品もある。
 それをひとつひとつ丁寧に育みたい。
 物語に登場する彼らをこの世に生んだのは自分だけれども
 その彼らに励まされながら今日も自分は生かされているのだから。


 追記 11月23日発表の二次選考も通過してました。
    嬉しいぞお。頑張れ作品!



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渡鳥
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