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『スピノザの政治思想~デモクラシーのもう一つの可能性~(柴田寿子著)』スピノザ関連書籍の紹介#1

スピノザ関連の書籍をだいぶ読んできたので、noteを使ってその本の所感なり、特性なりを、私なりに紹介していきたい。
私は専門家でも著作家でもなく、ただただスピノザ思想を愛好する一読者であるというのは予め断っておきたい。したがって、ここで書かれる内容は、その本の書評というよりは、何が私にささったか程度の雑感程度のものでしかない。専門的なことを論じる力は私にはない。しかし、それでも読んで感銘を受ける本というものはあるので、そのことを少しでも伝えられればと思っている。

最初に紹介したい著作は、柴田寿子著による『スピノザの政治思想~デモクラシーのもう一つの可能性~』である。

柴田寿子のスピノザ研究に関する単著は、上記を含めた2作品のみである。

『スピノザの政治思想——デモクラシーのもうひとつの可能性』(未來社、2000年)
『リベラル・デモクラシーと神権政治——スピノザからレオ・シュトラウスまで』(東京大学出版会、2009年)

ほかはさまざまな雑誌にて研究論文を執筆されていたようだが、2009年に故人となっている。その略歴と業績については、スピノザ協会の年報『スピノザーナ2009/2010年』に掲載されている。

本書は、それまでのスピノザ研究が、哲学、倫理学の側面が主流だったのに対し、政治思想としての側面にフォーカスを当てている。その背景には、フランスにおいて、1960年代から1980年にかけて重要なスピノザ研究が続々と出てくる「二度目のスピノザルネサンス」があり、日本においてもその潮流を受け、1991年に東京と京都において『スピノザと政治的なもの』と題した国際シンポジウムがスピノザ協会によって開催されている。

シンポジウムに名を連ねていたのは、スピノザ研究の牽引者であった工藤喜作、加藤節、齋藤博、桜井直文、上野修、そして柴田寿子といった面々である。加えて、世界のスピノザ研究の第一線級の学者三人、マトゥロン(仏)、ヴァルター(独)、クレイファー(蘭)が招聘されている。

日本で開かれた国際シンポジウムには次のような背景があったようだ。

スピノザに関しては、最近ノーベル賞受賞作家大江健三郎氏の発言によって、その名がとみに高まった。だがスピノザがどんな哲学者であったかについては存外知られていないのではないか。第一にプラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ヘーゲルといった哲学史上馴染の深い大哲学者に比べて、スピノザの知名度はかなり低い・・・仮にスピノザを知っていたとしても、それは「永遠の相の下で」(sub specie aeternitatis)という言葉に象徴される、いかにも哲学者らしい表向きのものにすぎず、彼が生涯を通じて現実の世界に深い関心をもち、思索をめぐらした哲学者であることはあまり知られていない・・・・・・従来のように表のみを理解し、それをもってスピノザ研究のすべてであろうとすることは一方的である。つまりスピノザを単に狭い意味で哲学者としてのみ扱うことは、彼の思索の展開過程から見て片手落ちであるというのである。

『スピノザと政治的なもの(平凡社)』

日本においても、「スピノザの理解に新たな理解を提示」しようという試みが、日本の研究者の中でも高まっており、その一端を担っていたのが、柴田寿子の研究であったと思われる。

本書はまず、スピノザ思想がいかに、「不連続」と「復活」によってしか語られてこなかったか。その異端性と異端ゆえにその本質が継承されないまま忘却、あるいは抑圧され、何十年あるいは何世紀も経てから、異なる時代の異なる社会で読まれることで、ようやく人々に注目される営みというものがある、という指摘から始まる。

デカルト哲学やホッブズ政治論とともに近代初期の最良の理論的遺産でありながら、「屍と化した犬」のようにまったく忘れ去られ、その後一世紀を経たドイツ古典哲学期に一回目の「スピノザルネサンス」として思想界の争点となって再登場するスピノザ哲学はこうした営みの典型であろう。

『スピノザの政治思想(柴田寿子著)』より

17世紀のオランダ、スピノザの思想は、生前においては異端思想として危険視されていた。主要著作『エチカ』も、死後においてスピノザの友人らの手によって『遺稿集』として出版されたくらいで、中でも当時のオランダ全土で禁書処分となるくらいスキャンダラスな騒ぎを起こした著作が『神学・政治論』である。匿名で出版したにも関わらず、この著作はすぐにスピノザのものだということがばれてしまい、厳格な監視により禁書扱いとなってしまった。このあたりの事情は、さまざまなスピノザ入門書でも読めるし、最近でいけば吉田量彦の『スピノザ 人間の自由の哲学(講談社現代新書2022年)』が詳しい。

スピノザの政治思想としての側面をフォーカスするうえでは、この『神学・政治論』と、未完作品『政治論(邦題は国家論)』を置いてはありえない。もっとも、これらの著作に光が当たったのは、先の「二度目のスピノザルネサンス」の洗礼を受けた、アントニオ・ネグリ、エティエンヌ・バリバールらによる『神学・政治論』と『政治論』の再検討がなされたということが大きい。彼らによって、スピノザの政治思想は、それまでの政治思想での主流であったホッブズ、ロック、ルソーらの社会契約論とはまた異質な、「リベラル・デモクラシーのオルタナティブ」としての見直しがはかられるようになったのである。

それまでのこれら政治思想の著作は、スピノザ研究の文脈においても『スピノザ哲学』の「補論や付属物的な扱いでしかなかった」とのことだし、「従来の政治思想研究が、スピノザの政治思想をリベラリズムの古典とみなしつつも、ホッブズやルソーの政治論には及ばない、不可思議な亜流としてしか位置づけられてこなかった」のだという。

本書もまた、スピノザの『神学・政治論』と『政治論』をベースに置きながら、ホッブズルソーといった政治思想の「主流」と比較し、スピノザ思想における、彼らの政治論との同一性と差異を論じることになる。

「社会契約論の確立者であり、スピノザが政治論を思考するうえで最も多くを負った思想家の一人であるホッブズの社会契約論を、スピノザが独自の改鋳によってどのようにデモクラシー論へ転換したか」を論じているほか、「スピノザの思想がフランスで継承されていった思想史的経緯を追いながら、一般にヨーロッパ的啓蒙と呼ばれる思想構造とその源泉のひとつと言われるスピノザ思想とが、実はどのように不連続にあったかを浮き彫り」にし、「それによってルソーの社会契約論とスピノザの国家論との同一性と差異性がどのように生じていくか」を明らかにしている。

その他、スピノザがもっとも影響を受けた思想家の一人であるというマキャベリや、フランス啓蒙思想家モンテスキュー、そして近代における大思想家ヘーゲルマルクスニーチェらとの比較なども検討されていて、政治思想に強くない人間においても、知的に楽しめるスリリングな内容となっている。

最後の章では、スピノザの未完の著作である『政治論』において書かれることのなかったスピノザの民主政論をめぐって、ありえたかもしれない「デモクラシーのもうひとつの可能性」についてが語られる。

本書を通して、私にとって衝撃的であった内容は、スピノザがいかに、ヨーロッパの啓蒙思想、イギリスのロックや、フランスでのモンテスキュールソーヴォルテール、百科全書派のディドロらに、影響を与えていたかということである。

それらの事実は、スピノザ研究において初めて明るみになったことなのではないだろうか。なにせ、ロックにしてもルソーにしても、おそらく直接的にはスピノザ主義者であることを公言していなかったのだし、モンテスキューも隠れスピノザ主義者であったとも言われているくらいで、直接的な影響を彼らの著作から見つけ出すのは難しかったはずだからだ。

1世紀くらいの時を経ているとはいえ、スピノザ思想は、当時のヨーロッパの教会権力を脅かす、危険思想の先鋒者であった。その名を口にすることさえ憚られていたのだそうだし、スピノザ主義者であることを認めることは、「無神論者」として断罪されることと引き換えであったのだ。

そのあたりの緊迫した空気、雰囲気というものは、今のわれわれにはなかなか想像しにくいが、『フランス近代の宗教思想(岩波書店1993年)』がそのあたりの事情に詳しい。スピノザの著作(スピノザを論じた本)は「地下写本」として、公にではなく、ひっそりと、秘密裡において、啓蒙思想家らの知識人によって読まれていたようだ。ちなみにこの地下写本、スピノザ以外にも、かつて、「この世界は無限である」ということを唱えて火炙りの刑にされたジョルダーノ・ブルーノも名前を連ねているところが興味深い。

本書の詳細を論じる力は私にはないが、「デモクラシーのもうひとつの可能性」において、未完の『政治論』において語られることのなかったスピノザの「民主政」についての考え、構想していたはずのデモクラシー論について、作者は最後の方でこう記している。

スピノザの民主政論は「以下を欠く」まま空白で遺されたが、そうした工夫と手段によって、差異を内在させながら共通概念としての同等性に近づく、質のよい民主政が構築される可能性があると、スピノザは展望していたに違いない。これはフランス革命以降国民国家の原型として定着していく、内的外的国境をもつ同質的な民族国家とは異なる国民国家の構想だった。歴史的には、急激な商業の発展と市民社会の早々の到来を経験しつつも、多元主義的な連邦制をめざしていた当時のネーデルランドに、他者として内在したユダヤ人スピノザによってしか考えられない構想だったかもしれない。しかし、「いまだかつて知られも試みもされないにもかかわらず、経験や実践に適合する」ような事柄はないといいきる、徹底した現実主義者スピノザにとって、こうした国民国家の構想は、たんなる近代初期のユートピアではなく、きわめてアクチュアリティをもつ政治構想だったはずである。

『スピノザの政治思想(柴田寿子著)』より

スピノザは、左翼思想家らに好んで援用されるのだが、スピノザの政治思想からは、空想的社会主義も、アナーキズムも出てこないはずだ。ネグリが好んでスピノザの「マルチチュード=大衆、群衆の力」を理想的に概念化するのだが、スピノザは、マキャベリのように徹底したリアリストであったと私は考える。本書を読めばそのことはよくわかるだろうし、スピノザ自身の『政治論(国家論)』を素直に読めば、スピノザが手放しで、民衆や民主主義を評価していたわけではない、ということはわかる。

だが、決して明るい展望や希望があるとはいえないこの現代において、國分功一郎がいうように「ありえたかもしれないもう一つの近代」を、スピノザ思想を軸に希求してしまうという思いもまた、やはり否定できない。


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