見出し画像

ジョルダーノ・ブルーノの無限宇宙

 スピノザが生きた17世紀から遡ること約1世紀。イタリアのルネサンス末期、コペルニクスの地動説をふまえて、無限宇宙にもとづく新たな宇宙論を説いたため、1600年にローマ教会によって異端とされ、火炙りによって処刑された哲学者、ドミニコ会の修道士がいる。

 ジョルダーノ・ブルーノ(1548-1600)である。

 キリスト教会権力の政治的支配が強かった当時のヨーロッパ社会において、地動説にもとづく新たな宇宙論を唱えるということが、いかに危険なものであったか。

 16世紀はじめにコペルニクス(1473-1543)は、その書を禁書とされ、次いでこのブルーノが処刑される。かのガリレオ(1564-1642)が宗教裁判で有罪とされてしまうのはあまりにも有名である。

 ブルーノが生きたルネサンス期は、『閉じた世界から無限宇宙へ』の著者で知られるアレクサンドル・コイレ(以下A・コイレ)が示すように、閉じた世界、すなわちアリストテレス・プトレマイオス的な地球中心的有限宇宙論がその勢いを失い始めるとともに、ブルーノらによって無限宇宙の観念が導入されることで、地球中心の宇宙観から太陽中心の宇宙観(コペルニクス)、さらには、この宇宙には中心となるものはどこにもないという宇宙観への転換へと至り、近代的宇宙論の確立を準備した期間として重要である。

 
 このルネサンス期(15・16世紀の200年間)、無限宇宙の観念を導入した先駆的な思想家として、ブルーノの他には、神学者ニコラウス・クザーヌス(1401-1464)の名が挙げられる。クザーヌスはブルーノに先立つこと150年前、「中世的宇宙観を放棄し、宇宙の無限性を主張したという功績が帰せられる最初の人(A・コイレ)」とされる。

『命の調べのダンス』の著書、デニス・ノーブルも、このクザーヌスの存在は、「太陽、またはその他の天体に位置を与えるという考えさえも疑問に付したことにおいて先んじていたので、ニコラウス・コペルニクスよりも偉大な革命家であった」と評している。

(クザーヌスは)『知ある無知(De Docta Ignorantia)』と呼ばれる著書において、相対性を中心的な考え方とする観点を表明した。「それゆえに、世界の織物は、至るところにその中心を持ち、周辺はどこにもない。」これはまた後の、太陽さえも(または他のどんな点も)宇宙の中心でありうるかを問う段階を予想され、注目に値する。

『命の調べのダンス 生物学的相対性』(新曜社)より

 
 このクザーヌスという人、私自身はこの記事を書くにあたり調べ、恥ずかしながら改めて知ることになったのだが、ブルーノをはじめ、ケプラー、ライプニッツ、ヤスパースといった後世の哲学者に多大な影響を与えている。

 1543年、コペルニクスは『天球の回転について』において、地動説を発表する。科学史的には、この発表こそがあまりにも有名だが、コペルニクスの地動説は、地球や他の惑星が太陽の周りを回っているという説で、学術上の名称は「太陽中心説(heliocentrism)」とされている通り、これまで地球が中心とされていた世界観を、太陽が中心であるとした。

 このコペルニクスの地動説をふまえながらも、ブルーノがはっきりと提唱した新たな観念とは、「コペルニクスにもとづくと同時に、はるかにそれをこえている(柄谷行人)」ものであった。

 A・コイレも「新らしい宇宙論をその輪郭において描出した最初の人」としてブルーノを評している。

 ブルーノは「世界の中心は地球か太陽か」という議論を超越し「宇宙の中心はどこにも存在しない」という、無限宇宙の観念にもとづいたものであったのだ。

無限数の存在するところでは、程度もなければ順序もない。程度や順序が云々されるのは、異なった種や類、もしくは同一の種や類のなかでの異なった度、にそなわる理ないし価値から見られたときのことなのですから。

『無限、宇宙および諸世界について』清水純一訳(岩波文庫)より


 ブルーノの宇宙論を知るうえでは、なんといってもこの『無限、宇宙および諸世界について』であろう。

一六〇〇年、反宗教改革の嵐の中で火刑に処されたブルーノの主著。われわれをとりまいているこの宇宙は無限であり、さらに、地球や太陽と同様の星々が他にも存在していると主張して、それまでのスコラ的な閉ざされた宇宙観から、いっきょに近代的宇宙観へと人間精神の視野を転換させた画期的著作である。

本書解説より


 他の著作としては、『原因・原理・一者について』『聖灰日の晩餐』『カンデライオ』などがあるが、これらはジョルダーノ・ブルーノ著作集においては読むことができるが、岩波文庫のような手軽な文庫本として手に入るのは『無限、宇宙および諸世界について』のみである。

 中身についても、複数の登場人物による対話形式の叙述になっているため、古典にありがちな読みづらさ、難解さはない。

 ブルーノの存在は、哲学者たちの間ではよく知られている名であろうし、バルーフ・デ・スピノザの汎神論的世界観との比較においてもたびたび引き合いに出てくるのだが、科学者においてはどうだろうか。科学史においては、あまり見かけないような気がする。

 かという私も、ブルーノについては、柄谷行人の著作を通じて初めて知ることとなった名である。柄谷行人のスピノザ論において、たびたびこのブルーノの名が登場するのである。

スピノザの「無限」」に近いことをずっと以前に考えていたのは、火あぶりにされたジョルダーノ・ブルーノでしょう。ブルーノが「無限の宇宙」というときに、それは地球中心説はいうまでもなく、太陽中心説さえも相対化してしまいます。宇宙が無限であるかぎり、どこにおいても中心なのであり、しかも、どこも中心であることは不可能であるわけです・・・・彼がそういう認識に到達したのは、トドロフがいうように、事実上世界が閉じられるということ、つまり、地球が球面であることが明白になった新大陸発見という事態によっていると思います。コロンブス自身が述べているように、世界はその時に閉じられたのです。
※強調引用者

『言葉と悲劇』柄谷行人(講談社)より

 
 アリストテレス以来の中世の世界観は、このわれわれの世界(地球)が中心にあり、その中心を囲むようにして周縁がある、という世界観であった。
(「内部‐外部」「中心‐周縁」といったような、同心円のイメージ)

 世界には周縁があるのだから、その先は「無限定」になっている。そんな無限定のような外部はない、世界は閉じられている、と考えたのがブルーノの無限の観念である。この無限の考え方は、のちのスピノザが考えていた無限に近い、と柄谷行人は言う(ただしスピノザはブルーノの直接的な影響は公言していない、と思われる)。

  いずれにしても、ブルーノの無限宇宙が、当時においても、現在においてもいかに画期的であるものであったかを、伝えられるだけでもまずは十分である。その画期性とは、このブルーノの世界観こそが、それまでのヨーロッパにおいて支配的であった「アリストテレス世界観の最後の崩壊過程を表していた(訳者・清水純一)」ものであろうからだ。

 今日の宇宙像を知ってしまっているわれわれからすれば、もしかしたら、そんなの当たり前じゃない? という感覚かもしれない。しかしわれわれが当たり前のものとして感受している「知」には、数世紀にもおよんでの研究、議論の積み重ね、抵抗、反発、受容、浸透という、壮大なプロセスを経ていることを知るべきであろう。

 そしてこのような知の先駆者が宿命として背負う、異端者としての扱い――ソクラテスやガリレオ、スピノザもそうだった――は、ブルーノにおいても例外ではなかった。

 彼が提唱した宇宙観は、教会権力にとっても見逃すことができない危険思想と見なされ、火炙りの刑を宣告される。もちろんいきなりそうなったわけではなく、自説を撤回すれば、命は助かっていたかもしれないのだ。

 しかしブルーノは、断固として撤回を拒否したため、1600年1月8日、死刑判決が下される・・・。

 このような犠牲のもとに、後世へと開かれることとなった「無限の知」を、現在のわれわれは享受している。そしてそれがまた、新たな知の確立へと綿々と続いていくのだ。

 火炙りの刑に処される際、ブルーノは処刑を宣告する執行官に対してこう言ったのだという。

――私よりも宣告を申し渡したあなたたちの方が真理の前に恐怖に震えているじゃないか

 
 

<参考文献>

・『命の調べのダンス 生物学的相対性』デニス・ノーブル(新曜社)
・『言葉と悲劇』柄谷行人(講談社)
・論文「ブルーノの無限宇宙論(Ⅰ):ルネサンスのコスモロジーの一側面」薗田坦

 <関連記事>


いいなと思ったら応援しよう!