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包む、結ぶ、巻くの日本文化とその精神 象徴としての「おむすび」

 私は前回、日本人の日常生活にみられる「包む」という行為と、包装やブックカバーなど「紙」にこめられている思いから、日本文化とその精神についてを考察してみた(下記、関連記事参照)。

 日本人は包むことが好きである。紙、布、竹、笹、木、藁など、縄文時代以来続くとされるこの「包む」文化は、日本の伝統であり、その所作やそこに宿る精神は、現代人においても無意識レベルで刷り込まれているものと思われる。

 この包む文化で特徴的なものに「風呂敷」も挙げなければならない。そしてこの風呂敷は、大切なものを「包む」だけではない。風呂敷の先と先を「結ぶ」という所作もあり、「包む」「結ぶ」までがワンセットである。

 日本料理においては、おせちや懐石料理などに、おもてなしとしての「昆布巻」や「伊達巻」などがある。昆布巻は、広げた昆布ににしんを包み、そして巻いて、かんぴょうで結ぶということをする。日本の繊細な料理にも、このような包む、結ぶ、巻く、という所作がみてとれる(参照:「包む、結ぶ、巻く。気持ちをこめる日本の伝統文化を知ろう」)。

 食べ物という点でいくと、前回の記事で、私は「包む」食べ物の象徴として「おにぎり」を挙げさせて頂いた。

食べ物でいくと、おにぎりがまさに「包む」食べ物としての象徴かもしれない。具材を「米で包み」、さらに海苔で巻く。ここには、たんに包むだけではない、「重ねる」という思想も入ってくる。

「「包む」美学と「紙」に宿る心 日本文化とその精神についての雑考」より

 この時は「包む」だけが、私の関心の焦点であったため気付かなかったのだが、この「おにぎり」、他の呼び方がある。「おむすび」である。

 じつは日本では「おにぎり」と呼ぶ地域と、「おむすび」と呼ぶ地域で分かれるらしいのだが、それについては後述したい。

「おむすび」であれば、「包む」のみならず、「結ぶ」「巻く」の概念も浮かび上がってくる。具材をお米で包み、お米をにぎることで、米の一粒一粒を結ぶ。そして、海苔で巻くわけである。

 このように記述すると、この「おむすび」、日本人の「魂」を包んでいるのではないかとさえ思いたくなる。結んだ米粒は、そのままだと崩れやすくもあったりする。だから、大事なものを海苔(海のもの)で包むのである。

 では、この結ばれたお米が包むものは何かというと、代表的なものは「梅」であろう。おむすびの最初の具材は梅干しだと言われている。

 1221年。承久の乱で、東国(鎌倉幕府側)の武士に兵糧として梅干入りのおにぎりが配られ、これをきっかけに、梅干しが全国に広まったとされる。(参照:「おにぎりの歴史」)

「梅」は古来より、日本人に愛されてきた花である(参照:「梅と日本」)。学問の神様とされる菅原道真が、梅の歌「こち吹かば匂いおこせよ梅の花あるじなしとて春をわするな」と詠んだことから、梅の花は道真公の象徴になったといわれる。

 日本人にとって梅は、寿命が長く、古木でも力強く芽吹くことから、慶事の象徴としても親しまれてきた。生命力の強さから病気を退ける花、長寿を願う縁起の良い花の一つともされ、まさに「生命」という、もっとも大切なものを象徴しているといえるのではないか。

 さて『こめペディア』というサイトの記事によると、「おにぎり」と「おむすび」呼び方のいわれについて、こういった説明がされている。

「おにぎり」と「おむすび」あなたはどちらで呼んでいますか?令和の現在、全国的に主流なのは「おにぎり」の方で、「おむすび」は関東~東海道、北陸、中国地方などで優勢です。ちなみに海外では、短く発音しやすい「musubi」が主流になっています。

https://komepedia.jp/rice-ball/より

「おにぎり」か「おむすび」か、一般的にもこんな通説があるようだ。「東日本では「おむすび」、西日本では「おにぎり」と呼ぶことが多い」。

 じつに興味深い内容である。『こめペディア』の記述にもあるように、「「おむすび」は関東~東海道、北陸、中国地方などで優勢」とある。中国地方は西なので、明確に東と西で分けられるわけではない、というのは言えそうだが、この中国地方+東のエリアというのは、日本の古代史などに関心がある私には、重要な意味が隠されているような気がしてならない。

 さらにこう続く。

「おにぎり」の語源は動作そのまま、ごはんを手でギュッと「にぎる」ことから。また、魔除けの意味を込めて「鬼斬り」と呼んだという説もあります。「おむすび」は少し奥深いです。語源は日本神話にみえる「産巣日神(むすびのかみ)」という神様。ムスは「生ずる」、ヒは「霊力」を表します。この神様がお米に宿ると信じられ、にぎったごはんを「おむすび」と呼ぶようになりました。どこか上品な響きの「おむすび」は、宮中の女房詞にもなっています。

https://komepedia.jp/rice-ball/より

 「鬼斬り」という説も、「産巣日神(むすびのかみ)」の説もいずれも興味深い。「産巣日神(むすびのかみ)」というのは、日本神話に登場する神で、「神産巣日神」のことだろうと思われる。

 神産巣日神は、カミムスヒ、カムムスビ、カムムスヒともよばれる。日本の国生みの神は、イザナキとイザナミとされるが、それ以前に「天地の始まり」とともに現れた神々の存在が日本にはあって、天にある高天原に最初に現れた神が、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カムムスヒという三柱の神なのだという(参照:『古事記・日本書紀 記紀をひも解く109テーマ』西東社より)。

 この三柱の神は、万物の根源を示すといわれ、神産巣日神(カミムスヒ)は『古事記』では、出雲系神話と称される部分に登場し、出雲の神々に対して援助や命令を与える働きを担っているので、出雲と関係が深いとされる。(参照:https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/kamumusuhinokami/)

 「おむすび」は関東~東海道、北陸、中国地方などで優勢とあったが、どうして中国地方と東のエリアか、という分布は、この「出雲」との関りがポイントになっている気がしてならない。

「おむすび」というのは三角形が一般的であるが、これは山を模したものではないかと聞いたことがある。出雲文化のような、山岳信仰があった地域、古代の神々とかかわりのある場所では、自然の山と「結びついた」象徴的な意味合いで、「おむすび」になった、という推測は許されるだろうか。

 ただしこの地域差で「おにぎり」「おむすび」の呼称の違いを見るのは、一筋縄ではいかなそうだ。

「おにぎり協会」の見解によると、この地域差と呼称の関係については以下のように書かれている。

一方、その呼び方については地域偏差が存在するようだ。通説では東日本では「おにぎり」、西日本では「おむすび」とされることが多い。しかし『近代文化研究叢書3 おにぎりに関する研究』(小田きく子著)の資料によれば、北海道、関東、四国では「おにぎり」「おむすび」が拮抗、近畿は「おにぎり」が優勢、中部と中国は「おむすび」が優勢で、九州・沖縄では「おむすび」は稀で「おにぎり(にぎりめし)」が大多数を占めるとされる。また、千葉県館山市では俵型を「おにぎり」、三角形を「おむすび」と呼び、形によって呼び名を区別している地域もあるそうだ。

https://www.onigiri-japan.com/archives/432

 上記の研究者による結果から、おにぎり協会の見解としては、次のようになるとのことだ。

「おにぎり」と「おむすび」。人の往来が飛躍的に増えた現代、これら呼び名についての地域偏差は平準化されつつある。現代においては「おにぎりとおむすびの呼び方の違いは、家庭・個人レベルの違いである」というのが、一般社団法人おにぎり協会の見解である。

 私の感覚でいくと、今はどちらかというと「おにぎり」が一般的な呼称には思える。しかし、これを「おにぎり」ではなく、「おむすび」の方に焦点をあてることで、私には、「包む」「結ぶ」「巻く=重ねる」という日本の伝統的な所作、日本人がこの「おむすび」に込めた思いが見えてくるのである。

 この「包む」「結ぶ」「巻く」。これを、前回の記事でも強調させて頂いた「紙」との関係をみてみると、どうであろうか。

 これは、「熨斗(のし)」と「熨斗紙」があげられる。熨斗はお祝い事などフォーマルな贈り物のシーンで添えられる飾りのことを指していて、 一般的には熨斗紙自体が「熨斗」と思われがちだが、正確には「熨斗」は熨斗紙の中央右上にある飾りのことを指しているようだ。蝶結び、結び切りなどと言うように、「人と人との縁を結ぶ」ものとして、熨斗はある。

 最後に。「包む」「結ぶ」「巻く」と「紙」で思い起こされるものがもう一つある。「おみくじ」がまさにそれだ。私は、お正月など、神社にお参りに行くと必ずおみくじをひき、その一年を占ってもらう。

 おみくじには、何が包まれているか。一見、紙が折り畳まれているだけのように思える。しかし、丁重に折り畳まれた紙を広げると、そこには「文字」がある。「言葉」がある。

 おみくじとは御神籤と書き、神様からの託宣をいただくものとされる。そこに書かれた神様からのお言葉こそが、おみくじに包まれているものであり、紙を開けた瞬間に、文字が立ち上がるのである。開けなければ、ずっと包まれたままで読まれることのない文字。それが、言葉であり、言の葉であり、くじを引いたものに宿る「言霊」なのではないだろうか。

 その神の言葉が書かれた紙を、おみくじかけや、木に「結ぶ」ということをする。おみくじかけや木などは「結び所」というらしく、まさに神様とのご縁を結ぶ、木々の生命力にあやかって願い事が叶うという意味合いがあるようだ。

 いくつものおみくじが結ばれると、言葉と祈りが連なって木々に巻きついているように見える。そこには、われわれの思いが重ねられているのである。

 ちなみに、今年私がひいたおみくじはなんと、「大吉」であった。桜みくじと呼ばれるもので、花の形をした感じに折り畳まれているので、私は木に結ばず、大事に、自分のお財布の中に包むようにしてしまっている。

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