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インプットとアウトプットの、バランス。
インプットとアウトプットのバランスが悪い。
ここ数日。
読みたい本が重なり、隙間時間でSNSを見てばかりいたこともあって、とにかくインプットが多かった。
有益、無益にかかわらず、たくさんの「情報」が頭に流れる。
それを、処理したい、整理したいとおもっていたのに、なかなかそんな時間がとれず。
そうこう言っているうちに、次のインプットをはじめてしまって、「情報」が頭のかなかで渦巻き始めた。
混ざりあってしまった。
まるで入れ過ぎの洗濯機みたい。
そのせいで、ひとつひとつ手に入れたはずのインプットの味が、薄い。
なんにも、残っていない。
小説を読んだのに、心に響かない。
役に立つ情報を学んだはずなのに、得たものが思い出せない。
ほんとうはすぐにでも、アウトプットしてカタチに残しておきたかったのに。
それをしないまま、次々先へ進んでしまったせいで、こんなことに。
ああなんて、もったいない。
いちど、進む足を止めなければ。
洗濯機、一時停止。
◇
インプットから、アウトプット。
それをするまでには、「時間」がいる。
単にアウトプットをする時間という意味ではなくて、その前の「飲み込む時間」のようなものだ。
たとえば、読んだ本について「note」にまとめたいとしても、本の内容を自分なりに理解していなければ、記事を書けない。
すごく当たり前のことなのに、アウトプットの段階で、インプットの薄さに気づく。
あれ、わたし、なんにも分かってないじゃん。
こうなると、アウトプットは停止。
ここ数日のインプットは、とにかく速かった。
「情報」が、流れるように目の前を過ぎていく。
頭のなか、心のなかを、風のように通り抜けていくだけで、あとには何にも残らない。
それじゃあ、だめだ。
「情報」の数だけ集めても、自分の身にならないんじゃあ、話にならない。
もっと、ていねいに。
一歩ずつ。
確実に。
そのためには、ゆとりのある時間と心がいる。
近道ばかりしようとしない、落ち着いたわたしで挑むのだ。
インプットも、アウトプットも、なんのためにするのか、見失うなよ。
◇
そんなわけで。
今読みかけの本や、アウトプットしかけているものたちを、一旦ここに集めてみた。
インプットからアウトプットまで。
一連の流れの中で、「置いてけぼり」をくらっているものたちだ。
まず、読みかけの本たち。
・「水中の哲学者たち」
・「まとまらない言葉を生きる」
・「短歌という爆弾:今すぐ歌人になりたいあなたのために」
どれも、「読みたい!」とおもってようやく買ったのに、読みだして半分ほど来たところで手を止めてしまった。
すると、そこから進めなくなった。
本は、リズムよく、毎日すこしずつ読み進めていくほうがいい。
いちど大きく休んでしまうと、そこから這い上がるとき、大きな弾みがいる。
前の内容も忘れてしまっているし、「読みたい」の意欲も薄れている。
これらは「読みかけ」だけど、「読みたくない」わけではないんだから。
何とかゴールまでたどりついて、「note」かどこかに吐き出したい。
それから。
アウトプットの置いてけぼりも、ある。
たとえば、長男との「おはなしづくり」。
たまに、長男と即興でお話作りをする。
その記録として、創作の物語を記事に残すようにしていたが、最近、話が長くなりすぎて、書くのに挫折してしまった。
長男の話は、おもしろい。
長男の考える題名や、言葉選びを聞いていると、「ああ敵わない」と思うことが、たびたびある。
そんな記録を、なんとかカタチに。
育児の日々の、宝物として。
その「育児」に関する記事も、書きかけていることが山ほどある。
「このことは、絶対記事にしたい!」とおもっているのに、うまくまとまらなくてヤキモキする。
育児の渦中にいるせいだろうか。
常に状況も心境も変わっていく毎日だ。
でも、「今しか書けない記事」だからこそ、今なんとかカタチにしたい。
インプット、アウトプット。
どちらかに偏ると、日々の生活も思考も、偏ってくるような気がしてくる。
心地よいバランスを保ちながら、どちらもほどほどに楽しめたら。