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『せんさいなぼくは小学生にはなれないの?』を読んで。
『せんさいなぼくは小学生になれないの?』という本を読了。
学びの多い一冊だった。
こういう本が、もっと必要だ。
専門書よりも、もっと個人的で、もっと小さな声のするものが。
著者は、HSC(ひといちばい敏感な子ども)の息子の父・沢木ラクダさん。
この本では語られるのは、ひとつの事例だ。
入学式から「行き渋り」を見せた息子さんが、どういう経緯で「不登校」になっていったのか。
その過程で、親としてどういう苦労や葛藤があったのか。
学校や専門機関に、どんな支援を求めて、どういう結果につながったのか。
そんな具体的な「沢木家」のケースが、日記形式で綴られている。
細かな変化や、日々が過ぎていく過程が「言語化」されていることで、経緯を冷静に見つめることができた。
息子さんの変化と、それに伴う周囲の変化。
特に、「親」の視点がよく分かる。
一人の「親」として、自分を重ねずにはいられなかった。
うちの息子も、HSCの傾向がある。
本書に出てくる息子さんほど強い傾向はないが、慎重で、何事も観察から入るところや、人の感情(特に、怒りや苛立ち)に敏感で、大人の顔色をうかがって行動するところなど、息子さんとよく似ている。
また、「沢木家」の状況も重なる。
共働き夫婦で、居住エリアに祖父母や親族がいない。
それはつまり、子どもの「不登校」=親が仕事をできなくなる、ということ。
「沢木家」は、市の制度や友人の助けなどを借りながら、最終的には長い目で、息子を見守る選択をした。
再来年、入学を控える息子を持つ我が家にとって、「沢木家」の物語は無関係とは思えなかった。
◇◇◇
本書では、著者が「HSC」や「不登校」などに関して、どういう情報を収集し、学校や専門機関とどういう関係を築いていったのか、詳しく書かれている。
専門機関や参考文献、多様な「選択肢」についても、情報を求めている人には、何か手助けになるかもしれない。
と同時に。
それらの「選択肢」を読みながら、やるせない気持ちがわきあがった。
「親」としてではなく。
ひとりの「教師」として。
複雑な気持ちだ。
公立小学校は、何て融通が利かないんだろう。
「沢木家」の場合、コロナ禍の出来事だったこともあり、子どもたちには自由がなく、学校現場は混乱していた。
__でも、それにしたって。
この本に出てくる息子さんの担任は、厳しめのベテラン教師。
真面目で、きちんとさせる力を持っている反面、その「きちんと」が子どもたちを追い詰めていた、と語られている。
息子さんも「先生が怖い」というのが、「行きたくない」理由のひとつになってしまっていた。
もっと個別に、おだやかな対応をしてくれる先生と出会うことができていたら‥。
彼は、違ったスタートを切れたのかもしれない、と想像する。
また、本書には「マルトリートメント(不適切なかかわり)」という言葉が何度も出てくる。
これは、教師の行き過ぎた指導やかかわりのことで、それが子どもたちを追い詰めることも、問題視されているそうだ。
正直、過去の同僚には、わたしから見ても「やりすぎ」だとおもう人がいた。
しかし、わたしはそれを、どうすることもできなかったのが事実だ。
経験の上な先生が言うことに、従うしかない。
授業や、自分のクラスのことで精いっぱい。
そんな思いから、違和感を抱きつつも、見て見ぬふりをした経験がある。
しかし、それは結果的に、学校全体をよくすることにはならなかった。
今さらながらの反省である。
厳しい指導を乗り越えてきた人は、自身も厳しい教師になるのだろうか。
でも、それだと誰も救われない。
子どもも、親も、先生もだ。
学校は閉鎖的で、自分のことを見つめ直す機会が少ない。
そんな中、より柔軟な個別対応も求められ、学校全体が追い込まれて、あっぷあっぷと溺れそうになっている感じがする。
__現場の限界。
子どもたちのために、学校は変わらなければならない。
だが、一体何をどうすれば‥。
「不登校」や、多様な子どもたちに応じた別の居場所が充実しつつあると、本書にはあった。
それはとても良いことだ。
でも、そもそも「学校」自体がそういう居場所になれないといけないんじゃ?と悲しくもなる。
ただ、勘違いしないでほしい。
「学校」には、すてきなところがいっぱいある。
すばらしい先生はたくさんいる。
学習は楽しい。
学校だって、変わろうとしている。
著者も、決して公立小学校を否定しているわけではなく、本の中でも「学校と協力する」「子どもの味方をたくさんつくる」ことの大切さに触れておられた。
◇◇◇
「沢木家」の息子さんは、2年生から「特別支援学級」に通い始めたようだ。
ふとしたきっかけで休んだり、また行ったりするが、一喜一憂せず、長い目でおおらかに見守ろうというのが、「沢木家」のご夫婦の選択だ。
夫婦で話し合いを繰り返し、協力して、子どもにかかわる姿勢に、心から尊敬する。
べつに、学校だけが「すべて」じゃない。
親として、それを受け入れたご夫婦。
しかし、息子さんは本当は「学校へ行きたい」ともおもっていた。
「行きたくない、辛い、つまんない、楽しくない」と言いながら、本当はみんなと同じように、「行きたかった」のだ。
その葛藤が、言葉にならない切実な感情が、とてもリアルだ。
うちは、どうなるだろう。
今のところ、進級も勉強も楽しみにしているようだし、親としてもそんなに不安がらないようにしたい。
この本を読むことで、子どもたちに迫っている問題を、再確認した。
もし息子が、切実で言葉にならない感情を向けてきたとき、どんなふうに受け止めていけばいいのかも、少し想像できた。
入学を控える子どものお母さん、お父さん。
そして、学校現場で子どもたちにかかわる先生方。
ぜひいちど、読んでみてほしい。