339th_20年以上変わらないもの
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このブログは、
「生涯、荒唐無稽!」を掲げ、
ジャーニランという200~500kmを走る
というクレイジーなレースにおいて、
その最高峰を目指すとある男の実録である。
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鬱々とした10代
「なぜ自分が走っているのか?」
ということを問いただしていくと、
おそらくその理由は18歳の頃まで遡りそうです。
当時は、浪人して、天王寺の予備校に通っていました。
自分には変なこだわりがあって、京都にある大学のイタリア語学科に行きたかったのです。
当時の周りの人間は、不景気や就職氷河期を経験したこともあり、夢や希望を持っていない人が多かったように思います。
夢や理想を話したところで、「 そんなの現実見ろよ 」的なことを言われた記憶があります。
そんな言葉に釈然とせず、「 不景気の日本なんて出て、どこかで気楽に暮らしたい 」と思っていました。
そんな僕は、イタリアという国に憧れて、
燦々と輝く太陽の下、年中暖かな地中海性気候、ピザやパスタなどの美味しい食材、そしてサッカーが盛ん(当時の三浦カズに憧れて)。
「こういった環境に住み、仕事ができたら最高だろうなぁ」と、行ったこともないイタリアに憧れていました。
だから、京都にあるイタリア語学科の大学に入りたかったのです。
で、実際に大学受験したのも、その学科だけでした。
第二志望も、保険もかけませんでした。
アホです。愚策です。受かる理由なんて、これっぽちもありません。
確か事前の模試判定もD判定でした。
で、理想論だけを振りかざして受験して、
案の定、失敗しました。
でも、理想を諦めきれずに浪人。
そんな18歳でした。
そんな折に出会ったのが次の言葉でした。
予備校の世界史の河野先生がおっしゃった言葉なのですが、
この言葉に出会ってから、ずっと走ってきているように思います。
(河野先生、今どこで何してるのかな、、、)
「諦めたくないという気持ち」
それだけで、19の時から走り続けてきました。
理想とすることは、何度も変わりまくっていますが笑
あるところまで来ても
「 これくらいでいいや 」とは、ならず。
常に上を、上だけをみてきました。
もしどこかを安住の地として定め、そこで動くことをやめていれば、
そこで停滞し、それ以上のことは求めなかったでしょうね。
常に目指しているから、そして、理想が常により高みのほうへ変わっていくから、今もまだ、走り続けているように思います。
そういう意味では「 最終ゴールはない 」のです。
暫定的に掲げる目標はあれど、それもまた旅の途中。
今見えている範囲でのゴール なのです。
それに近づいてきたら、また次のその上のゴールが見えてくるはずです。
40を超えて、
長らく走り続けてきたこともあって、
ランナーとしても、ランニングコーチとしても、ゲストランナーとしても、それなりのことはできるようになってきました。
それでもまだ小さな小さな芽という程度ですが、
ここを安住の地として居座ることなく、上を目指したいです。
理想とするところを掲げて、前に進みたいです。
だから僕は歩みを止めない。
今日もお読みいただき、ありがとうございました!
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